第22話 未知の道をゆくための羅針盤
白いレースのカーテンの隙間から陽が差し込む。さっきまで観ていた景色が全て夢の中の出来事だったことに、僕は何回か寝返りを繰り返してから気が付いた。寝ている間にグシャグシャになったであろう髪の毛に触れてようやく現実世界の記憶が蘇ってくる。昨晩、寄り添うように寝ていたはずの絢香の姿が消えている。
ふと寂しい気持ちに襲われた僕は、日課である『夢日記』でも記しておこうかと思い、薄れゆく記憶を辿りながらそれを脳内で簡単にまとめあげた。その時、遠くの方からこんがりと焼けたパンの香りがしてきたのである。振り返ってキッチンへと視線を向けると、家着のまま慌ただしく動く絢香の姿が見えた。僕はゆっくりと上半身を起こして寝起きで霞んで見える眼をこすりながらキッチンへと向かった。
そして僕が目覚めたことにも気づかずに一生懸命に調理している絢香に言葉を投げかけた。
「おはようございます、絢香先生!
美味しそうな匂いしますけど、何を作ってるんですか?」
いきなり背後から話しかけられた絢香は一瞬驚きの表情をみせながら「おはよう!」言った。
「アキラが目覚めたら朝ご飯食べるかなぁと思って簡単にコンビニでパンと卵買ってきたの。」
絢香はフライパンを片手に持ちながら顔だけを僕に向けて満面の笑顔を見せた。
「アボカドのサラダもあるんですね!
マジで美味しそう!ありがとうございます!」
僕は感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
「すぐできるから座って待ってて!
あ、できるならば布団だけ畳んでおいて!」
「了解です。絢香先生とのモーニングコーヒー楽しみにしてるね!」
僕はリビングルームに戻ると布団を畳みながら、アコースティックギターだの読みかけの本だのですっかり散らかってしまった部屋を眺めながら、一夜にして自分の部屋みたいになってしまったな、と反省しながらも、結婚生活ってこんな感じなのかな?と想像しながら、一人絢香にばれぬよう、心の底から込み上げくるニヤニヤを隠すため髪の毛で前髪をつくりながらうつむいた。
「アキラ朝食できたよー!取りに来てー!」
朝食は、ベーコンと目玉焼きとサラダのプレートに、トーストが2枚、アボカドとトマトのサラダ、コーンポタージュなどでテーブルいっぱいに埋め尽くされた。朝食を食べながら雑談をしているとまるで結婚間近のカップルみたいに思えてきて幸せに感じる。
「一流ホテルも顔負けのモーニングですよね!」
パンを頬張りながら僕は絢香に言う。
「沖縄だとだいたいスパムとエッグスの組み合わせが多いけれど、私のお母さんは台湾人だからあまりスパムの缶詰は食べないのよ。」
「あ、そういえば絢香先生ってハーフでしたね!
うちは母親が沖縄出身だしスパムも親戚の叔母様が定期的に送ってくれるから馴染みありますよ!」
「私自身はスパムけっこう好きなんだけどねー。
父親は混じりっ気なしの100パーセント沖縄人だから子供の頃から沖縄料理とアメリカ料理で育ってるから。」
「世代的にはうちの母親と同世代ですかね。
確か、沖縄は1972年頃までアメリカ軍の統治下にあったからアメリカの影響は大きいみたいですね。」
「そうみたい。確か、一ドル360円の時代にドル建てでお給料貰ってたらしいから内地の人よりかは得してた人も多いみたいね。」
「まぁ、朝鮮戦争の特需とかもあって、その後、日本は高度経済成長を成し遂げたみたいですしね。でも、ベトナム戦争の時も沖縄からガンガン戦闘機が離発着してたらしいから、日本は無条件で平和な国であったみたいな意見は沖縄の人からしたら失礼だと思ってますよ。
ところで台湾はどうだったんですかね?」
「うちの母親も若くして台湾から沖縄に嫁いできたけれども、あまり故郷のことは話したがらないから解らないのよ。台湾は親日家が多いことで知られているけれども、あくまでも、昔から沖縄と台湾の関係が良好だったことが大きいみたいよ。琉球民は貿易が上手だし他国からは誠実で信頼されてきた歴史があるからね。」
「朝鮮民族と琉球の文化交流も盛んだったみたいですよね。まぁ、元を正せば日本も、漢字や仏典や建築技術など大陸から輸入して栄えた歴史があります。今は政治的な意見は対立してますけれども、民衆の文化交流までは制限できないですね。」
僕は絢香との話しに夢中になっていて気がつかなかっだが、時計の針はすでに10時を過ぎていて、今日の予定が気になりはじめていた。昨晩、那覇新都心店で突然倒れてしまったという僕は全く記憶がないままにこの仮眠部屋で寝ていた。一応、個人事業主なので東京に帰っても幾らでも仕事はあるが、占術の師匠(メンター)である佳子(よしこ)先生からの依頼で家元のお仕事を最優先するように言われていたことも思い出した。原因がわからず急に恐怖心に襲われた僕は、それとなく絢香に訪ねてみることにした。
「絢香先生。昨晩は急に倒れてしまったみたいですみませんでした。佳子先生からは家元のお仕事を最優先するように指示を受けていますけれど、果たして、僕に任せて貰えるお仕事などあるでしょうか?」
絢香は僕の顔つきが急に真面目になったことが可笑しかったのか、クスクスと笑いながら、「心配しなくても大丈夫!」と言ってコーヒーが入ったカップを口にした。ふぅーっと深呼吸をしてから少し小悪魔な視線を向けて彼女は話を続けた。
「アキラは心配性なんだね〜!大丈夫だから!
東京には数えるくらいしか占術師がいないんだし、沖縄だって同じことだよ。
発送作業をしてくれるアルバイトの子たちがいてくれるから成り立っているけれど、残念ながら、彼女達はアルバイトと割り切っているから、鑑定はできないので、人手不足なのよ。
それにうちはインターネットの売り上げが一番大きい会社だからアキラは本来、沖縄にいたとしても東京にいたとしても基本的にやることは変わらない。
ただ、リアル店舗で学んで欲しいのは、商品の値段を覚えたり写真の撮り方をマスターしたりしてさ、
何年後かに東京にリアル店舗構えた時には、アキラにマネージャーとしての役割を担って欲しいからだと思う。過去の経験から言わせてもらえば、期待されてる人材というのは、色々な部署を経験させられるものよ。アキラが成長した先にうちの会社の未来が見えるの。どうかな?私の意見?」
絢香がバーっと一気に話してくれた中で、僕はその家元や佳子先生や絢香の期待とやらに応えられる人材ではないであろうことを悟ってしまった。僕は絢香の凛とした瞳を見つめ返して嘘を言おうとしている自分に少し嫌気が差した。が、思いつくままに東京進出後の未来を語り合うことにした。
人は40歳にして惑わず、50歳にして天命を知る、とは孔子の言葉だっただろうか。
僕は8月27日の誕生日で35歳になったばかりだ。
まだまだこの先も長く続いていく未知の道を渡っていくには、羅針盤が必要だ。
絢香との対話はミステリアスで楽しいが、一緒に船に乗ってしまえば、すぐにでも迷子になってしまうかもしれない。そう強く感じるのであった。
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