第17話 刻の過影
三人が入っていった電気室は当然ながら室内灯は点いてはいない。それぞれが手に持つ携帯のライトが頼りだ。
ライトに照らし出された内部には様々な機械が並んでいた。ここには肝試しの連中はやって来ていないようだった。落書きなども無いし機器が壊された様子も無かった。
彼らは何故か物を壊すと自分は粗暴で強いと勘違いしてしまうらしい。多くの廃墟が心無い連中に壊されている。
「ここには誰もやって来ていないのか」
「まあ、地下で地味な場所だし興味が無かったんだろ」
電気室内には受電設備機器や、各部署に配電するために電圧を下げる変電設備機器などが設置されていた。この辺は一般的な設備であろう。
もっとも、三人組は電気設備関係の知識がある訳ではなく、壁に貼られたパネルにそう書かれているから納得しているに過ぎない。
「綺麗に並べられた配管の美しさを理解出来ないとは!」
自然が作り出したの景観。日常の悩みから解放されたり、感動的な気持ちになったりする。それを求めて日本各地の景勝地などを訪ね歩きたい衝動に駆られるものだ。
それと同様に、今度は人間の手で作り出した巨大な人工物に癒やしを求める人たちもいる。オレンジ色の光が特徴的な工場群や、幾何学的に入り組んだパイプが醸し出す化学工場夜景などが有名である。横浜には観光船で海から眺めるツアーまであるらしい。
「んー……」
豊平が足元や機械の下などをライトで照らしていた。何かを確かめているらしい。
「ここには動物の毛は落ちてないみたいだな」
「あんな気味が悪いもんがアチコチあったら嫌だろ」
「扉がしまっていたお陰だろ」
三人はそんな事を話しながら室内を見て回った。ライトが思い思いの場所を照らしている。
室内に有る機械は通電されなくなって久しいのか薄っすらと誇りが被り始めていた。
少し暗く感じるので敦は足元を見ながら俯いてついていった。
ホラー映画などで、こういうシチュエーションの場合に転ぶと見なくて良いものを発見する羽目になるからだ。それだけは避けたかった。
何しろ敦のモブ属性は『ツイてない奴』に違いないからだ。
「そう言えば中学の時の中田って奴覚えてる?」
機械のメーターを指先で突付いていた豊平が言い出した。
「技術家庭の教師だったっけ?」
「そうそう」
「直ぐにキレて怒鳴り散らす奴だったね」
敦もその教師を覚えていた。
電気工作の授業の時。手順が分からないので質問したら面倒臭そうに返事をされ、なおも質問するとキレ出したので驚愕したのだった。
(一つの説明で十を理解しろって感じだったな……)
相手が気を利かせてくれるのを待つタイプだ。敦はそういう奴と話をしていると疲れてしまうので苦手だった。
他にも色々と無茶な要求をする教師で、その理不尽さに辟易したものであった。だが、顔はイケメン風なので一部の生徒には人気があったようだ。
「社会体験であいつに連れられて行った会社の電気室がこんな感じだった」
「中房だったから訳が分からなくて、皆が不満を言ったらキレだして大変だったよ」
「パッと見で華やかさの対局にいる場所だからね」
「あはははは」
「皆は綺麗なオフィスで働く人や、厨房で旨そうな料理を作る人とか見たかったんだろうね」
行動できる範囲が狭い子供には、自分の世話をするので手一杯なのだ。
自分の親がどういう仕事をしているのかすら興味を持ってない者も多い。ましてや、他の人がどう働いているのかなどもっと興味が無いだろう。
もっとも、そうだからこそ働く人に関心を持って欲しいとの授業なのだ。だが、大人たちの思惑など子供にとってはどうでも良いのも事実だ。
「そうそう、機械のモーター音が低く響く暗い地下じゃなくてな」
豊平が屋上に束ねられている電線の黒い束を照らしていた。電線は機械を中心にして四方に伸びて壁の中に消えていっている。
「先生としてはそういう場所で働く人も居るって言いたかったんじゃない?」
ある程度の年齢になれば、そういう場所で働く人の必要性も分かるようになる。本来なら言葉で説明するべきなのだが、中には見て感じろなどと無茶な事を言う人も多い。だが、中学生には無理な話だった。
「いいや、こういう場所も知っている俺は偉いって感じだったんじゃない」
「ああ、自分大好き人間だったもんな……」
「確かにそういう奴だった」
今ぐらいの年齢になれば愛想笑いも出来るが、当時なら憮然として沈黙していただけになってしまうの予測が出来た。
せっかく連れて行ったのに期待した反応と違っていたので現場でキレ散らかしたらしい。それには相手の会社の担当者も慌ててしまったに違いない。社会に出た経験の少ない教師にありがちな行動であった。
「察しが悪い上に怒りっぽい人間とかどこでも嫌がられるだろ」
「そうだよな」
「一見すると好人物だけど実際は嫌味な奴って多いからね」
「まあ、社会に適合できないから教師になった口だろ」
「あはははは」
そんな会話をしながら室内を見て回った。
敦は会話をしながら嫌いな教師とかは覚えているけど、良い印象を持っていた教師は名前や顔すら覚えていないのを不思議に思ってしまった。
(子猫時分に狸に苛められた猫が、大きくなって狸を苛め返す話を思い出すな……)
きっと、自分は猫のように執念深い性格なのだろうと敦は考えた。
(思い出ってのは楽しい事の方が多いはずなんだがな……)
時間の経過を刻んだ影が過ぎ去ろうとしている。それを思い出の断片と言うのだと敦は考えた。
だが、楽しい思い出より失敗した思い出や、嫌だった出来事のほうが鮮明に思い出してしまう。
(日常が普通過ぎてるのかもしれん……)
そのために嫌な出来事のほうが記憶に残りやすいのだろうと敦は推測していた。
(楽しい事ばかり覚えるって方法は無いものだろうか……)
生きることを苦痛と感じてしまうのは長い人生の中で良くある事だ。それをどうやって折り合いを付けて過ごすのかは個人資質である。
残念な事に敦は折り合いを付けるのが苦手な方なのだ。
「そう言えば、この間見た夢が奇妙だったよ」
川崎が何となくという感じで話し始めた。黙っているのに耐えきれないのだろう。
「どういう風に?」
「家に帰ろうとエレベーターに載ったんだ」
「夢の中で?」
「そう、ところが八階建てのマンションの三階に住んでたんだけど、その階で停止してくれないのよ」
「ほう」
「それで八階が最上階のはずなのに十階、二十階と際限なく上昇していくんだわ」
「故障してたんじゃね?」
「いや、俺が唖然としているとガクンと止まって今度は下降しはじめた」
「まるで某国製のエレベーターみたいだね」
「あの国のは爆発するだろ」
ここで三人とも笑いだしてしまった。
「それで或るはずのない地下で止まったのよ」
「お前の住んでる所は地下が無いじゃん」
「うん、だから不思議なんだ」
「それで?」
「エレベーターのドアが開いたけど、そこは何処まで行っても何も無いフロアだった」
「まさか、降りたの?」
「ああ、降りちまった」
「夢の中とは言え度胸あるなー」
「はははは」
「で?」
「振り返るとエレベーターが消えていて木のドアが在るだけだった」
「いきなりの展開だね」
「で、ドアを開けようとしてる所で目が覚めた」
「怖いと言うより不思議な話だな」
「ああ、もっと不思議なのは妹も同じ夢を見ていたんだよ」
「さすが兄妹だな」
「うん」
「……」
その話を聞いていた敦は、川崎が夢の中で見た閉じたドアの事を考えていた。
夢占い的に言えば、閉ざされたドアは人付き合いを避けている姿勢や、誰かに対する拒否反応の現れと言われる。
(人付き合いが得意そうな川崎にも、苦手な奴が居るって事なのか?)
ひょっとすると自分かなと考えてしまった。敦は気分が落ち込みだしているらしい。
すると、川崎が声を掛けてきた。
「敦、どうした? 元気がないぞ?」
「まだ、暗い場所が苦手なのか?」
「少しな……」
敦は友人たちの気遣いに少し感謝していた。出来ればこのまま一階に戻って貰えるとありがたかった。
「さあ、次の部屋だ!」
「よし、行こう!」
「ええーーー」
彼らは地下の部屋を全て見て回るつもりらしい。
敦は異議を唱えたが二人はスタスタと行ってしまう。結局、川崎と豊平の後ろを少し離れてついて行く形になったしまった。
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