第29話 溶けてゆく闇
敦は公園に一人残されてしまった。謎の扉と一緒にだ。
公園には敦の他には誰もおらず、まるで時間に取り残された空間のようであった。
「どうしろっていうんだよっ!」
扉は開け放たれたままだ。そこには光を吸い込むような暗闇だけがある。
何かが出てくる気配もなく風すらも吹いては来ない。その暗闇に正対するように敦は睨みつけていた。
「雄一っ!」
敦は川崎の名を呼んでみた。しかし、返事は無かった。扉の中から誰かが出てくることも無かった。
きっと、扉の中から聞こえていた声が妹であると思ったのだろう。川崎は彼女を助けるために中に入っていったのだ。そういう奴だ。
「くそっ」
その空間を見つめながら敦は毒づいた。結果が変わらないのは分かっている。しかし、そうせずには居られなかったのだ。
豊平に続いて川崎も行方がわからなくなってしまった。このままでは拙いのは重々に承知である。
彼らを助けに行かないとイケナイ。分かっている。分かってはいるが生来のヘタレである敦には荷が重かった。
「くそっ」
しかし、ここは勇気を振り絞らないといけない場面だろう。額には大粒の汗が浮かんでいた。
頬を何滴かの汗が流れ落ちていった。扉の中の暗闇は微動だにせず光を吸い続けている。
「……」
やがて、敦の目付きが変わった。覚悟を決めた敦は扉の中に入ることにしたようだ。目に決意を込めて暗闇を睨みつけた後に目を瞑った。
やはり、恐怖心が勝っていたのだろう。こればかりは誰も敦を責められない。
「ええいっ!」
敦は目を瞑ったままで扉の中に踏み込んでいった。
「………………」
壁みたいなものにぶつかるとか、ぐにゃりと空間が曲がるとか、そういう目に合うのかと思ったが特に障害は無かった。
普通にニ歩三歩と足を運べてしまったのだ。
「え?」
呆気なさに拍子抜けしてしまった敦は安堵した。そして、恐る恐る目をゆっくりと開けるとそこは駐車場だった。
周りをキョロキョロと見ると、敦たちが乗ってきた乗用車がある。渓流釣りで山に入る前に車を停めた駐車場だ。
「……」
今、歩いてきた方を振り返ると何も無かった。あの謎の扉が無いのだ。当然、扉にあった謎の暗闇も無い。
「なんで?」
敦の感覚では廃病院と、今いる駐車場はかなりの距離が有る筈だった。
渓流まで小一時間。そこから廃病院まで二時間の距離だったと記憶している。時間は気にしていなかったのが悔やまれる。
「ど、ど、ど、どうして?」
敦は気が動転してしまっている。
自分がやって来たと思われる方向には藪と森がびっしりと生えている。人がまともに歩けるとは思えない。
(空間を通ってきた?)
そんな事が可能なのかどうかは不明だが、あの公園から駐車場まで空間が繋がっている感じであった。
(ん? じゃあ、川崎も此処にやって来ているのか?)
敦が辿り着けるのなら彼にも可能だったかもしれない。
「雄一っ!」
敦は駐車場の中に大声で呼びかけてみた。しかし、返事は無かった。川崎は此処に辿り着いていないようだ。
「どうなっているんだ……」
両手で顔を覆ったまま、敦は何度目かの嘆きを呟いた。
(やはり、警察を頼ろう……)
何度目かの決意をした敦は自分の車に近寄った。
だが、敦はある事に気が付いた。車に違和感があるのだ。見た目は乗ってきたままだ。
「?」
月明かりに仄かに照らされた車の中に何やら影が映っている事に気が付いた。
「雄一?」
ひょっとしたら川崎が先に辿り着いていたのかもしれないと仄かに期待して声をかけた。
しかし、返事は無い。
「へ?」
敦はライトを車に向けてみた。しかし、光の輪の中にあるのは車だけだ。車の中には誰も居なかった。
到着した時のままであるようだ。
「なんか居た……よな」
他に逃げたのかも知れない。そう思った敦はライトを駐車場の周りに向けた。駐車場には敦の乗ってきた車以外に車両は無い。
森の木々が風にざわめいているだけで人がいる気配は無かった。
「?」
目線を車に戻すとそこには黒い影が見えた。しかし、今度は運転席のドア前に居る。
「え?」
敦はライトを車に向けた。やはり、何もなかった。
今度はライトを消してみた。すると、影は運転席のドアから一歩前に進んだ位置にいたのだ。
(明かりを消すたびにコッチに近付いている?)
敦は言いようのない不気味さに身震いしてしまった。次にライトを消すと今度は目の前に居るのではないのかと思ったのだ。
(くそっ、何だっていうんだ……)
敦は身じろぎもせずに突っ立っている。逃げようにも車には変なモノが取り付いているらしい。
今度は頼りになる川崎も豊平も居ない。自分一人で解決しなければならないのだ。
(そうだ! 明かりを点けたまま車に乗れば大丈夫じゃないか?)
不意にそんな事が頭に浮かんだ。明かりを消すと現れるのだから消さなければ良い。
それに、ここでジッとしていても何も進展しないのは事実であった。
「……やってみるか」
ライトは車に向けて点灯させたまま近付いた。今度は何かが現れる気配は無い。
車に辿り着いた敦は中に乗り込んだ。
クスクスクス……
いざ、車に乗って助けを求めに行こうとエンジンを掛けると笑い声が聞こえてきた。
辺りからはヒソヒソ声が聞こえて来る。噂話を面白がっている子供のようなはしゃぎ声に思えた。
それは車の後部から聞こえてくる気がした。
(……)
後ろの方に目を向けると小学生くらいの子供が立ってた。また国分が現れたのかと思ったが、立っているのは一人だけでは無かった。
男女合わせて十人以上が立っているのだ。
彼らは黒か濃い灰色の服が僅かに見えているだけで、白い顔以外は森の風景に溶け込んでいるように思えた。
敦は思わず目を擦って確認してみたがやはり立っている。
(誰?)
車の前からも何か気配を感じた。振り向いたと思ったら黒い靄が見えたのだ。その霞がウネウネとしている。
乗る前に見えていた影なのかもしれないと思っていると、黒い靄が場所を動いているのに気が付いた。風に漂う感じでは無く一つの場所を求めるかのようにウネウネと動いている。しばらく、見ていると急に靄が人の形に変化していった。
敦が車のヘッドライトを点灯させると、そこには川崎と豊平と国分が直立不動で立っていた。だが、顔は感情を失くしたかのように無表情である。
「無事だったのかっ!」
再開できたことを喜んだ敦は直ぐに車から出ようと運転席のドアに手を掛けようとした。
しかし、運転席の窓から外を見て固まってしまった。何人もの川崎と豊平と国分が車の中を覗き込んでいるのに気が付いたのだ。
「うああああぁぁぁぁっ!」
敦はそれを見て絶叫してしまった。
彼らは瞬きもせずに運転席に居る敦を見ていた。唇を固く結んだ様子に精気が感じられ無かった。
車の後部座席など他の窓を見回すと、そこにも三人が車内を覗き込むよ顔が見えている。つまり、無数の川崎と豊平と国分に囲まれているのだ。
「………………」
敦は怯えた魚のように目と口をぱちぱちさせ、運転席のドアに手を掛けたまま彼らを見回していた。
キャハハハハッ
車の中で恐怖のあまりに固まっている敦の耳元に子供の笑い声が聞こえてきた。
「へ?」
声が車内から聞こえてきたと思ったのだ。しかし、見回してみても車内には敦一人であった。
「え!」
視線を運転席の窓に戻すと、川崎と豊平と国分がニヤリと笑ったのが見えた。
「ええぇぇぇーーっ!」
敦が絶叫するとクスクスクスと笑う声が遠ざかっていった。
それに合わせて川崎と豊平と国分は溶けるように闇の中へ消えていってしまった。
「………………」
後に残されたのはハンドルを握ったまま呆然とした敦とヘッドライトの光だけであった。
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