第11話 絢香の手の温もりと緑色が奇跡を生んだ過去の記憶。

絢香との出逢いを待ち焦がれていた僕は、琉球王国の大きなヤシの樹の下で、雲を目で追いかけていた。それはまるで焼き焦がれつつあるホットケーキのように甘くてスウィーティな雲とマンゴーを添えたような幻想的な太陽の日差しに包まれて、このまま眠り姫のように古代琉球王国の物語の世界へとタイムトリップしてしまいそうだった。

4分の3ほど残っているペットボトルのコカ・コーラから伝わってくる生ぬるい温度、右手から伝わってくる、その異物にも思える機械的な形状、自然ではないその無機質な温もりだけが、僕を現実世界へと繋ぎ留めているのである。

時計に目をやる。12時27分(あぁこれは、仏教を信仰している友人の誕生日のナンバーかもしれない)家元との約束の時間は15時。この永遠に続くと思えるゆるくまったりとした沖縄時間、今はまだ夢の中で遊ぶ少年のように、この永い歴史あるアジアの神秘をそっと箱庭に詰めたような琉球王国にて、僕はただただ無限にも思える残された時間の事を思うと、1日でも早くソウルメイトと出逢える事を一心に願い祈った。


ヤシの樹のもたれて眠りに落ちつつあるその時、閉ざした心を解きほどかれるような優しき声が遠くの方で微かに聴こえた様な気がして、僕はぱっと目を見開いた。緑色の鮮やかなドレスの裾が海風に揺らめいて、ひらひらと蝶が舞うかのように、一人の女性のシルエットが視界に飛び込んできた。

まだ寝ぼけまなこの僕は、辺りに立ち込めるフランキンセンスとホワイトセージをMIXさせたエスニックな香りに忘れかけていた野生の本能が目覚めつつあるのを感じてしまった。


「占いいかがですか?」

ガジュマルの樹の下に宿る妖精のような小さくて可愛らしい女の子がそう声を掛けてきたのであった。

突然のその声掛けにびっくりしてしまった僕は、自分が占術師であることも忘れて、彼女への誘いに言葉を失い沈黙した。

諦める様子もなくその少女は、樹の下でうずくまる僕に1枚の紙きれを差し出した。

「はじめまして。琉球占術の絢香ともうします。この占術は東洋占星術と数秘術と古典風水をベースにして心理学の要素を取り入れた世界でも唯一の占いです。沖縄では口コミで凄く良く当たると評判の占いですし、300円から占えるので、沖縄旅行の土産話としてぜひ占いを受けてみませんか?」


(まさかっ⁈絢香先生⁈)

こんなにも琉球に眠りし姫のヒロイン像にそっくりな女性を初めて目の当たりにした。

またしても恋の予感が走る。

それは15歳の夏、渋谷区の表参道に出掛けた時のことだった。

人気サッカーチームの緑色のユニフォームを求めて僕は、生まれて初めて蒲田という小さな田舎町を離れて、一人で渋谷駅へと降り立ったのだった。雑誌で観たうろ覚えの地図、そして手書きで写したノートにもオフィシャルサポーターショップの住所が書かれていた。その住所だけを頼りに僕は一人渋谷の街をフラフラとさまよっていた。


辺りを見渡せば、ファッション雑誌からそのまま飛び出してきたような、色とりどりでオシャレな大人のカップルたちが楽し気に会話をしながら、15歳の小さな体つきの僕の横を通り過ぎて行った。


もう気が付けば夕暮れ時。

街はオレンジ色に染まりつつあり、田舎町から飛び出してきた僕は、自分の着ている洋服のセンスのなさと、冷ややかな視線が僕に向けられている事に気づき、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。けれども、夢見るサッカー少年だった僕は、どうしても憧れの冴えるような緑色のユニフォームを着て、国立代々木競技場へと応援に行くこと、それだけがまだ女心のいろはも知らない初心な少年だった僕の最大の憧れであり夢だった。


渋谷とは大人な街で田舎モノの少年が一人で行く場所ではないと、僕の6個年上の兄貴から小ばかにされて笑われた事を思い出し、尚更心細い気持ちでいたのだが、外見で判断するような心のちっぽけな日本人とは違い、ラテン系の外国人たちが太鼓を叩きながら踊っている姿を見かけた時に、僕の心の中で何かが壊れてはじけ飛んだ気がした。


そして幸運なことに、大好きな色であるエメラルドグリーン色したサマーカーディガンを羽織って、黒いロングヘアーを風になびかせながら歩く女性の凛々しき後ろ姿に勇気をもらった。その女性の5メートル後ろに付き、僕も歩みを進めることにした。ふと、車の通る上の方に表参道という標識を見つけて、自分が歩いて来た道程が間違えてはいなかったことに神様の導きを感じて、夢中になってエメラルドグリーンの女性を追いかけて行った。


5メートル先を歩くエメラルドグリーンの女性は偶然にも鮮やかなグリーン色の旗が掲げるられたサッカーショップへと入っていった。その時、僕の身体に電撃が走った。

まさか同じ目的地だったとは。


遅れて店に入った僕はすぐさまエメラルドグリーンの女性の姿を探した。

彼女は黄色の中に黒いグッドマークが描かれたTシャツを眺めていた。黒いロングヘアーの横顔から少しだけ、輪郭がはっきりしたその顔に、少し日焼けした黄金色の健康的な肌が見え隠れした。


憧れのサッカーショップで、憧れていたカッコいい大人な女性と同じ空間に居る。

どうしようもない胸の高鳴りに夏の響き、色、そして未来を指し示す魔法の数字。


しばらくは女性がまだ店内にいることを予感した僕は、ずっと憧れだった背番号『11』番のユニフォームを必死に探した。レジェンドと呼ばれた背番号『11』番の、その後ろ姿を応援席ですっと眺めては、華やかなトリックプレーやブラジル仕込みのダンスパフォーマンスに魅了されて、いつかは同ピッチ立ってプレーしてみたいと夢見るようになったのだ。


隠れるようにして、グッズやTシャツが所狭しと置かれた店内で、エメラルドグリーンの女性がこちらに振り返るのを待っていたのだが、女性は長い迷いから何かを決めたかのように、僕と同じ『11』番のユニフォームを手にして、店の入り口付近にあるレジへと向かい歩いていった。僕は迷うことなく女性の後を追いレジへと並んだ。一目でも正面からその美しい健康的な肌色した女性の顔を観たいと思って神様に祈るような気持ちで待っていた。


女性がお会計をしている間、女性はレジ係の店員さんと楽し気に談笑していた。

店員さんが「カズさんのファンなんですか?」と尋ねると「いいえ、私は背番号10番のラテン系の外国人選手の方が好きです。この11番のユニフォームは私の弟への誕生日プレゼントにする予定です。」

女性と店員さんのすぐ脇に居て、その会話を聞いていた僕は、こんな素敵な女性の弟さんの事が羨ましくてたまらなかった。


店員さんがユニフォームなどを丁寧にたたみ、袋に包んでいるその間、エメラルドグリーンの女性はなんと横にいる僕の方に目線を向けた。そして、僕に声を掛けてきた。


「カズさんのファンなんですか?」

その突然の問いかけにびっくりした僕は、モデルのリカコさんのような日本人離れした美しいその顔を観て今まで我慢してきたすべての感情が一気に噴き出した。

「カズさんは僕の全てです」と柄にもなく大人びたセリフを吐いてしまったのである。


もっとお話したいと思ったその矢先、店員のお姉さんがお会計の値段を女性に伝えた。財布からお金を取り出しておつりを貰うまでの間、女性と店員は「次はスタジアムで会えるといいですね!」と嬉しそうに言って、商品が入った袋を受け渡しした。エメラルドグリーンの女性は店を出る前、何かを思い出したように振り返って僕にこう言った。


「今日は突然話しかけちゃってごめんね!私たちのチームは優勝争いの2位のポジションにいるけれど、私は彼らがセカンドステージでのリーグ優勝をして、日本一を決めるファイナルステージでも必ず勝つと信じてるの。だから、ついつい応援に熱が入っちゃって、隣に君のような可愛い男の子がいたから嬉しくなっちゃってさ。ねぇ、君は私たちのチームが優勝すると思う?」


「未来の事はまだ解りませんが、僕は今シーズンこそ絶対に優勝すると信じて応援しています!

僕の方こそ、はじめて地元から離れて表参道に来て心細かったので、こんなに綺麗で素敵な女性と会話できてめちゃくちゃ嬉しかったです。」


「ありがとう!綺麗だなんて久しぶりに言われたから嬉しいわ。一人で表参道に来る少年なんて滅多にいないから渋谷周辺は変な人たちがたくさんいて怖かったでしょう。なんだか、君は将来大物になる気がするわ。」

エメラルドグリーンの女性は「今度はスタジアムで会いましょう。」と言って店を出ていった。


15歳の小さな胸にどうしょうもなく大人な女性への憧れを植え付けられた日でもあった。

買い物を終えて無事に家に帰ってきた僕は『11』番のユニフォームを着てスタジアムへ応援に行く日を待ち遠しく感じ、もしも神様がいるとするならば、あの表参道でお逢いした憧れの女性ともう一度逢わせて下さい、と祈りながら眠りについた。


その後、女性が予言したとおりに、僕たちが応援していた緑色のチームは、ホームグラウンドの国立競技場でリーグ優勝をし、さらにファイナルステージでは広島のチームに勝って、1969年の創立以来はじめてJリーグでの日本一の栄冠を手にしたのであった。

僕は幸運に恵まれて優勝を決めたその2試合を一枚1000円のジュニアチケットで観ることができたのだったが、あの表参道で出会ったエメラルドグリーンの女性より素敵な人とは、ついに出逢うことなく大人になっていった。


占術師絢香との出逢いは、僕の過去の恋愛を呼び覚まして、なんだかわからなくなって


「占いなんかよりも、あなたのことが好きだ。」

チラシを差し出した絢香の右腕を愛おしく思い、僕は無意識のうちに絢香の右腕を握りしめて「あなたのことが好きだ。」とそう言った。

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