第26話 迫る幻影

 廃病院の反対側に来た敦と川崎の二人は建物脇に伸びる獣道を全力疾走していた。

 既に辺りは暗くなりはじめ携帯のライトが頼りだ。そのライトが腕の振りに合わせて激しく揺れていた。


「煤男はどうなったんだ?」

「素早く動けないみたいだったな」


 建物の半分辺りに来た時に足を止めて背後の様子を窺った。辺りは静かなままだ。時折、吹いてくる風に藪がざわめくぐらいだ。

 煤男を見かけた時には背が高い印象があったが、自分たちのいる場所からは見えなかった。追いかけて来る事が出来なかったのかもしれない。


「ああ、そうみたいだ……」


 逃げ切ることが出来たと思った川崎は額の汗を拭っている。


「四つん這い男は山に逃げるのを見たよ」


 敦は自分が見たのは四つん這い男だろうと思い答えた。最初は追いかけてくるのかと思ったが、敦の悲鳴に驚いたのか山の方に四つん這いのまま逃げていったのだ。


カサカサッ


 何かが藪の中を動いている音がした。最初は遠くの方で葉のこすれあう音だと思っていたが、間もなく藪のすぐ横が大きく揺れ始めたのだ。

 薄闇の中を意志を持った空気の塊が動いている感じだ。


「まだ、何か居るぞ!」


 敦は叫びながら音のしている方に顔を向けた。


 その瞬間。


 周りの風景は赤色に染まっていた。山も森の樹々も赤を照り返している。

 先程まで闇が迫りつつあったにもかかわらずにだ。

 

「え?」


 敦が驚愕して固まっていると視界の端に何かが映った。そこは樹々が鬱蒼としているはずの場所だ。

 人が一人立っているような気がしたのだ。おかしいと思いそちらの方向を見ると誰もいない。


「時間が戻った?」


 夕闇から辺りが赤くなったという事は夕方に戻ったのかもしれないと敦は考えたのだ。


「?」


 訳も分からずに戸惑っていると視線を感じた。ねっとりと粘りつくような視線。殺気をまとった悪意だ。

 すると木と木の間に人がいて此方をじっと見ているのが分かった。


「誰だ!」


 敦の様子に気が付いたのか、藪がガサガサと揺れて子供が一人出てきた。

 子供の顔を見た時に敦は驚愕してしまった。それは小学校時代の国分義弘(こくぶよしひろ)であったのだ。


「え? 国分……?」

『これは君が望んだ光景なのさ』


 自分よりも背の低い国分は敦を見上げながら言ってきた。その死んだような目に射すくめられていると心が凍りつく気がしていた。


「時間が戻すのが俺の望み?」


 意味の分からなさに聞き返してしまった。


『そう、あの時にしくじりを無かった事にしたがっているのさ』

「しくじりなんかしてないよ」

『いいや、君はしくじっていたんだよ』

「だから、やってねぇって」

『いいや、あの時に敦は板切れで扇いでしまったんだ』

「何でそれがしくじりになるんだよ」


 あの時は全員が喜んでいたではないかと思った。


『本来はろうそくを立てて神様を道案内しなければいけなかったんだよ』

「……」


 神様の案内でろうそくを立てる必要があるのは後で知ったことだ。今更言われてもどうにもならない。


『それなのに君は風を無理やり起こして魑魅魍魎を招いてしまった』

「そんな事、知らなかったんだからしょうがないだろ!」


 敦は段々腹が立ってきた。やり直しが出来ないことを、得意顔で責め立てるのはなんなんだと考えたのだ。

 それに、オーセマモドキをやろうと言い出したのは、元々国分であろうと思っていた。


『原因を作ったのは君だろ?』

「俺は悪くない!」


 気がつくと目の前に居たはずの国分は居なくなっている。


『いいや、悪いのは君さ……』


 国分の声は敦の耳元から聞こえた気がした。つまり彼は敦のすぐ横に居るのだ。


「何でそうなる」


 敦は声が聞こえた方に顔を向けたがそこに国分は居なかった。


『後で調べて知ってしまったんだろ?』

「……」

『でも、気が付かないふりをしようとていた……』

「何の話しなんだ?」

『だから、時間を戻してやり直そうとしているんだよ』

「俺は何もやってないだろ」

『そして、それが出来ないのも分かっている』

「そんな事してない!」

『でも、君は時間を戻そうとしてるじゃないか……』


 国分の声は敦の周辺から無数に聞こえている。そして、その声に合わせるかのように国分らしき黒い影が現れては消えた。


「止めろ!」


 声のする方を向いて怒鳴ったが、どこにも彼の姿は居なかった。


『気が付かない振りしてたって結果は一緒だよ……』

「……」


 逆さ吊りになった国分が敦の真上に現れた。顔は敦の直ぐ近くまで下り、耳元に呟く一言が敦の心をえぐる。

 山から鈴の音がチリンと聞こえた。


『諦めて安心出来たんだろ?』

「……」


 足元を何かが掠めるように通る。それは一匹の黒い犬だ。黒い犬は通り過ぎてから立ち止まり振り返った。顔は国分であった。


『お前はガキの頃からイチミリも変わっちゃいない……』

「……」


 いつの間にか蒼いひまわりが周りを囲っている。その中に敦はポツンと立ち、国分の声が周囲から響いて来る。コンクリートで囲われた密室のような響き具合であった。


『無責任で怠惰なままなのさ……』


 国分のデカイ横顔が病院の建物の向こう側にせり上がってきた。そして、横目で敦を覗きながら呟いていた。


「…………」


 普通の社会生活を送りながら、周囲の人間には必死で隠している心の中に秘めている闇だった。小学校以来、会いも思い出しもしなかった国分がズバリと指摘してくる。

 何故なのだと敦は考え始めていた。


(監視されていた?)


 敦の額から止めどもなく汗が流れ落ちてくる。


「……! ……し! ……つし! 敦!」


 誰かが敦に呼びかけている。それも必死な声でだ。


「え?」


 目の前に川崎が居た。不意に周囲の映像が切り替わった感じがした。


「あれ?」

「どうしたんだよ、いきなり黙りこくって……」

「夕焼けは?」

「何だ夕焼けって?」


 敦が周りを見渡したが辺りは暗いままであった。


「夕焼けの中で国分に会った……」

「いや、国分はいないし今は何処をどう見てみても夜だ!」

「……」

「しっかりしろよ」

「あっ!」

「どうした?」


 敦は森の中をライトで照らした。そこには廃病院の門の前に有った白っぽいビニール紐切れが無数にぶら下がっていた。


「此処にも儀式の跡があるのか……」


 川崎が吐き捨てるように言った。


「なあ、気が付いたんだが……」

「何に?」

「五芒星を使って呪い返しをしようとしてたんじゃないのか?」

「誰が呪い返しをしようとしてるんだよ」

「俺は国分がしてるんじゃないかと思う……」

「やはり国分のか……」


 川崎も薄々は感じていたのかもしれない。彼も廃神社でオーセマモドキを執り行った一人なのだ。


「五芒星って陰陽道では魔除けの呪符として使われるだろ」

「ああ、一般的にはそうだな」

「魔除けが出来るって事は呼び込むことも可能って話にならないか?」

「そ、そうかもな……」


 五芒星とは木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものだ。それぞれの動きを利用して様々な魔除けの呪符として重宝された。

 ならば、裏返して使用すれば魔物を召喚して呪いの封じ込めに使えるのではないのだろうかと敦は思い至ったのだ。


「普通は時計回りに考える物だが、裏返しなら反時計回りになるな……」


 川崎が一緒に敦の考えを検証し始めた。


「すると五芒星陣の中心は位置関係から見て半透明のヤツラが居た地下の真上って事だな」

「そうなるな……」

「そして、木の方位で『オーセマモドキ』を執り行っただろう」


 敦が指差した。もちろん、例の廃神社がある方角だ。


「火の方位では豊平が拐われた」


 川崎が話を引き継ぐように言った。


「土の方位では煤男と四つん這い男が現れた」


 敦が確認するように話を続ける。


「そして、金の方位では子供の国分が現れた……」


 川崎が国分を見ていないにもかかわらず言った。敦が言う裏返しの話を信じ始めているのかもしれない。


「じゃあ、水の方位では何が起きるんだ?」

「……」


 話を続ける川崎の言葉に敦は黙り込んでしまった。実際にそれが出来るかどうかまでは分からないからだ。



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