第20話 錦鯉の正体

 結が殺される。

 その期日と手段、弊害が具体的に見えてきて累は恐怖を覚えたが、その反面有難いと思ってもいた。


 (何が起きるか分かれば物理的に対策が取れる。やる事は明確になった)


 この世界は累にとってあまりにも想像のつかない事が多すぎた。

 依都の説明が無ければ分からない事の方が多く、神威がいなければ身を守る事すらままならない。

 現世の知識と常識では、どうしたら結に辿り着けるのかが分からず手も足も出ない。


 (悪いがこれ以上鉢には構っていられない。まずは錦鯉をどうにかする。次に結を呼び出す。まずそれだ)


 結に拒絶された傷は深かったけれど、それで結を諦めるわけにはいかない。

 まずは連れ出して話はそれからしよう、と累は吹っ切った。


 「依都。お前錦鯉については詳しいか?」

 「僕は金魚の事以外は分からないです。何かあったんですか?」


 鯉屋に乗り込み結を取り戻すための対策だと素直に言えば依都は反対するだろう。実際以前反対をされている。

 その優しさは有難いし嬉しくもあるが、今はもうそれを優先する事は出来なかった。多少嘘を吐いてでも情報を引き出すしかない、と累は心の中で詫びながら笑顔を浮かべた。


 「錦鯉を量産できないかと思ってさ。そうすりゃ鉢の護衛になるだろ?あれどっから来てるんだ?」

 「鯉屋様が養殖してるので、どこと言えば鯉屋様です」

 「養殖ってどうやるんだ?金魚屋でもできるのか?」

 「さあ、僕は知らないです」


 どうやるんでしょうねえ、と依都は首を傾げた。

 依都が知らないという事はこの世界の常識ではないという事になる。けれどそれを鯉屋がやっているのなら、鯉屋独自の「常識」があるという事だ。


 (鯉屋しか知らない事と言えばやっぱり跡取りについてだ)


 この世界で跡取りは重要だとされる割に、それが具体的にどんな事をするのかを説明できる人間に累は出会った事が無かった。

 大がかりなお披露目をやってはいたが、大店では単なるイベント扱いで重要なのはそれに伴い商品やサービスが売れるという事だった。

 鉢に至っては跡取りなんてどうでもいいといったところだ。

 そこにきて街に住む依都もさして詳しいわけではない。跡取りがいるという事実は常識だが、具体的にどういう手段で何をどうする存在なのかは知られていない。


 だから累は破魔屋の旦那が言った生贄だという言葉を信じた。

 唯一この世界で聞いた具体的な情報だったからだ。累はあの男の言葉には他にもヒントがあると思い、会話を一つずつ思い返した。


 (跡取りは替えが利くって言ってたよな。出目金を一掃できる便利な存在なのに結一人だけってのは、召べない理由があるのか?)


 この世界で出目金退治は優先される事項だが、鯉屋を除けば退治できるのは破魔屋のみで、その中でも神威のようにずば抜けて優秀な人間に限られる。

 そしてその神威は依都という個人を優先する。

 あまりにも非効率的で、現実味の無い話だ。


 (錦鯉を量産して配れば鯉屋の評判も上がって鉢も守れるのにそれもやらない。やらないんじゃなくてやれないんだとしたら……)


 鉢は罪人である以上仕方ないとしても、出目金が襲う対象は不特定多数だ。大店付近に出れば彼らだって死の危険がある。

 けれどそれをものともせずやんやと楽しく騒ぐ日々を送るのは、おそらく錦鯉が守っているのだろうと累は考えている。


 (でも錦鯉は使い捨てだとも言ってた。使ったら消える。使用対象を制限してる。生産方法は不明……)


 錦鯉は有限なのではないだろうか、と累は思い付いた。

 依都は養殖と言ったが、真実を噂話でしか知らないのならそれは誤情報である可能性もある。

 

 「跡取りは常に存在するわけじゃないんだよな。前の奴は?」

 「四百年くらい前に一人いたみたいですよ。僕は知らないです」

 「錦鯉ってさ、そいつがいなくなった後に出てきたんじゃないのか?」

 「あ、そうですよ。そんな話聞いた事あります。跡取り様の特別な御力なんじゃないですか?」


 それはいかにも真実のように聞こえるが、累は頷けないものがあった。

 結は何か特別な事をできるようになったとは言っていなかったからだ。お披露目の練習や跡取りとしての勉強。跡取りの役目は努力せずに身につく、都合の良い魔法のようなものじゃ無いと累は思っているのだ。

 少し考え込んでいると、依都が何気なしにぽつりとつぶやいた。


 「そういや最近は錦鯉の数が減った気がします。結様が養殖してくれるんですかね」

 「少ない?前はどのくらいいたんだ?」

 「数は分からないですけど、鯉屋さんの周りでよく見ましたよ。ほら、納品に行った時に人が番をしてたでしょう?前は錦鯉がやってたんですよ」

 「へえ……」


 それはつまり有限という事だ。

 無制限に無から発生するのなら、わざわざ人件費のかかる人間を使う必要が無い。


 この世界は魂が金魚なんていうファンタジーが存在するが、給料を支払うという経済も存在する。

 大店に至っては完全に利益を追求する商売人ばかりで、総元締めの鈴屋もそうだ。だからこそ大店には利益を生むであろう累に媚を売る人間がいる。鯉屋が敵視する鉢の人間を採用するのもコスト削減のためで、それは鯉屋が絶対ではない証拠でもある。

 鯉屋は支配者階級だがこの世界の絶対ではないのだ。そんな中で、お金のかかる人間に切り替えるというのはそうせざるを得ない事態があるからではないのか。


 (養殖できないんじゃないのか?鯉屋の旦那は『人工出目金』って言ってたけど、あれは養殖じゃなくて手作りする道具って意味だとしたら……)

 

 魔法で無制限に生まれるわけじゃないのなら原材料があるはずだ。

 普通は稚魚から育てるものだが、生まれた時から成人である場合があるのならそうとは限らないだろう。しかし人工と言うからには親となる『生産元』が何かしら存在する。

 鯉屋しか知らない何か。しかし一般人も知っている物。なのにどこから来てるか分からない。

 それはまるで、跡取りそのもののようだ。累の心臓がどくりと唸り声をあげた。


 「……なあ。前の跡取りの遺体ってのはどうなった?」

 「さあ。こっちの死は魂の死。肉体なんて残りませんよ」

 「けど跡取りは現世の肉体があったはずだろ。俺も結も肉体がある」 

 「ああ、そうですよね。どうなるんでしょう」


 まさか、と累は震えた。


 (錦鯉の原材料って、まさか跡取りの……)


 そこまで考えて累はぶんぶんと頭を左右に振った。


 (それは一旦置いとこう。結を連れ出すためには錦鯉と渡り合う必要がある。ならやっぱり……)


 累はよし、と意を決して飛び出した。


*


 累は依都と二人で過ごせる時間を餌に神威を捕まえて、再び破魔屋の大旦那の元へやって来ていた。


 「破魔屋の旦那!頼みがあ」

 「報酬」


 旦那はにやにやと笑いながら煙管をふかしていた。

 単純純粋一直線の神威とは大違いだ。


 「俺に破魔矢をくれ。どんな報酬なら見合う?」

 「断る。お前は破魔矢を持つ必要が無いからな。それに破魔矢には限りがある。見合う報酬など無い。どうしてもというのならお前の腕一本貰おうか」


 旦那は帯に挿していた短刀をすらりと抜いて累の右肩にぴたりと当てた。

 まるでそこから切り落とすと言っているかのようだった。


 「それに破魔矢を作って何になる?破魔矢を持ったからって超人になるわけじゃねえ。鉢のあの人数を守る戦闘技術がお前にあるか?」

 「鉢の人数?何で鉢が出てくるんだよ」

 「あ?お前鉢の護衛すんじゃねえの?」


 ああそうだった、と累は汗をかいた。

 累はすっかり結一色になっていたが、旦那には鉢を守る手段の相談をしていたのだ。

 いや、ああ、と慌てる累を見て、旦那はくくっと笑った。


 「なるほど。跡取りを取り返したいのか」

 「……だったら何だよ」

 「連れ出したとしてその後はどうするんだ。即現世に帰るのか?帰る方法は?つーか現世に戻ってどうすんだ?死ぬぞ、弟」

 「そ、それは……どっか安全な場所に……」

 「どこだ、それは。まさか金魚屋が安全だと思ってるのか?」


 宛てにしてないと言ったら嘘になる。

 だが仕事と従業員の世話で手一杯の依都にそこまでを要求する事はできないし、依都は親切心で居候させてくれているわけじゃない。

 鯉屋に頼まれて累を預かっているだけだ。

 累には無条件で無制限に味方してくれる人間も場所も、何も無いのだ。


 「破魔矢を欲しがるのはその答えが出てからだな。出直せ」


 結局、何の収穫も無しに再び追い出された。

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