第10話 破魔屋の神威

 翌日、累は依都と落ち着いて会話する自信が無くて仕事を放棄して街中を散歩していた。

 ここからでは鯉屋の一部分も見る事はできなかった。こんなに遠くてしかも入れない場所から結を助け出すとなると、侵入するよりも結がこちらへ来るのを待った方が確実だ。次来たら絶対に帰らせないと思っていたけれど、なんと『本格的に跡取りとしての勉強に集中するからしばらく会いに行けない』という手紙だけが届いたのだ。それは余計に累の不安を煽った。


 (鯉屋に入れる味方が必要だ。俺一人じゃ何もできない)


 鯉屋の天守閣に出入りできる人間で、かつ累に味方する人間というのはなかなかに難しい条件だった。

 跡取りを強奪しようなんて、それはもはや世界への反逆だ。心の底から百パーセント味方じゃないと鯉屋に密告され結を隠され、さらに警戒される恐れがある。

 そんな好条件の人間がいるとも思えずため息を吐き続けながら歩いていると、ぱらぱらと頭上から土や木の枝が落ちてきた。何だよ、と累は鬱陶しそうに払いながら見上げると、そこには出目金と逃げ惑う鉢の住人と思われる男がいた。多少の怪我も厭わず、うろつく金魚を跳ねのけ走り続けていた。


 「マジかよ。おい!こっち来い!鉢まで走れ!!」

 「あ、ああ」


 累は男を背に庇いつつ上着を脱ぐと、闘牛士のように振り回し出目金と距離を取った。

 幸いにもそこまで大きくはなくて、片手で握れる程度だった。牙は十センチメートルも無いけれど、それでも喉に突き刺されば呼吸ができず致命傷になるだろう。脚を食われたら逃げる事もできなくなる。

 慌てて助けに出たのはいいけれど、自分の身を守る自信は持てず累はたらりと汗を流した。


 「あ!?つーかコイツどうしたらいいんだよ!!」


 累の分かる対処法としては金魚屋で眠らせてもらう事くらいだ。

 だがここから金魚屋までは歩いて十分以上はかかる。たかが十分されど十分。十分もあれば食われるには余りある。

 依都と気まずくなってないでもっとこの世界の事を教えてもらうべきだった、と今更後悔しても遅い。


 しかも上着を振り回されることに慣れたのか、ついに出目金はひらりと躱して累にに向かって突進してきた。このまま一直線の先にあるのは喉だ。口をがばりと開けていざ食い尽くさんと猛スピードで向かって来る。


 死ぬ。


 その二文字で体が強張り動けなくなり、累は身体を地べたに張り付かせるように丸めてぎゅっと目を閉じた。

 そしてすぐに、ざくり、ぐしゃり、ぐちゃり、と肉が潰れる音が累の耳にこびり付いた。肉が食われる音だった。


 「……あれ?」


 けれど累の身体には何の痛みも無く、血は一滴も流れていない。這いつくばった時に砂利で顔を擦りむいたがそれだけだ。

 しかしまだぐちゃぐちゃと肉が潰れる音がし続けていて、恐る恐るその音のする方を見た。するとそこで繰り広げられていたのは金魚が出目金を潰す光景だった。


 「き、んぎょ?何で?」


 どういう事だと累はぽかんと口を開けて眺めていた。

 金魚達は大人しいものだ。こんな風に激しく動く事は無い。けれどすっかり出目金は肉塊と化し、ぴくりとも動かなくなっていた。

 一体何が起きたのか分からずにいると、今度はその金魚が累をくるりと振り返った。


 単なる金魚なら逃げられたかもしれないけれど、出目金のせいですっかり腰が抜けている累はもう立ち上がる事もできない。上着は放り出してしまったから防具は無く、累の身体を支える手足もがくがくと震えている。

 けれど金魚はゆらゆらとゆっくり累ににじり寄って来て、ついにパニック状態の累に突進してきた。くそ、と再び頭を抱えて丸まったけれど、今度は何の音もなく、ただつんつんと何かが腕を優しく突いていた。

 累はそうっと目を開くと、そこにいたのは出目金を潰した金魚だった。


 「……お前、もしかして俺の金魚じゃないか?」


 じいっと金魚の顔や姿を見ると、それは見覚えのある金魚だった。

 金魚屋で旦那が何かをして以来いつも累の右肩で浮遊しているのだが、何もしないのでマスコット的な物として扱っていた。

 しかし思い返せばあの時金魚屋の旦那は金魚に血を飲ませ、依都はこっちの金魚にしたのか、と言っていた。


 「こっちの金魚って戦える金魚って事か?何だ、凄いじゃないかお前」


 そう言って撫でると、金魚は嬉しそうに顔の周りをくるくると泳ぎ回った。

 まだ足腰は立たないけれど、とりあえず助かった、と累は地べたで大の字になってほうと一息吐いた。

 けれど残念な事にその休憩は長いこと続かなかった。

 視界の隅に連れ立って動く黒い何かが横切った。


 「嘘だろ……」


 五匹の出目金が団体で泳いでいた。

 どれも片手で掴める程度だが、数が多い。かたやこちらは役立たずの累と金魚一匹。この金魚がどれほど戦えるのかは分からないけれど、対五匹に期待をしていいとは思えない。

 このまま匍匐前進で金魚屋に戻るしかないか、と累はじりじりと進み始めた。これならどうにかなるだろうと、念のためちらりと出目金の居た方を振り返ると――


 「ぎゃー!!!!」


 目の前に一匹の出目金がいた。

 それは団体の出目金とは別の野良だったようで、両手で掴んでも胴回りを覆い切れないだろう。慌てて手を振り回すと、大きな胴体だったことが幸いし、ぼこんと殴り飛ばす事ができた。

 けれど牙が太い。長さはゆうに十センチメートルは超えていて、これは即死の可能性もある。

 やばいやばい、と累は腰が抜けた状態で何とか逃げ出そうとじたばたと足掻いたけれど、そんな事を出目金が待ってくれるわけもない。

 出目金は怒りに満ちた表情で牙を剥いた。金魚がぼんぼんと体当たりをしてくれるけれど、重さの比重が違う。逆に弾き飛ばされて転がってしまった。


 今度こそ食われる。


 ガタガタと身体が震えて頭が真っ白になった。

 しかしその時、ふっと累の上を何かが横切った。後ろから何かが飛んできたようで、それは出目金の上に落ちて踏みつぶした。


 人間だ。


 突如降ってきた男は黒いモックネックのインナーにシルバーのファスナーが付いていて、さらにはレザーのパンツにジャケット。まるで現世の人間の洋服だった。けれどその手には西洋剣を持っていて、青白い光を放っている。

 累にとっての日常とファンタジーが混在した男は、剣を構えて出目金の群れに躊躇なく飛び込んだ。

 現世ではこんな風に剣で戦闘する事なんてありえないし、しかも累は剣道すら見た事が無い。どの程度訓練すれば臆さず化け物と戦えるようになるのかなんて想像もつかなかったけれど、それでもこの男は凄いんだろうというのは累にも分かった。

 振り下ろす剣は必ず出目金を切りつけて、外す事は無い。一撃で仕留めるとまではいかないようだったけれど、それは剣の威力、ゲームで言えば攻撃力が低いのかもしれない。

 そして出目金は瞬く間に切り捨てられ、土に転がりぴくぴくと跳ねていた。男は剣を鞘に収めると、落ちていた片手より大きめの石を拾うと、それで出目金を叩きつけて止めを刺した。やはりあの剣は攻撃力が低いのかもしれない。


 累が腰を抜かしたまま座り込んでいると、男は呆れ顔でため息をついて累の顔を覗き込んだ。


 「アホ」

 「え、いや、だって」

 「だってじゃねえよ。何やってんだお前。つかまず言う事あんだろ」

 「……有難う。助かったよ」

 「どーいたしまして。いつまで腰抜かしてんだ。立てよ」


 男にぐいと手を引かれ、ようやく累は立つ事ができた。並んでみると累より少しだけ背が高く、百八十は無いくらいだ。

 しかしやはりどう見ても現代の服装で、累は男の顔をじいっと見た。整った顔立ちと筋肉の付いた肉体はモデルのようで、それも相まってこの世界の人間には見えない。

 特にこちらの人間の顔がどうこうという訳はないが、これほくっきりとした顔立ちはあまりいない。ハーフのようにも見えて、目の色は若干青みがかっている。


 「お前だろ、現世から来たって奴は」

 「そう!あんたも現世の人!?」

 「違う。に頼まれて来たんだよ」

 「より?依都の事か?」

 「そ。お前の服、俺のお下がりだぜ。動きやすい服くれって言うからやった」


 そういえば依都が誰かから貰って来たと言っていた。

 累は一体どこから持って来たのかと思っていたが不思議に思っていたけれど、決してこの世界はどこもかしこも全て一律同じ仕様ではないらしい。


 「俺は《破魔屋》の神威だ。よりは幼馴染」

 「破魔屋?って何?」

 「報酬次第で何でもやる店だよ。何でも屋だな」

 「戦闘までするわけ?ガチの剣なんて初めて見たよ。しかもレザーのパンツって」

 「れざー?この服は破魔屋の特注だ。こいつは剣じゃなくて《破魔矢》」

 「矢って、全然矢の形じゃないけど」

 「そういう名前なんだよ。破魔矢は持ち主に相応しい形で創られる」


 何だか急にゲームのような話になったが、累にとっては魂だの鯉だのよりはよほど馴染みがありすんなり理解できた。

 破魔屋というのは分からなかったけれど、ジョブは剣士だな、と累は現世のRPGで仲間探しをするシーンを思い出していた。


 「つーか何一人でうろうろしてんだよ。金魚連れてんなら警報聞いてるだろ」

 「こいつは元々現世の奴だからこっちの事は分からないんだよ。警報って何?」

 「あ?よりから聞いてねえの?」

 「これといって」

 「まーたあいつは……」


 はあ、と神威は頭を抱えてぐるりと首を回した。

 態度から見るに、よほど仲が良いのだろう。金魚屋当主の姿から知らない累にとっては依都の人間関係を知るのは新鮮だった。

 特に金魚屋では依都が上司にあたる事もあり、敬語を使う従業員が多い。子供らしく可愛がられる事も多いが、こうやって同等の相手もいるのかと思うと何となく嬉しかった。


 「出目金が出たら金魚同士で連絡すんだよ。それで依都はお前が危ないって知って俺を呼んだ」

 「連絡?金魚が?」

 「そ。離れた場所の事まで把握できねだろ」

 「それって遠くにいる金魚が教えてくれるって事か?どうやって?」

 「知るか。んなこたよりに聞けよ。てか何で最重要事項を聞いてねえの」


 聞いて無いというより、聞くタイミングを奪ってしまったのかもしれない。

 累は結の事で頭がいっぱいで、その苛立ちを依都にぶつけるようにして逃げてしまった。きっと依都は教えたくても教えない空気だったのではないだろうか。


 「ちゃんと聞いてみる。それよりその警報ってどうなるんだ?音がするとか喋るとか」

 「脳で聞くな。ただ言葉を知らない金魚だと何言ってるか分からん」

 「脳?何それ。どうやって?」

 「さあな。なんか分かるんだよ。聞きゃ分かる」

 「誰でも聞けるのか?特定の人間の特殊能力?」

 「誰でも。でも鉢は金魚いねえから足で見回るしかないな」


 累はふと思った。

 遠い場所の情報を得られるのなら、鯉屋に行って結の様子を見て報告してもらう事ができるのではないだろうか。


 「それってどの程度言う事聞いてもらえんの?出目金の居場所だけ?」

 「だーかーら!よりに聞けっての!送ってやっから」

 「ほんと?やー、また出てきたらどうしようかと思ってたんだ。助かるよ」


 見る限りではもう何も居ないようだったけれど、念のためな、と行って一緒に金魚屋へと向かってくれる事となった。

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