第13話 長官の決断

 「赤城」の艦橋に入るやいなや、南雲長官が感極まった様子で俺の元へ駆け寄ってくる。

 彼はおもむろに俺の手を握り、何度も感謝の言葉を紡ぐ。


 「ジュンさん、貴方のおかげで一航艦はただの一隻も損なうことなく全艦がいまだ健在です。あれほど激しい空襲であったのにもかかわらず、直撃弾を一発も浴びずに済んだのはまさに奇跡に等しい。これも貴方の予言と助言があればこそです。不肖南雲忠一、一航艦の将兵を代表して御礼申し上げます」


 南雲長官以外の参謀長や参謀といった一航艦司令部員たちも最初に会った頃の猜疑心あるいは値踏みするような表情から一転、俺に感謝や称賛の言葉を投げかけてくれる。

 実際のところ敵航空機を撃退できたのは未来知識による後知恵が大きい。

 だが、それを正直に話したところで果たして信用してもらえるかどうかは分からないし、そもそも話すつもりもない。


 「この結果は一航艦将兵の血と汗の結晶とでも言うべきものです。零戦や九九艦爆搭乗員らの献身、それに艦長たちの卓越した操艦術。これらが無ければ米航空隊の猛攻を大きな損害無しで乗り切ることは出来なかったでしょう」


 俺は適当に将兵を称賛する言葉を織り交ぜて謙虚さをアピール。

 敵味方双方に対してある種のイカサマかあるいはカンニングをやってしまったような居心地の悪さを感じていたこともそういった態度をとらせた理由のひとつだった。

 なので、俺はすぐに話題の方向転換を図る。


 「今後についてはミッドウェー基地への攻撃を再開する方針だと源田中佐からお話を伺っているのですが」


 南雲長官は首肯しながらも自身が下した結論に少しばかり迷いがあるようだ。


 「正直なところ、八戦隊の阿部司令官や二航戦の山口司令官の言うように敵機動部隊を攻撃するほうが良いのではないかという思いもあります。ミッドウェー基地は動きませんが、空母機動部隊は高速で洋上を移動できます。

 先々月に起きた帝都空襲のことを考えれば、敵機動部隊を撃滅するほうが先ではないかと、そう考えてしまうのです」


 逡巡を見せる南雲長官に、俺は先程源田中佐に語ったことを話す。

 仮に敵機動部隊に対して第二次攻撃隊を出したところで、少数の護衛の零戦では一〇〇機程度は有ると思われるF4FとSBDから九九艦爆や九七艦攻を守り切ることなど出来ようはずもなく、それらは投弾や投雷前にそのほとんどが撃墜されてしまい大きな戦果は望めない、と。


 「敵はまだそんな余力を残しているのですか」


 南雲長官は驚くが、それだけ米空母は一隻あたりの搭載機数が多いということだ。


 「先程の防空戦で零戦隊と九九艦爆隊は敵雷撃隊を壊滅させ、敵急降下爆撃機隊にも大打撃を与えましたが、それでも急降下爆撃隊の方は半数程度はまだ残っています。

 それと、『エンタープライズ』と『ホーネット』、それに『ヨークタウン』には無傷の直掩戦闘機隊が残されており、その数は五〇機近い。しかも彼らはまだ戦闘に参加していませんから体力は十分に残っています。

 一方でこちらの零戦隊と九九艦爆隊の搭乗員は相次ぐ防空戦闘で疲労困憊。九七艦攻のほうは比較的マシですが、一方で装備しているのは旋回機銃が一丁のみと防御力は貧弱の極みです。とてもではありませんが、多数のF4FやSBDからなる敵の囲みを突破して敵空母を存分に叩けるとは思えません。

 もし、第二次攻撃隊を出せば、少しばかりの戦果と引き換えに彼らは壊滅的な打撃を被るでしょう。それは多くの熟練搭乗員を失うことを意味します」


 俺は最後の「多くの熟練搭乗員を失う」に少しばかり力を込めた。

 先の珊瑚海海戦で「ヨークタウン」と「レキシントン」を基幹とする米機動部隊と相まみえた「翔鶴」と「瑞鶴」の五航戦は「レキシントン」撃沈の戦果と引き換えに高橋赫一少佐をはじめとする大勢の熟練搭乗員を失った。

 そのことは南雲長官にも生々しい記憶として残っているはずだ。

 戦死したのは自身が率いる一航艦の大切な部下、なにより大切な搭乗員たちなのだから。

 そして、さらにここで一航戦と二航戦の搭乗員まで失うようなことになれば、一航艦はその時点で戦力を喪失することになる。


 言うべきことは言った。

 あとは南雲長官次第だ。

 多数の搭乗員を犠牲にして敵空母を撃破するか、あるいは搭乗員を守るために敵機動部隊への攻撃をあきらめるか。

 帝国海軍の文化からすれば、前者であれば猛将、後者であれば怯将のレッテルをはられるだろう。

 実際、珊瑚海海戦では敵機動部隊の追撃を断念するという理性的な判断を下した井上長官が消極的すぎるとして海軍上層部から酷評された。

 南雲長官が悩んでいるのも、あるいはこういったあたりの事情からかもしれない。

 珊瑚海海戦では連合艦隊司令部が追撃命令を出した時点において唯一無事だった「瑞鶴」は実際のところは稼働機が激減し、搭乗員は疲労の極にあってとても戦闘を継続できる状況にはなかった。

 もし、仮に井上長官が無理を押して追撃を命じ、「瑞鶴」と「ヨークタウン」が一騎打ちとなるようなことがあれば、まず間違いなく五航戦の艦上機隊は壊滅的ダメージを被っていたはずだ。

 なにせ、一戦交えた直後の残存稼働機は「瑞鶴」に比べて「ヨークタウン」のほうが圧倒的に多かったのだから。

 下手をすれば「瑞鶴」は返り討ちにあって撃沈されていたかもしれない。

 俺がよけいな方向に思索を脱線させている間に、一方の南雲長官は決意したのだろう。


 「敵機動部隊への追撃はこれを行わず、事前の命令通りミッドウェー攻略に主眼を置きます。軍令部からはミッドウェー攻略が主目標だと指示されておりますし、実際に大海令第一八号にもそう記されております。

 また、源田君も連合艦隊参謀から一航艦の主要任務はミッドウェー攻略支援だと聞かされております。つまり、敵機動部隊撃滅よりもミッドウェー攻略が優先される。そのミッドウェー攻略任務を放っておいて敵機動部隊を追っかけるわけにもまいりません。誰よりも司令長官が命令に忠実でなければ下の者に示しがつきません」


 そう言ってニヤリと笑う。

 己の名誉や保身よりも部下の命を優先させたのだろう。

 だから俺は、南雲長官をこれから待ち受けるであろう批判から彼を守ることにした。

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