第18話 夢から醒めないままあなたと

ぷるるる、ぷるるるる。


ガチャ


「はい橋本です!あーなんだ。兄貴か?

誰かと思った。

今??

別に暇だけど。


プータローってわけじゃねーよ、フリーターって呼んでくれよな!笑


あ、そんで現場どこなの?


わかった。

大森海岸着いたら電話すりゃいいんだろ。


んじゃ明日ね!」


翌日の早朝、僕は実家に寄って兄貴の作業着に着替えていた。定年を迎えて兄貴の料理を作ることに生き甲斐を感じていた母親から、ご飯食べていきなさい、と壁越しに言われたが、コンビニで買って食べる、と告げて、スライド式のドアをあけて洗面所に向かった。


「今日はオニィちゃんの作業着なんか着てどこ行くの?」

母親は沖縄生まれでたまにピントはずれのセリフを吐く。こんな格好して行く場所など仕事以外にあるだろうか。

「ん、仕事忙しいからしばらくアルバイトしてくれだってさ。現場は大森海岸だよ。」

僕は棚からタオルを2枚取り出してリュックサックに入れた。


玄関の前で座りながら靴を履いて紐を結ぶ。

玄関には所狭しと五人家族の靴が置かれていて、靴棚には、古着好きの兄貴の靴でほぼ占領されている。

玄関の靴棚には入りきらなくて兄貴の部屋のタンスの上には透明の収納ボックスが大小5台ほど積み上げられていて、その中にも古着の冬服やセーターがびっしりと詰められいて、収納ボックスと背の高い衣装ダンスの間にも靴の入った箱が積み上げられていた。


一説によると、出世する男は靴を観れば解ると言われているらしい。

人の足元をみられるとは靴を観て手入れされているかどうかとそのような意味も込められているのだ。

どんな職業であれ、一番の商売道具は靴かもしれないな。

特に現場作業員をしていた僕だからなんとなく解る。

僕はせっかくスーツ用の高い革靴を買ってきても靴べらを使う習慣がないからすぐにかかと部分の生地が剥がれてしまい、ダメにしてしまうのだ。

来世生まれ変わってきたとしても、サラリーマンだけにはなれないなと心の底からそう思う。

逆に、良いスニーカーは足を楽にさせてくれる。

現場作業員だったとしても、大工の見習いの時から自分の足の形に合った靴を選ぶように厳しく言われていた。

外装の現場仕事をしている時は、外履きと内ばきでわけなければならずに、外履きの靴は出勤する際にも履く靴なので、電車にも乗るのだしあまり変な靴は選べない。

だからスポーツ用品店へ出向きデザインチェンジまで売れ残って値下げされている一流ブランドの靴だけを買うことにしていた。

兄貴は現場監督だからスーツで出勤することもあるし、もともと古着好きだからレッドウィングの靴をもう何十年も履いていて、最後には現場作業用に回すほど物持ちの良い人なのだ。

兄貴のように高いけど良い物を何年も着続けるのか、僕のようにファストファッションとハイブランドの服を2シーズン毎に買い換えるのとどっちが特なのか。

理系男子と文系男子ではお金の使い方や価値観がまるで違うことに対して、深くまで考えたことはなかったが、最終的に勝つのは理詰めで考える理系男子なのだろう。


実家のマンションのロビーを抜け自動ドアが開くと、夏の朝の清々しい空気に包まれて仕事モードに入って行った。


蒲田から京急蒲田線へ向かう間にあるコンビニで朝飯のパンとコーヒーを買って店の前で食べながらぼんやりと街の景色を眺めていた。

パンを微糖の缶コーヒーで流し込むと、じわりと額からあせが出てきて、顔を伝いシャツへ流れていった。

電気屋特有の緑色の作業着を着ていると、夏なのにサマーカーディガンを羽織っている女子中学生のことを思い返していた。

あの頃は不思議で仕方なかったことが大人になってくるとわかってくることも多い。

男ながらにサマーカーディガンを羽織っていると電車で女子の眼をひく確率が高くなる。

時には、僕が立っているつり革とは斜め後ろのドアに寄りかかっているカップルの女性から後ろ指を指されて、夏なのにサマーカーディガンなんてオシャレじゃん!あんなファッションにしなよ、と興奮気味に言われてつい後ろを振り返ってみたら、どうやらサマーカーディガンの男とは僕しかいなかったことに気がつき、嬉しい反面、自分のファッションを否定された気持ちになったであろう男子を観ているとかわいそうな気持ちになり次の駅で降りることにしたほど恥ずかしい体験をしたのだ。


コンビニの店外に置かれているゴミ箱にパンの袋を捨てると、携帯電話で時間を確認した。タバコ一本くらい吸う時間はあるようだ。

僕は缶コーヒー片手にタバコに火をつけて煙の流れる天を仰いだ。

雲ひとつない晴天。光のスペクトラムがミスト状に吹く霧と出会い一瞬の虹をつくりすぐに消えていった。

ほのかに木の香りが漂ってくる。

ふと神社を眺めながら想い出に浸る。

ここは昔、新宿村(しんしゅくむら)という地名だった。

新しい宿でしんしゅくと読む地名は蒲田以外にも幾つか知られているが、東京で新宿といえば都庁や新宿御苑前がある方をイメージするだろう。

蒲田民の僕からするとしんしゅくとは地元の地名なので、逆に新宿区の歴史の方が知りたいくらいだ。

これから向かう大森海岸は貝塚が発見されるくらい歴史ある土地であることで知られている。

なんの因果か、小学生の夏休みの宿題である歴史のレポートで選択したのが大森貝塚だった。


夏休みの宿題はギリギリまで手を付けない、変わりに短期集中型でやり遂げる自信はあると言って、他人から賞賛される職業は、小説家くらいしか知らない。

もうあの頃から、締め切りがある生活が天職であることに気づきはじめていたのかもしれないない。

植物の観察日記は友達の日記を借りて同じものとバレないように微妙にストーリーを変える。

なんだか元宮の日記と似ているな?と先生から揶揄されても顔色一つ変えずに自分で書きました半分真実の嘘を吐く。

元宮は亀さん好きだからコツコツタイプで日記を毎日つけていたらしく、典型的なうさぎさんタイプだと自覚している僕は要領良く立ち振る舞えること、彼は羨ましいと言った。


幼馴染の元宮は亀が好きだった。正確に言えば、小学生の頃からアメリカアニメの忍者タートルズが大好きで、わざわざ、ハワイ旅行のお土産に忍者タートルズのフィギアを僕の分まで買ってきてくれたのだ。

元宮は興奮気味にアキラの分まで買ってきたから手裏剣と剣使いの亀のどっちが良い?と僕に尋ねてきた。

そんな高価なお土産を貰ってもお返しできないから、とやんわり断っても、アキラとは兄弟みたいなものだから亀が嫌いでなければ持っていて欲しいと懇願されて、僕は元宮の色黒の肌がほんのりピンクに染まっていることになんとも言えない愛情を覚えたのである。


ある時はお互いにアイドルグループの光GENJIが好きでローラースケートが大流行した時代に、僕は両親に頼みこんでようやく姉と共有できるローラースケートを買って貰ったと言うのに、元宮はアメリカで流行っているスケボーを買ってもらったのだと言って自慢げにみせてくれた。お互いに技を見せ合ったこともあったし、ローラースケートやスケボーに乗りながらサッカーしようぜ!と言う、無茶ぶりにも嫌な顔一つせずに付き合ってくれた。


とは言え、元宮はバスケやサーフィン好きだからサッカーやソフトボール好きの僕とは趣味が真反対にあることでいつしか朝の通学以外では滅多に遊ばなくなっていったのである。


けれども、誕生日がたったの一日違いなのでシンクロニシティに感じることが非常に多いのだ。だから、僕は元宮だったら言わなくても解ってくれるだろうと以心伝心のような間柄であることに安心しきって必要以上のことは喋らない無口な少年になっていった。

というのも、本来の僕は無邪気過ぎて口が悪かったから、父親と兄貴からお前は黙ってろ!と言われ続けたことが僕が喋らなくなった原因でもあるのだ。


僕は兄貴から頼まれたアルバイトをする前に地元駅付近のコンビニの前でタバコを吹かしながら色んな想い出が蘇ってくることを不思議に思った。

元宮とは永遠に別れたと言う訳ではないのに、少し思い出しただけで泣きそうになった。

今だけを観て生きていく、と言うのは小説家志望の僕には不毛なアドバイスだ。なぜなら、ふとした瞬間に過去の出来事が蘇ってしまうからだ。


僕は京急蒲田から大森海岸に向かう電車に揺られている時も、無意識のうちに過去に思いを馳せていた。

いつしか全力で生きてきたこの人生の関連性がないように思える点と点が線で一つに結ばれていく瞬間だけを信じて頑張っていくだけだと強く自分に言い聞かせた。


兄貴から頼まれたアルバイトは大した事のない仕事だった。資材置き場を整理整頓したり、スイッチの蓋を開けてシールを貼ったり、点検をするアルバイトだった。兄貴はポケットマネーでアルバイト料をくれたのだが、経費でなんとかなるとは思えない、文系男子の僕が理系男子の兄貴と仕事するのはこれが最初で最後になるだろうと予感しながら帰り際にアルバイト料で僕は本を買って帰った。


兄貴は普段どんな仕事をしているのかは全く分からなかったが、電気工事をするだけでなく、図面を描いたり、足りない材料を買いに行ったり、現場の管理をしたりして大変忙しい仕事だということだけは理解できた。

兄貴のような管理職とは違い、長いこと現場作業員だった僕は朝の7時までに出勤して7時半に会社から現場へ向かい16時半には掃除や整理整頓などの帰り支度をはじめている。遅くても18時には会社に着きそのまま着替えて19時に自宅に帰るゆったりとした規則正しい生活を過ごしながらボランティア活動を頑張っていた。

それが当たり前の日常だと思っていた。

兄貴の場合、家に帰らずにそのまま会社に泊まることもあり、仕事が忙しいのか遊びに行っているのかといったことには弟の僕には全く想像できない。

しかしながら、自社の社長に話しがあり会社で帰宅を待っていたところ社長が会社に戻ってきたのは終電がなくなる間際の時間まで現場で仕事をしていたと言うのだ。たぶん兄貴も仕事で家に帰れないタイプの人種であろう。

心ない先輩は、社長だからって立派な家を建てて俺らには安月給しかくれないから嫌いだ、とはっきり言う人もいた。

しかしながら、経営者である以上、全ての責任は社長が背負っているのだし、労働時間だって休みなく24時間体制で働いているのだから、なんの技術も資格も車の免許すら持たない作業員が人並みのお給料を貰えていること自体が奇跡だということに気づかないのだろうか、とつくづく思う。


若い時に務めていた会社の社長は遺言のように僕にこう言った。

アキラは現場作業なんか似合わないからもう二度とうちの会社には戻ってくるな、と。

付け加えて、どうせだったら色んな業界にチャレンジして最後に残された仕事で頑張ればいい。お前はたぶん飽き性だから色んな仕事を経験してみないと天職に出逢えないタイプだ。

はっきり言って建設業界には向いていない。だから新しいチャレンジをし続けろ、と。


そんなことが走馬灯のようにグルグルと巡っては夢から覚めた僕はふと裸に近い格好で寝ていることに気づいた。


(ここはどこだ?)


僕が宿泊しているホテルではない、さっきまでKAKOや家元と一緒にいたはずなのに、いつの間にか見知らぬ部屋で寝ているのだ。


部屋にはリラクゼーションサロンのようにアロマデュフュザーが焚かれており、部屋に置かれたスピーカーからヒーリングミュージックが聴こえてくる。


「アキラ目覚めた?」


ふとリビングルームの隅の方から僕を呼ぶ声が聴こえた。

両膝を抱えて座っていた、占術師の絢香だった。


「絢香先生?」

夢から覚めつつある僕は、夢と現実の狭間で、なにがどうなってリラクゼーションサロンのような部屋で寝ていたのか、全く思い出せず、その瞬間に、激しい頭痛に見舞われた。脳細胞が麻酔から覚めたかのように身体全体に電気信号を送るとパワーストーンを身に付けていた左腕からズキズキと血流の流れが脳内に麻薬でも打ったかのような脳内覚醒が起き始めた。


「アキラ無理しないで寝ていて。気あたりと言って沖縄では当たり前のように起きることだから心配しないで。」

絢香は冷蔵庫からペットボトルの冷たい水を運んで来てくれた。

絢香に礼を言い、キンキンに冷えた水を飲むと、ここはどこなのか、なぜこの場所で寝ているのかを絢香に尋ねた。


「やっぱり覚えてないのね?

アキラは家元とKAKOさんと共に那覇新都心に来た時に、満月から欠けていく月の影響であなたは空に向かって叫び声をあげながら倒れてしまったの。

その後、家元の指示で私がアキラの宿泊しているホテルへ行き荷物をまとめて、社宅へ連れて帰ってきたの。」

絢香はなぜか顔を赤らめながらそう言った。

しかしながら、なぜ彼女は先ほどからアキラと呼び捨てにしているのか。記憶が飛んでいてよく思い出せない。


「気あたり?社宅?では、ここは絢香さんの家ですか?」

裸に近い格好をしている僕は赤面している絢香の瞳を見つめながら尋ねた。


「いえ、社宅とはいえ那覇新都心店に勤務する人のために借りている作業場のようなものですから。気になさらないで下さい。ところで、夢、観てたんですか?」


「えぇ。素敵な夢でした。」


「アキラ幸せそうな表情をして眠ってたから気になってしまい。

どんな素敵な夢でしたか?」


「断片的に覚えているのは、亡くなった兄貴が出てきたり、元宮という幼馴染と過ごした幸せな記憶です。」


絢香は僕の話しを最後までじっくり聴いてくれた。

兄貴はなくなる直前にコンビニへ買い物へ行き777という縁起の良い番号を引き当ててから天国へ旅立ったことや人気音楽ユニット元宮は自慢の幼馴染で誕生日が一日違いだからシンクロニシティが起きやすく、お互いに活躍するフィールドは違えども自殺ゼロの社会を目指して身体は別々に存在しているけれども、どんな場所にいようとも同じ気持ちで戦っていることなど、KAKOと一緒にいる時には変に格好つけてしまうと言うのに。

絢香には包み隠さず全て話してしまうようだ。


太陽のような明るさを持つKAKOと月明かりが似合う絢香、どうやら完全に2重恋愛に落ちる迷宮に入り込んでしまった僕は、今目の前にいる絢香との癒しの時間が永遠であることを願った。

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