第5話 航空参謀

 俺が空母「赤城」の艦橋に呼ばれたのはカタリナが発見されてから五分ほど経ったときだった。

 村田少佐に告げたカタリナ出現の予言が的中したことによって、第一航空艦隊のお偉方は俺と会う決断をしたのだろう。

 俺は村田少佐の後に続き、細く急な階段を登る。

 案内された「赤城」の艦橋は艦隊旗艦にしてはあまりにも狭く、そのうえむさ苦しいおっさんたちがひしめいていた。

 こんな狭隘な艦橋の環境では長官や参謀らはまともな思索や判断などとても出来ないのではないか。

 戦闘時には雑音や喧騒で満たされるのは間違いない。

 そんな感想を抱く俺の前に、奥の方から壮年か初老かなんとも判断のつかない御仁が姿を現す。

 その表情から、少しばかり疲れている様子がうかがえる。


 「村田少佐から話は聞きました。あなたがジュンさんですね。私は第一航空艦隊司令長官の南雲です。

 ジュンさんは神の眷属のような方だとお聞きしていますので、あるいはジュン様のほうがよろしいですか」


 「ジュンさんで。長いようでしたらジュンと呼び捨てにしていただいても構いません。戦闘時は一刻を争いますから」


 最初からいきなり南雲長官に面通しされるというのは俺としては意外だった。

 まずは村田少佐の直属の上官である飛行長かあるいは青木艦長あたりとの話し合いになると思っていたからだ。


 「あなたの予言した通りの時間にカタリナが姿を現しました。つまり、第一航空艦隊は敵に所在を暴露してしまった。状況はあまり好ましいものではありません。そこで、予言をはじめ不思議な力を持つあなたにはこの後の展開について分かる範囲でご教示願えればと考えるのですが」


 丁寧な口調の南雲長官だが、現状では藁にもすがりたい思いなのだろう。

 知恵袋、あるいは懐刀と言っていい航空参謀の源田中佐は高熱からくる体調不良、安心して航空隊の実務を任せられるはずだった淵田中佐は虫垂炎の手術直後なので使えない。

 そう言えばと思い、俺は艦橋を見回す。

 明らかに調子の悪そうな士官が、それでも眼光鋭く、まるで値踏みするかのように俺を見据えている。

 軍事誌などに掲載されていた写真で何度も見た覚えがあるそれ。

 間違いない。

 南雲機動部隊を実質的に取り仕切っていたとの評もある源田中佐だ。

 俺はおもむろにその源田中佐に近づき回復魔法をかける。


 「回復!」


 最初は俺の呪文(本当はヒール! と唱えたかった)に怪訝そうだった源田中佐の表情が次第に驚愕のそれへと変貌する。


 「どうした?」


 源田中佐の様子にただならぬものを感じたのか南雲長官が慌てて声をかける。


 「体調が戻りました! いや、むしろ爽快と言ってもいい。

 先程までとは違い、頭の中が冴え渡っております!」


 驚愕の表情に喜色を浮かべ、源田中佐が元気よく南雲長官に答える。

 さらに慌てた様子で源田中佐は俺に官姓名を告げつつ礼を言ってきた。

 俺は礼を言われると気を良くするたちなので、ついでとばかりにここにいる全員に回復魔法を一斉に施す。

 それに、魔法という俺が持つ能力については言葉を尽くすよりも体で理解してもらったほうがいい。

 まあ、神の眷属を詐称するに値する力を持った魔法使いだという名刺代わりだ。

 それに、瀕死の重傷患者ならともかく多少の疲れを癒やす程度であれば魔力消費も微々たるものなので、複数人に回復魔法をかけたところでまったく問題は無い。


 俺の回復魔法が発動した次の瞬間、源田中佐以外の全員の顔にも驚愕の表情が伝播する。

 艦橋にいた連中は作戦前の多忙や寝不足、それに過度の緊張や興奮によって知らず知らずのうちに疲労を蓄積、あるいは体力を消耗していたのだろう。

 いや、この作戦だけではない。

 開戦からこのかた一航艦は人も艦も酷使され続けている。

 艦はロクにドックで整備することも出来ず、将兵のほうも十分な休養を得ることはかなわなかったはずだ。

 戦争という極限状態の中におけるストレスの蓄積は平時のそれよりも遥かに大きかったはず。

 その体の芯にまで染み込んだ疲労を一瞬で回復させた効果は絶大だったようだ。

 艦橋のそこかしこで「おおーっ」という感嘆の声が上がっている。

 だが、名刺代わりの無料サービスはここまでにして俺は肝心の説明にとりかかる。


 「南雲さんからお尋ねのあった今後の展開を語る前に一航艦が置かれている状況について先に説明します。

 現在、このミッドウェー近傍海域には三隻の空母を基幹とする二つの米機動部隊が展開、一航艦を撃破すべくすでに戦闘態勢に入っています。

 空母は第一六任務部隊の『エンタープライズ』と『ホーネット』、それに第一七任務部隊の『ヨークタウン』の三隻です」


 先程までの興奮から一転、俺が吐いた言葉によって艦橋に凍りつくような空気が流れる。


 「米空母が三隻、しかもそれらは我々を撃破すべく待ち伏せているとおっしゃるのですか」


 真っ先に衝撃から立ち直り、俺に質問してきたのは源田中佐だった。

 体調を回復させる実演が効いたのか、若造の俺に対する言葉遣いは丁寧だ。


 「その通りです。米機動部隊は一航艦がミッドウェー基地攻撃に耳目を集中している隙を突いて、その側背から攻撃を仕掛けてきます。

 米機動部隊は、一航艦の四隻の空母が第一次攻撃隊の収容でドタバタする最中に友軍攻撃隊が殺到できるよう適切なタイミングを見計らって艦上機を発進させるつもりです。

 つまり、現状を一言で説明するなら、一航艦は米側が設定した罠にまんまと飛び込んでしまっている、ということになります」


 俺の言葉に「赤城」艦橋内の温度はさらに下がり沈黙が広がる。

 そのような中、最初に言葉を絞り出したのは同じく源田中佐だった。


 「ジュンさんの言葉を疑うつもりはないが、それでも三隻の空母の中に『ヨークタウン』の名前があるのはおかしいのではないか。『エンタープライズ』と『ホーネット』ならまだ分かるし、実際に我々はその二隻の撃滅を企図してここミッドウェーくんだりまで出張ってきた。

 だが、『ヨークタウン』のほうは先の珊瑚海海戦でかなりの深手を負っており、出撃出来る状態では無いはずだが」


 源田中佐の言に首肯しつつ俺は状況説明を重ねる。


 「源田中佐のおっしゃる通り『ヨークタウン』は珊瑚海海戦で傷つきました。

 これは、あまり言いたくはないのですが、同海戦で『ヨークタウン』が食らったのは二五番が一発だけで、あとは至近弾が若干の損害を与えた程度です。

 ただ、この二五番は当たりどころがよく、機関に少なくないダメージを与え、このため『ヨークタウン』は機関の全力発揮が出来ません。

 これに関連して言えば、三隻の米空母には合わせて二三〇機あまり、ミッドウェー基地は航空機と飛行艇を合わせて一〇〇機あまりが展開しています。つまり、単純な航空機の数だけでいえば一航艦よりも米側の方が相当に有利だということです。

 それと、これは大事なことなので先に言っておきます。

 米機動部隊は『筑摩』機と『利根』機の索敵線上を航行しています。発見するのは『利根』四号機ですがこれは索敵線を逸脱しての偶然の発見、『筑摩』機は雲に邪魔されてしまったために見つけられなかったというだけの話です」


 俺の説明に源田中佐は必ずしも納得した様子は見せていない。

 だが、俺がカタリナ飛行艇の出現を予言したこと、それに自身の体調不良を一瞬のうちに解消した魔法(実際に魔法なのだが)という事実が猜疑心を上回ったのだろう。


 「ということは、米機動部隊は我々のほぼ真東を北上するかあるいは南下しているということですね」


 「南下だったはずです」


 単なる艦オタであって、戦史マニアでは無い俺は乏しい知識のなか、ミッドウェー海戦の情報を振り絞るようにして思い出す。


 「米機動部隊の艦上機の発進のタイミングを考えれば、今この瞬間に我々が第二次攻撃隊を出せば米機動部隊に対して先制攻撃をかけることが出来るということですか」


 はやる源田中佐に、しかし俺はひとつの事実を伝える。


 「一航艦は現在、手元に三六機の零戦を残していますが、そのうち一二機は上空警戒、さらにカタリナ撃墜のために追加の機体を上げてしまいましたから、第二次攻撃隊の護衛に使えるのは二〇機程度でしかないでしょう。

 一方で、米機動部隊は三隻の空母に八〇機近いF4F戦闘機を保有しています。仮に第二次攻撃隊を出したとしてもわずかな数の零戦で八〇機ものF4Fから艦爆や艦攻を守りきれるものではありません。

 それに、爆弾を積んでいなければそれなりに空中戦が可能なSBDドーントレス急降下爆撃機も一〇〇機以上保有しています。ニューギニア沖海戦では単発の艦上機よりも抗堪性の高い双発の陸上攻撃機が面白いようにF4Fによって撃ち墜とされてしまった。

 もし、不十分な護衛で第二次攻撃隊を出しても、そのほとんどは米機動部隊の姿を見ることもなく多数のF4FやSBDによって失われるはずです」


 機動部隊同士の戦いは先に相手を発見、先制攻撃を仕掛けたほうが圧倒的に有利だというのは一面では真実であるが、一方で彼我の戦力が隔絶していれば当てはまらないこともある。

 マリアナ沖海戦がいい例だ。

 だからと言って否定、ダメ出しばかりでは能がない。

 俺は代わりになる案を源田中佐に、ここにいる全員に向けて提示した。

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