第7話 飛び出し注意
三人は敦の反対もあり、大人しく渓流釣りを楽しむことにした。
山道の適当な場所に車を止めて山の奥へと入ることにするようだ。
本来なら道路沿いの河原で釣りを楽しんでも良い所だが、今回は敦が知っているポイントは山の奥にあるのだ。
「良い形のヤマメが釣れるポイントが有るんだよ」
最初は父親に連れられて通ったが、中学生ぐらいになると独りで行くようになった。
「塩焼きにすると最高だよな」
「ああ、腕が鳴るぜ」
そんな事を言い合いながら山道を登った。すると、トンネルが見えてきた。
渓流釣りに向かう為にはトンネルを通らねばならない。
「?」
だが、敦が覚えているトンネルと違うような気がしていた。そのトンネルは車が一台やっと通れるほどの幅で、出入り口はレンガブロックで作られている。
作られたのは昭和初期ぐらいで、当時には一般的なトンネルであったろう。
目の前にあるトンネルも見た目は一緒だった。
「何だか違う気がするんだが……」
敦の記憶するトンネルは短く反対側の出口が見えていた。しかし、このトンネルは山に沿ってカーブしていた。
そんな特徴があればいくら敦でも記憶に残るはずだからだ。
「でも、トンネルの向こうから川の音が聞こえるぞ?」
豊平がトンネルの奥に耳を傾けている。
「確かに……」
川崎にも聞こえているようだ。敦にも聞こえていた。
「じゃあ、このトンネルを抜けるか……」
若干の不安を覚えながら敦たちはトンネルを通って川に向かう事にした。敦は自分の記憶違いかもと考えたのだ。
「最近来たのは何時よ?」
「四年位前かな?」
山道で転んでからは来るのが億劫になり来ていなかった。それで記憶が曖昧に成っているのかも知れない。
すると、敦は何か背後から気配を感じた。誰かがすぐ後ろにいるような、なんだか落ち着かないものを感じとったのだ。
「……」
当然、振り返って確認したが誰も背後には居なかった。
「そんなに前なら変わってもいるだろ」
「そうかな……」
「なんだアレ?」
見ると奇妙な看板が立っていた。それ自体は何の変哲もない『飛び出し注意』の標識だ。
問題はトンネルの中程にある事だ。もちろん両側は壁。人も動物も飛び出しようがない場所である。
「なんでこんな所に看板が有るんだよ」
「誰かの悪戯じゃね?」
「でも、基礎の部分は壁に埋め込まれているな……」
つまり、意図的に埋め込まれて固定されいる看板なのだ。誰に向けての警告なのかは不明だが気分の良いものではない。
「んーーー?」
「まあ、何か飛び出してくるんだろ」
川崎は気にならないのか先に進んでいった。
(やっぱり違うトンネルだな……)
このトンネルは敦が知っている場所では無い事が確信したのであった。
変な看板があれば覚えているはずだからだ。霧の中を進んだので道を間違えたのだろうと納得することにした。
(まあ、新しいポイントが開拓できたと思えば良いか……)
それでもトンネルの向こうには川があると思えば少し気分が高揚する。気を取り直して進んでいった。
トンネルを抜けると鬱蒼とした森であった。トンネルがある場所は恐らくは旧道で現在は使われていないのであろう。舗装されていない獣道のような広めの道が続いていた。
(うーーん、自然に還りつつ有るな……)
人の手が入らないと山は直ぐに自然に戻ろうとする。ここは自分たちの領域だと言わんばかりだ。そういう自然のダイナミズムが敦は好きだった。
三人が藪になり始めた獣道を進むと川に出た。
ゴツゴツとした岩の間を縫うように川が流れている。川幅は五メートルといったところだろうか、起伏もあり良好な渓流ポイントだ。
「おおっ!」
「ここなら鳥とかから隠れやすいから大物が居る可能性があるな」
「確かに」
川崎は大きめの石を移動させて大雑把な囲いを作ると、周りの木々を集め焚き火の準備をした。
敦も手伝おうと薪を拾ってきた。
「それは生木だ。 煙が出て煙いだけだぞ」
そう豊平に笑われてしまった。彼もアウトドアが得意なのだ。
「火起こしはどうする?」
「俺がやる!」
川崎はマッチやライターを使わずに火打ち石などを使って火を起こすのを好んだ。
「あの炭化した布に火花を飛ばして火種を作るやつ?」
「そうそう、お前みたいにライターで火を着けるのは味気無いってもんだ」
「便利じゃん」
豊平はライターを使って火を起こすのを好むようだ。そこら辺は好みの問題なのだろう。敦はライター派だ。
「火を起こすのは釣れてからで良いよな?」
「そうしよう」
「賛成」
実際の火入れは魚が釣れてからにしようと三人で話し合った。
「じゃあ、誰のが大きいか競争な」
「わかった」
「任せろ!」
そう言って各々が釣りを始めた。
釣りの良い所は雑念を遮断できて一つのことに集中できる所だ。俗世でアンナコトやコンナコトを忘却の彼方に追いやることが出来る。
魚の一挙一動を竿先で感じ取れる気がする。それは、魚と会話しているような気がしてくるものだ。
(まあ、連れたら食べちゃうんだけどね)
敦はそんな事を考えながら釣り糸を垂れていた。
川のせせらぎが心地良く響き天気にも恵まれて、絶好の釣日和だと誰もが最初は思っていた。
ところが、小一時間もすると風が冷たくなってきて空も暗くなり始めた。雨が降り始める合図だ。
「雨が来そうだな……」
敦がそう呟くと同時にポツンと雨が頬に当たった。敦の予感は悪い場合に限って当たるのだ。
「降り出してきた……」
「ちっ」
三人はそれぞれ合羽を羽織り始めた。コンビニで万が一にと購入した物だ。安いので使い捨てが出来て便利なのだ。
「ああ、コンビニで合羽買ってきて良かったぜ」
山の天気は変わりやすいからと川崎が皆に勧めて買わせたのだ。少々の雨なら凌ぐことが出来る。
「直ぐに止むかな?」
「雲の流れが早いから通り雨じゃないかな?」
「だと良いけど……」
三人の願いも虚しく、雨は段々と強くなっていく。
「渓流でこの大雨は危険だな」
「なんで?」
「水嵩が急に増えるから危険なんだよ」
山間の雨水が直ぐに集まってしまうので、川の水量増加が極めて早いのだ。
降り始めて十分もたたないが川の流れが早くなってきたような気がしてきた。
「水が増えるぐらい良いだろ」
「足を取られて怪我をする可能性が高くなるぞ?」
一般的に膝より上に水流が来ると、成人男性ですら立っているのが困難になると言われている。ましてや、足場の悪い川の中では尚更だった。
「んー」
言われてみれば確かにそうだ。光が乱反射して水面下が見えなくなるし、川辺の岩も濡れて滑りやすくなるのだ。
釣りたてのイワナを塩焼きにして楽しみたかった敦は考え込んでしまった。久方ぶりの釣行というのもある。
「それに、こんな山の中じゃ救急車を呼ぶのが大変なのよ」
「そう言えばそうか」
だが、安全には変えられない。
「一旦、止めてトンネルまで引き返そうか……」
「その方が良いな」
「ああ、鉄砲水が来たら逃げ場が限られてしまって拙いからな」
それなりに経験もある三人は釣りを中止してトンネルまで戻ることにした。そこで、雨が止むのを待つのだ。
「うひぃ、雨がキツくなってきた」
「もうちょい待ってくれよ」
「わはははは」
三人が帰り支度し始めたのを嘲笑うかのように雨脚が強くなっていった。
「合羽だと動きが鈍くなってしまうなあ」
「簡易ガスコンロ持ってきたから、待機している間にコーヒーでも飲もうか」
「良いね」
「賛成」
三人は慌ただしく荷物をまとめてから、トンネルを目指して渓流を後にしたのだった。
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