第21話 錦鯉の《生け簀》への投獄

 いつもは穏やかで華やかな鯉屋だが、その時はざわざわと不穏な空気が漂っていた。

 大勢が出入りする広間の中心で向き合っているのは、結と鯉屋の紫音だった。


 「今何と?」

 「……僕と累を元の世界に戻して下さい」

 「まあ、どうなさったのです。このところ練習を嫌がってらっしゃると思ったら何故」


 不安そうな顔をして紫音は手を伸ばしたけれど、結はびくりと震えてその手を叩き返した。

 鯉屋において絶対的存在である大旦那と紫音に対しての不敬な行動に、周囲は何て事を、と結に非難の目を向けた。

 結を心配する声もあるけれど、半数以上はやはりあの跡取りは駄目だ、と落胆を隠せないでいる。その露骨な言葉に胸が痛んだけれど、それでも結はキッと紫音を睨みつけた。


 「僕を使い捨てにする気なんでしょう。僕を殺すんでしょう!?」

 「結様……」

 「鯉も出目金もそんなの知らない!元の世界に帰してよ!」


 紫音は泣きそうな結に戸惑い、跳ね返された手をもう一度伸ばそうとした。

 けれどその手が結に触れる前に、体躯の良い二人の男が紫音を守るようにずいと前に身を乗り出してくる。運動をろくにしてこなかった結の華奢な身体と比較したら大木のようで、結はびくっと恐怖で震えた。


 「そのような事をおっしゃられては困ります。そのためにいらして頂いているというのに」

 「こ、殺されるなんて、聞いてない」

 「何故そんな誤解を。放流は多くの命を救う尊い儀式ですよ」

 「その結果死ぬんでしょう!?同じ事じゃないですか!!」

 「困りましたね。どうしてもできないと言うのなら……」

 「わああ!」


 男はまるで子猫を摘まみ上げるかのように軽々と結を担ぎ上げた。

 結は降ろして、と手足をばたつかせるけれど、その程度の事は気にもならないようで、男はずんずんと歩いていく。


 「お待ちなさい!結様をお放しなさい!」

 「お嬢様はお仕事にお戻りを」

 「結様に無礼を働く事は許しませんよ!お止めなさい!」


 紫音は男の腕を掴み歩みを止めようとするけれど、結よりも細いその腕では何の効果も無い。

 いくら紫音が叫んでも男は歩みを止めない。紫音を振り切るかのように大股で進み続けたが、ぴたりと足を止めた。

 男がおもむろに大きな扉を開くと、そこは一面青の世界だった。積み木の様にがたがたと重ねられた巨大な水槽群は結が金魚屋で見たよりもはるかに巨大で数も多い。

 けれどその中に泳ぐのは宝石のような美しい金魚では無かく、悠々と泳ぎながらも赤々と目をぎらつかせる錦鯉だった。


 「お役目を果たさぬ部外者を留め置く道理は無し。兄君と共にここにお入り頂きましょう」

 「ここ何……?」

 「錦鯉の《生け簀》ですよ」


 男は結を抱え、大量の錦鯉がうようよと詰め込まれている水槽に歩み寄った。

 すると、錦鯉はまるで餌が来たとばかりにざああと集まってくる。


 「わああ!」

 「あなた一人の我がままで兄君も道連れにしてよろしいのですか?」 

 「そんな!累は関係無いじゃないですか!勝手に連れてきたくせに!」

 「来てしまったものは仕方ない。郷に入っては郷に従え。働かざるもの食うべからず」

 「累は関係無い!」

 「あなたと魂を同じくする者はあなたであるも同然。さあ、どうします。錦鯉の恐ろしさはご存知ですね」


 錦鯉は魂を食らう。

 魂で成り立つこの世界に置いて、それを食らうというのは即死だ。それは錦鯉を連れ歩いた結も分かっている。


 「いい加減になさい!一体誰の許可を得てこのような事を!」

 「大旦那様ですよ。跡取りがごねたら放り込めとのお達しです」

 「何ですって……!?」

 「勘違いなさいますな。我らの主人は大旦那様でありあなたではありません」


 そう言うと男は紫音を突き飛ばし、扉の外にいた男がずるずると紫音を引きずり出してしまう。

 そして、結を錦鯉の水槽に囲まれた隙間に結を投げ落とすと、その上を水槽で塞いでしまう。足元も頭上も左右も全て錦鯉で囲まれ、錦鯉はガンガンと体当たりしてくる。

 この水槽は錦鯉を閉じ込めるための物だから割れる事は無いけれど、明らかに結を食おうとしている姿が恐ろしくて足が震えて動けなくなってしまう。


 「出して!出してよ!!」

 「しばらくそこで頭を冷やすとよろしいでしょう」


 男達は高笑いして去り、バタンと扉は閉ざされてしまった。

 シンと静まり返る部屋の中で聞こえるのは錦鯉が跳ねる水音だけだ。結を取り囲む錦鯉はばしゃばしゃと激しく泳ぎ、その音が結を追い詰める。

 ぺたりと座り込むと足元からも錦鯉が餌を食おうと体当たりをしてきて、結は悲鳴を上げて立ち上がった。けれど寄り掛かる水槽からもガンガンと体当たりする音が聞こえてくる。

 水槽を叩いて助けを求めようとしても、もしそれで水槽が割れたらどうしようという恐怖で動く事もできない。

 放流をするのとどちらがマシだっただろう。そんな事を思いながら、結はただ立ち尽くすしかなかった。


 「……累……」


 脳裏に浮かぶのは自ら突き放した兄の顔だった。

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