第8話 祀るモノ

 三人は車に戻ろうと渓流のある谷底からの道を登っていった。

 先頭は川崎が務め、それに豊平と敦が続いていた。来た道なので勝手は分かっているつもりだ。


 だが、下りと違って登りは結構難儀な物だ。渓流釣りのつもりだった事もあり、足元は登山用の靴では無いので歩き難いのだ。

 三人とも大きな釣りボックスを肩に掛け手には竿を持っていた。


(ナップザックにすれば良かった……)


 敦は少しだけ後悔しながら登っていた。ナップザックの方がバランスを取りやすいためだ。

 そして、登っている間にも雨脚は強くなっていき山道はぬかるみ始めていた。

 登る身にとっては、道のぬかるみで体力を消耗する気分になってしまう。


「こんなに強い雨が降るって予報で言ってたっけ?」

「晴れるって聞いてたぞ」

「森さん……」


 足早に道を登っているはずだが、思うように前に進めない。段々、自分の身体に雨水が染み込んでくるような感触を覚え始めた。


「ぬぉ、パンツに水が染みてきた……」


 それは全員同じであろう。靴はとっくに水浸しだ。


「あと、ちょっとの所までもう少し!」

「なんだよソレ、あはははは」

「ふふふ……」


 トンネルを抜けてから五分もかからずに付いたはずなので、三人とも『後ちょっとで到着』の感覚であった。山道を下るだけだったので楽だったのもあった。

 だが、川崎が暫く歩いた所で立ち止まってしまった。


「こっちで良かったっけ?」

「んー、合っていると思うけど……」

「随分と登ってる気がする……」


 豊平が振り返っても藪が見えるだけだ。川は水音がするのだけになっていた。


「迷った?」

「景色があんまし変わらないからな」

「分岐とか無かったよな?」


 川へ降りる時には一本道を降りたはずだった。いくら登りの方が時間がかかると言っても掛かり過ぎだと感じていた。


(んーーーー)


 ひょっとしたら上から見ただけでは分からない、分岐した道があったのかも知れない。敦はそう考えていた。


「一度、川まで戻る?」

「いや、道がぬかるみ出してるから危なっかしいと思うぞ」

「もうちょい進んで見ようか?」

「そうするか……」


 三人はもう少し道を進んでみて、駄目そうなら川まで引き返そうと決めたようだ。

 雨がザァーッと降る中を進んでいくと唐突に藪が切れた。


 縦横十メートルぐらいであり草木などは生えていない。深さが三メールぐらいですり鉢状になっている。そのむき出しの地面は砂のような感じの広場のような場所だ。

 場所を囲むように木は生えており、周りの風景と異なるものであった。


「何処だ?」

「ここは干からび池って場所かもしれないな……」

「ああ、府前市の都市伝説であったな」


 敦は小学生ぐらいの時に、干からび池の事は都市伝説の一つとして聞いたことがあるのを思い出した。

 誰も手入れしていないのに水が無くなってしまう池が山奥に存在すると言われていた。そこには巨大な蟻地獄が居て近付く者を、池の底に引きずり込んでしまうと噂されていたのだ。


 だが、中学生くらいになると農業用の溜池なのだと思うようになり、噂自体を忘れてしまっていた。


「向こう側に見えるのは建物じゃね?」


 森の木々の間にコンクリートらしき壁が見え隠れしていた。だが、そこに辿り着くのには再び藪の中を分け入って行かねばならない。


「池を回り込むのめんどくさいな……」

「じゃあ、干からび池を突っ切ろうぜ」


 川崎がそう提案してきた。藪の中を歩くのに辟易してきた他の二人も賛同した。


「蟻地獄が居るって話じゃなかったっけ?」

「おいおい……」

「巨大な蟻地獄…… クスクス」


 川崎は笑いながら干からび池の中に降りて行った。結構、豪胆な性格なのだ。


「小学生の時には怖くて震えたけどな」

「逆に見てみたいもんだ」


 三人はそんな伝説の事など気にせずに池の中に入り込んだ。底の方には水が少しだけ溜まっていた。

 恐らく底には排水口でも有るのだろう。


(利用する人がいないので開きっぱなしになっているのかも……)


 実際の事は分からないが、草が生えていないのは誰かが管理しているのかも知れないと考えたのだ。

 山の中では少しでも陽が当たる場所には瞬く間に雑草が生い茂ってしまうからだ。


「ん?」


 敦はふと見ると有るものを発見した。池の縁の所にぽっかりと穴が空いているのだ。


「あそこに洞窟があるから一旦入ろうか」


 敦が提案してみた。歩き通しで少し疲れていたので休憩したかったのだ。


「ああ」

「了解」


 他の二人も同じだったらしく賛成した。


 入ってみると奥行きは五メートル程で入り口からの光が奥まで届くようだった。洞窟は土が剥き出しの状態で所々に木の根が飛び出していた。

 誰かが住み着いている様子は無かったが、一番奥には木で作られた机が有った。


「洞窟と云うより祠だな」

「ああ……」

「工具を使って掘った跡があるな……」


 豊平が指差す壁面にはノミか何かで引っ掻いたような傷が無数にあった。ここは手彫りの祠であるようだ。


「ん……」


 敦は耳鳴りがしはじめた。耳全体を手のひらで覆ったような圧迫感がしているのだ。

 少しだけ顔をしかめた敦は祠の中を見回してみた。するとこの場所にそぐわない物があった。


「アレなんだろう?」


 敦が指差すのは机の上にある祭壇の様な物だ。箱に神代が貼られているが、古い物なのか剥がれている。


「祭壇……かな?」

「なんか箱みたいなのが有るぜ」

「辞めておけよ」


 その祭壇に近付こうとした敦を川崎が止めた。


「何で?」

「誰かが祀っているみたいだぜ」


 川崎が地面を指差した。そこには足跡が祭壇に続いているのだ。それを見て誰かが祭祀に訪れていると判断したのだろう。


「この付近に住んでいる人かね?」

「ここに来るまでの間、民家なんか一軒も無かったじゃんか」


 確かに藪と言うか森が広がっているような場所であった。


「……」


 地元の人が土地神を信仰するのはよくある事だ。誰も居ないと言っても、今は都会に越していった元住人なのかもしれない。

 川崎がしゃがんで地面を眺め始めた。


「…………」


 だが、地面を眺めていた川崎がある事実に気が付いて眉をしかめた。


「外に出ようぜ……」

「まだ、外では雨が降っているよ」

「ここに居ると気分が悪くなるんだよ」

「そういえば、祠に入った時から耳を圧迫されているような気がしているんだよ」

「ああ、実は俺もだ」


 敦は自分以外も耳鳴りがしていたのにビックリしてしまった。

 三人は自分の荷物を持って再び祠の外に出た。外はまだ雨が降り続いていた。


「あのな……」


 祠の外に出た川崎が口を開いた。


「あの祠は誰かが来てるんじゃない……」

「え?」

「え??」


 川崎が意外な事を言い出した。


「誰かが出てきてたみたいなんだよ……」

「何で分かるんだ?」


 豊平が川崎に聞いた。


「あの祭壇から祠の外に向かって足跡が付いていたんだ」

「ちょ……」


 敦は川崎が何を熱心に見ていたのか理解した。


「それに、あの祠の入り口は水面の下だったはずだぜ」


 川崎が指差す先をよく見ると崖っぷちに水面の跡が見えていた。枯れた水草がへばりついている。


(じゃあ、池の水が無くなった理由って……)


 敦は水が無いのは誰かが排水管理しているものと思っていたが違うような気がしてきた。それに祠に入った時に感じた耳鳴りが出た瞬間に無くなったのも気になっていた。


「何が出て来たんだろうな……」

「さあな、知りたくも無いよ」


 川崎が吐き捨てるように言った。


「幽霊にビビッてるのかよ」


 そんな川崎を豊平がからかうように言った。


「そうじゃない、分けわからんものは苦手なだけだ」


 川崎は憮然として答えた。

 幽霊を怖がらない癖に魑魅魍魎は苦手なタイプらしい。怖がりの敦には違いが分からなかった。


「さっき見えた建物に行こうぜ」

「ああ、そうしようか」

「ここは何だか気味が悪いしな」

「そうだな」

「……」


 確かに誰かに見張られているような気配を敦も感じていた。だが、見回してみても自分たち以外に何処にも人間の姿は見えない。


(まあ、気にしてもしょうがないか……)


 結局、何も分からないまま干からび池から逃げ出す事にしたのだった。



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