第11話 忘却の残滓

 三人は待合室からカウンターの裏側に周り事務室内を見て回った。

 室内には島式に机が四つあって、それぞれに電話機は置かれているが受話器だけが無かった。


「何で電話機に受話器が無いんだ?」

「受話器マニアが持っていったのかも……」

「どんなマニアなんだよ」

「俺らに分からないだけで、以外と奥深い世界かも知れないじゃないか……」

「いやいや……」

「さあ、君も受話器マニアにならないか?」

「いやいやいや……」


 川崎と豊平の掛け合い漫才を聞きながら室内を見回した。

 壁には書類棚がずらりと並び、中にはビッシリと書類が詰まっていた。


「カルテも残しっぱなし……」


 アイウエオの仕切板が見えるので入院患者のカルテなのだと推測できた。

 壁に掲げられた時計の秒針は動いておらず、実は部屋の中の時間の方が止まっているのではないかと錯覚してしまいそうだった。


「どっかの中小企業の事務所って感じだね……」


 事務室なので医療器具など有るはずが無い。だから、一見すると何処かの会社の事務所と言われても分からないであろう。

 三人はキョロキョロと室内を見ていた。

 特に何か目的がある訳ではないが、日常では見る機会がないので珍しかったようだ。


「病院って子供の頃は良く連れて来られたけど、高校出ると疎遠になってしまうな」


 敦も病院には結構な頻度で世話になった方だ。長い時間待たされて数分で診察が終わるのを不条理に感じたりもしていた。それに消毒液の匂いがすきでは無かったのもある。


「医者と言ったら歯医者ぐらいか」

「あそこは今でも苦手だ」

「デカイ成りして何言ってるの」

「そういうお前はどうなんだよ」

「嫌いに決まってるだろ」

「うはははは」

「ふふふ……」

「無芸大食が俺たちの唯一無二の取り柄……」


 川崎がそう言うと皆で笑ってしまっていた。確かにその通りだったのだ。

 自分たちの年代は身体が丈夫なだけが取り柄で、病院に通院する機会が少なかった。

 身内が入院でもしないと、大きめの病院には用が無いのだろう。


「名簿やら議事録やらがそのまま残されている……」

「今だったら個人情報警察が大騒ぎするだろうな」

「安全だと思い込んでる場所で騒いでるだけの連中なんざ怖くないよ」

「潰れちまって誰も片付けに来なかったんだろ」


 無償で後片付けなどに来る奇特な人はいないものだ。多くの書類やカルテは捨て置かれていたようだ。


「まあ、山奥だしね……」


 事務室の壁にカレンダーが掲げられている。何やら書き込みが色々とある。

 だが、専門用語か略語で書かれているので意味が不明であった。


「十年前の奴だな」


 富士山の絵が書かれたカレンダーの年は十年前で、捲られている月は十月で止まっていた。

 カレンダーの様子を見るとその当たりで倒産したらしい。


「何が有ったんだろうね?」

「山奥過ぎて患者が来なくなったんじゃないか?」

「入院治療がメインの所みたいだから関係ないと思うよ……」


 病院の倒産は珍しくは無いものらしいが、室内の様子を見るにいきなり活動を停止した印象を受けた。


「じゃあ、何か事故があって患者が一斉に居なくなったとか?」

「さあ、どうだろうな……」


 事務室の隣は医局と書かれていた。薬などを調合する場所であろう。薬品も戸棚の中にしまってあり、まだ新しそうな感じだ。

 看護師詰め所には医療器具などが雑多に置かれている。その奥には古いカルテなどの保管庫があった。


 続いて処置室に足を踏み入れた。そこの壁際に設置されたガラスケースには、主の帰りを待ち望む様々な道具達が光り輝いている。

 隣の診察室には机と椅子と処置用のベッド。窓に掛けられたカーテンは途中まで開かれていた。窓の外では雨が降り続いているのが見える。


「まあ、どうって事ないな」

「薄暗いとはいえ昼間だしこんなもんだろ」

「なんか思ってた廃墟とは違うな……」


 敦が思い描く廃墟は、足の踏み場もないほどに荒らされた室内や、壊れかかった天井を壁がかろうじて支えているような印象だった。


「外は草が茫々に生えていて廃墟然としてるがな……」


 しかし、想像していた廃墟と違って、思っていたよりも中は整理されていた。

 逆にその様子は患者が残っているのではないかと思えて、敦の恐怖心を増幅させてしまっていた。


「入院病棟も見てみようか……」

「ええ、もう良いだろ」


 敦としては待合室に戻って、コーヒーでも飲みながらまったりとしたかったのだ。


「ビビルなよ」

「ふはははは」


 敦の抗議を無視して川崎と豊平の二人は奥に向かって歩いていってしまった。

 建物の中程ある階段を挟んで入院病棟となっていた。


 一階の病棟は四室あった。それぞれ病室内にはベッドが四つあり、シーツなどが掛けられたままだった。

 室内は荒されておらず、床などは薄っすらと埃が見える程度だ。ベッドの脇にある小机には患者の薬らしき袋が載っている。

 カーテンは開けっぱなしで、外光に照らされた室内は先程まで誰か居たような印象を受けた。


 すると、一つのベッドの小机に小型のアルバムが残されているのに気が付いた。写真館などで現像プリントすると貰える二枚づつ入るタイプで、元はピンク色だったと思われる表紙をしている。

 上に書類らしき紙が乗っていたので忘れていったのであろうと思われた。


「……」


 アルバムの表紙は色褪せていて埃っぽかった。ということは、アルバムは長い事放置されていたのだろう。

 中を見ると、如何にも年代物といった感じの服装した初老の男性が写されていた。きっと、持ち主に違いない。


 最後の一頁をめくると、そこには病室と思われる写真があった。どの部屋も似たような構造であったが、写り込んでいる窓が似ていたのだ。


「?」


 その写真には老人の他に写り込んでいる者が居た。子供だ。しかし、ボヤケて居るためにハッキリと顔貌までは分からなかったが、何となく男の子っぽいなと敦は思ったのであった。


(孫かな……)


 そんな事を考えたが、孫であれば顔がハッキリと写すものであろう。孫を蔑ろにするお祖父ちゃんなど聞いたことが無い。


(偶然通りがかった子供だろ……)


 とりあえずは、そう納得することにした。他にもナニカ珍しいものがないかと机の引き出しを勝手に開けたりしていると川崎が笑い出した。


「ふふふ…… こんな山奥でも肝試しに来る連中は居るんだな」


 川崎が壁を指差しながら笑っていた。そこには肝試しに来た連中が残したと思われる落書きがあったのだ。

 こういった廃墟では肝試しに来た証に落書きを残されていく事が非常に多い。


『久しぶり』


 白い壁に赤いペンキらしきもので書かれていた。他には書かれておらず、この文章だけが壁の中央に書かれていた。


「……」

「…………」

「ぷっ」

「挨拶されちまったよ」

「普通はナニナニ参上とか書くもんじゃないか?」

「ああ、いじめられっ子の名前とか良く書かれていたな」


 川崎は敦と違って肝試しとかには良く行っていたようだ。

 もっとも、高校が違っていた事もあり、敦が川崎の肝試しに誘われる事は無かった。時々、武勇伝の内容を電話で聞かされていたりした。

 豊平は肝試しに行くくらいなら海釣りに行くタイプなので興味は無かったようだ。


「挨拶したかったんだろう」

「下手な字だよな」

「ああ、角張った字をもう少し丸くすれば上手く見えるのに……」

「俺の字にそっくりだ」

「お前は字が汚いもんな」

「ひでぇ」


 川崎や豊平に字が汚いと言われた敦は少しむくれた。事実だけに反論のしようが無い。

 それにしても、壁に書かれた字が自分の字に似ているなと敦は思ったのだった。


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