第24話 這い登る虚無
いきなりの出来事に川崎と敦は呆気にとられてしまった。人は予測できない出来事には咄嗟に考えが纏まらないものだ。
豊平が拐われた空間を二人はポカンと見つめているだけだった。
「え?」
「今のは何?」
我に返った二人は止まっている思考を動き出したのか慌ててしまった。
「どうした?」
「何が起きたんだ?」
残された二人はいきなりの事に気が動転してしまっている。
「黒い手が善治の顔を掴んで持っていったように見えた」
「え?」
敦が答えた。
「俺には垂直に切り立った黒い水面に吸い込まれていったように見えてたぞ」
「え?」
しかし、川崎は違うことを言い出した。敦と川崎では、お互いに見えていたモノが違うらしい。
「意味が分かんねぇよ……」
「ああ、でも善治が居なくなったのは事実だよな……」
しかし、豊平が何かに連れて行かれたのは同じだ。
「拙いぞ……」
「崖の方角に持っていかれたと思う」
「いや、崖の縁に居たから足を踏み外したのかも知れん……」
「そっちの可能性が高いか……」
二人は崖の所に慌てふためいて駆け付けた。
携帯ライトで崖下を照らしているが何も見えなかった。そこで呼びかけてみることにした。
「おーーーい、善治ーー」
「おーい」
しかし、二人の呼びかけに返事は返っては来なかった。
「……」
「……」
「光が下まで届かない」
光は夜の帳が降り始めた山の闇に吸いつくされてしまっている。
携帯のライト程度では崖下を照らし出せるほどの光量は得られなかったのだ。
「善治は良く見えていたな……」
「下に降りてみるか?」
「嫌、それは駄目だ」
敦の提案に川崎は反対して来た。
「まだ、無事かも知れないだろ」
「装備も無いのに行ってもどうしようも無いだろ」
彼の言い分ももっともだった。山の事故で素人が助けに行っても、二次遭難のリスクが高くなるだけなのは常識だ。
こういう事態の時には専門家に任せるべきなのだ。
「怪我人を担いで崖を登るのは俺らには無理だって……」
「じゃあ、どうするよ」
川崎が言っている事は正論だった。だが、敦には友人を見捨てるような後ろめたさが有ったのだ。
せめて豊平が無事かどうかだけでも確認したかったのだ。
「携帯が通じる場所まで行って警察に助けを求めよう」
開けている場所にもかかわらず携帯の電波は受信出来ないようだ。山の入口まで行けば大丈夫ではないかと川崎は言っていた。
「うーん、そうするしかないのか……」
敦が単独で探しに行くという手もあるが、それは現実的ではなかった。山に関しては彼も素人であるからだ。
だから、川崎は実態に即した提案をしているのだ。敦も分かってはいるが友人を助けたい気分のほうが勝っていた。
そんな事を二人が話し合っていると、崖の下から声が聞こえ始めた
『……オルヨー……』
「え?」
敦は崖の方に顔を向けた。しかし、風が木々を揺らす葉音しか聞こえなかった。
「今の聞こえた?」
「何が?」
「声が聞こえたろ?」
「んーーー、全然わからん」
川崎には声が聞こえなかったらしい。
『ココニオルヨー』
敦が自分の勘違いかと思い始めた時。再び声が聞こえた。
今度ははっきりと豊平が言っていた通りに聞こえたのだ。ひょっとしたら、それを思い出して豊平が叫んでいるのかも知れないと敦は考えた。
「ほら……」
「……」
川崎も崖の方を向いているが首をかしげるばかりであった。やはり、彼には風の音以外は聞こえないらしい。
「ひょっとしたら善治かもしれないし……」
豊平が崖下に落ちて助けを求めているかも知れないと敦は思ったのだった。
「それって善治の声だったのか?」
「う…… どうだろう……」
声は風に乗って聞こえているので、敦は確信が持てなかった。くぐもった感じに聞こえていたのだ。
「やはり、一度降りよう」
敦が再び言い出した。
だが、声が聞こえている以上、豊平が崖の下に落ちている可能性がある。
崖の上まで引き上げることが出来ないまでも状況を確認するのも必要な行為だ。
「そうだな、善治が怪我をしている様なら、敦が残って俺が助けを呼びいく」
素人の救助に反対していた川崎も、敦のたび重なる説得に応じることにした。
そこで折衷案を提案してきたのだ。
「それが良い」
「了解。 じゃあ、俺が先に降りるから敦は足元を照らしてくれ」
「俺は降りないの?」
「いや、先に俺が降りてから敦の足元を照らすから降りてきてくれ」
「ああ、相互に足元を照らそうって話か」
「そうそう、その方が安全具合が違うだろ」
「流石だね……」
話が決まったので崖から降りる場所を探そうとし始めた。
「少し歩いた先になだらかになっている部分が有った気がする……」
「チラリとしか見えなかったから確信は無いけどな」
「行ってみるか?」
「うん……」
そんな会話をしている二人。
すると。
ガサササッ
崖下から聞こえてくる音が二人の耳に届いた。何かが這いずる音だ。
「……」
「……」
豊平を助けに崖を降りようと話し合った二人だったが、崖から上がってくる異音に気が付き沈黙してしまった。
そして、二人で顔を見合わせてから、崖の方をじっと見つめていた。
ズズーーッ ガサササッ
やはり、何かを引き釣りながら崖を這い登ってくる感じの音だ。二人は、再び顔を見合わせた。
普通であれば熊や猪を疑うようなシチュエーションだが、先程の事を考えるともっと異常な事態になるかもしれないと予感がしていた。
「何か来る……」
「善治かな?」
「見てみよう」
二人は崖の縁まで行って下を覗き込んだ。暗くて良く見えない。だが、音だけは聞こえてくる。
怖いもの見たさで行なっているのでは無い。友人の安否が気になっているだけであった。
ズズーーッ ガサササッ
ズズーーッ ガサササッ
今度は音が増えていた。そして、暗闇の中を這い上がってくる何者かの気配が迫って来るの感じ始めた。
「……」
「何か…… 善治とは違う気がする……」
敦がポツリと呟いた。川崎は無言のまま携帯ライトの光を見つめている。何だか拙いような気がしているが、万が一豊平だったら助ける必要にかられているのだった。
すると、携帯ライトの光の輪の中に一本の黒く長い腕が現れた。それは黒い霧に包めれtいるように見える。だが、長い指があるので手に違いないと思われた。
「やばいっ!」
敦は目が飛び出しそうな程に驚愕してしまった。それは豊平を闇に引き込んでいった黒い手と同じに見えたのだ。
そして、暗闇の中では這いずる音が増えだしていた。
ズズーーッ ガサササッ
ズズーーッ ガサササッ
ズズーーッ ガサササッ
音が増えるのと比例して光の輪の中に入る腕が増えていく。一つの長い腕は崖の直ぐ手前まで伸びてきていた。
それは、敦を虚無の暗闇に引き釣り込もうと画策してるかのように空を探り出している。
「!」
「!」
光の輪の中に彼らの一体が現れた。豊平が言っていた通りに顔と思われる部分は黒い穴が空いているだけだった。
豊平は口だと言っていたが、敦には身体の脇から吹き出している黒い霧みたいなのが穴の中に吸い込まれているようにしか思えない。
光ですら吸い込みそうな黒い穴は全部で三つ。それぞれが目と口なのであろう。その穴が全て敦たちに向いていた。
敦たちを見つめているに違いない。
どう考えても、コレは豊平では無い。きっと、この世の者では無いと敦は確信した。
「ああ、ヤツラだ!」
「逃げろ!」
川崎が叫ぶのと同時に二人とも猛然と崖から離れて駆け出していた。
あのまま崖の上に突っ立っていると、ヤツラに引きずり込まれるのは明白だと思えたからだった。
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