第9話 魂の理
「生贄?」
怒りに目を血走らせている累を眺めながら、依都は皿に積まれていた飴を包み紙から取り出して口に放り込んだ。
「放流は昇天の補助をするものって言いますし、危険じゃないと思いますよ」
「なら何で連中は隠したんだ!都合の悪い事があるからじゃないのか!」
累は興奮して立ち上がり、机をバンッと殴りつけた。
その拍子に飴がばらばらと飛び散ってしまい、依都もびくりと身体を震わせた。依都の怯えたような表情にハッとして、累はゆるゆると座布団に腰を下ろした。
「悪い……」
「いえ、これ僕も悪いです。ちゃんと出目金の説明しなかったから」
「やっぱり何かあるのか!?」
累は前のめりになって依都の顔を覗き込んだ。
鯉屋は敵だと思い込んでいる様子に依都は困ったなと思うと同時に、結をどれだけ大切に想っているかをこの数日で痛いほど知っていたのでそれも仕方ないか、と息を吐いた。
「まず大前提ですけど、金魚になるのは未練を持って死んだ人だけです。これはいいですか?」
「あ、そっか。必ず金魚になるわけじゃないのか」
「そうです。本来、死魂は昇天するのが理(ことわり)です。つまり金魚は理を破った、いわば罪人なんですよ」
「あれ?輪廻転生するんじゃないのか?」
「いいえ。転生は鯉屋様の温情なんです。輪廻回廊で反省すればやり直させてあげる。それが輪廻転生です」
「転生してまた金魚になったらどうするんだよ」
「なりません。二度目は出目金になるんです」
金魚屋には目が眩むほどの金魚がいる。
金魚の匹数は死亡者数のごく一部で、出目金はさらにその一部という事になるがそれにしても多い。
所狭しと水槽が並び隙間があれば金魚鉢を置くが、それは日に日に増えていく。累はまだ日が浅いから一様には言えないが、依都が納品した匹数よりも日々金魚屋に追加される水槽の数の方が多いように見えた。
それを鯉屋が弔うとしても、そのための死分けをする金魚屋の従業員は二十人程度しかいない。累には金魚屋が金魚の物量に対処できているとは思えなかった。
「鯉屋様も放流できないわけじゃないんです。でも一日に十匹くらいが限界でとても追いつかないんですよ。でも跡取り様は一度に何百匹もの放流ができます。だから結様が必要なんです」
「なら放流しないで何度だって転生させてやればいいじゃないか。減るもんじゃ無し」
「いいえ、減ります。現世の生者が減ります」
「へ?」
「輪廻転生というのは一種共食いなんです。一人で二人分の人生って事だから」
出目金は共食いをする。食べると相手の恨みも我が物としいずれ自我を失っていくという。
生まれ変わった人生が一個体の中にあるというのは、経緯はどうあれ『複数の人生が同居する』という出来事である事には変わりがない。それはつまり共食いした結果と同じという事になる。
「金魚(みれん)は出目金(うらみ)になり、転生を続ければ憎しみとなる。その憎しみは転生後に現世で晴らそうとするんですけど、現世には犯罪者がいますよね。それです」
累は出目金に襲われた時の事を思い出した。
牙を剥き襲ってきた姿はまるでモンスターだったけれど、仮にあれが現世だったらよくニュースで見る『通り魔による犯行』でありその理由は『気に入らないからやった』という無意味な犯罪だっただろう。
そして転生するごとにその凶悪度が増していくとなると、世界的なテロや大量殺人になっていくという事だ。そうなれば犯罪率は増加し続け、終いには出生率より死亡率の方が高くなる日が来るかもしれない。
「出目金の多重輪廻は現世を滅ぼすんですよ」
依都は何でもない事の様にさらりと言った。死ぬという概念がまだ無い子供の様な目をしている。
累にとってこの世界が非現実であるように、この世界にとっては現世が非現実だ。滅ぼすという事を知識で知っていても実際どういう事なのかは分かっていないのかもしれない。
鉢の人間にあれほど同情的な表情を見せた依都とは思えなくて、累は少しだけ距離を感じた。
「……て事は、鯉屋は出目金を管理できてないのか?」
「はい。いつもは金魚屋で寝かせるんですけど、たまに寝ない子がいて逃げちゃうんですよ」
寝かせる、と聞いて思い出したのは累を助けてくれたあのお湯だ。
成分が何なのかは不明だが、確かにあれは気持ちよくて眠くなり、そのおかげで累は回復する事ができた。あれは本来回復のためではなく出目金捕獲のための睡眠薬のような物だったのだ。
「しかもこっそり金魚の弔いに潜り込んで勝手に転生するんですよ。野良になる子も多いですけどね」
「ああ、野良……あれ?そういや金魚も野良だよな?」
「だって金魚屋に入り切らないですもん。野良猫野良犬野良金魚です」
金魚屋の仕事は死分けだ。
死分け対象となる金魚があそこにいるのであって、対象外の金魚はそこらを浮遊する野良となる。
だが金魚は出目金の様に暴れないから金魚屋が捕まえておかなきゃいけないというわけではない。依都が言うには、出目金の捕獲は金魚屋の仕事ではないらしい。眠らせる事ができるから何となく金魚屋の仕事にされたけれど、本来は死分けるだけなのだ。余計な事まで押し付けられるからうちは人手不足で……とブツブツ言っている。
「まあそれはいいですよ。とにかく転生を繰り返すのは理を二重に犯した大罪です。見つけ次第連行して収容所に繋ぐんですけど、それが鉢なんです」
「……何だって?」
業務への不満と同列に急に恐ろしい事をぺろりと言われ、累は一瞬何だか分からなかった。
「連行?魂を?けどそれ、現世でまだ生きてたらどうすんだよ」
「死にます。原因不明の病死に見えるそうですよ。何だっけな。心不全?」
忘れちゃいました、と依都は恥ずかしそうに笑った。
恥ずかしがる事でも笑い事でもない。
現世で原因不明の死がどれほど発生しているかなんて累は知らないけれど、全く聞かないわけではない。
何しろ結も何故急に悪化したのか分からなかったのだ。ほんの一時間前まで元気だったのに急にだ。あれはまさかこっちの世界に呼ばれたからか、と累はギギギと拳を震わせた。
それでも今の結は元気で楽しそうで、累の目には人生で一番輝いているように見えた。それを奪いたくはないけれど、だからといって生贄にされるわけにもいかない。
けれどそこに世界の安寧なんて持ち出されたら、客観的に見れば天秤にかけるまでもなく跡取りの仕事を続けるべきだろう。
「現世を守るために跡取りが必要……」
だがそのために結を諦める選択なんて、累にはできない。
「そうです。だから結様を生贄になんてするはずないですよ」
だが累にはもう一つ疑問があった。放流が具体的に何をするのかが分からないのだ。
それは金魚の弔いもそうで、まるで当然の事であるかのように鯉屋も依都も言っているがどういう方法で何をするのかが分からない。
しかも跡取りが世界的に重要な存在なら、鯉屋どころか大店にすら住居を持たせてもらえない依都が真実を知っているとは思えなかった。
それに依都は生贄になる事を知った上で嘘を吐くような人間ではない、と累は信じている。だから依都が放流が安全だというのは依都が知らないだけで、隠された真実があるように思ったのだ。
依都の言う事が虚偽とまでは言わないが、まるで教科書を読み聞かされているようでどうにも実感が持てなかった。とてもじゃないけれど、結を鯉屋に任せて大丈夫だ、とはならない。
「……なあ、結が鯉屋のどこにいるか分かるか?」
「確か天守閣だったと思いますけど……まさか行くつもりじゃないですよね……」
「行ってくる」
「行かない!行かないです!累さんは鯉屋様に入ったら死んじゃいますよ!」
「分かってる!けどやっぱり駄目だ!連れて来る!」
「どうやってですか!侵入なんてしたら錦鯉に食べられます!」
錦鯉、と言われて累は走り出す足を止めた。
それは確か跡取りは生贄だと教えてくれた男が言っていた物で、累と結をこちらへ連れて来たのも錦鯉だった。あれが結を引きずり込んだ現行犯だったか、と累はガツガツと畳を蹴りつけた。
「魂を食われるってやつか……」
「そう!そうです!僕らだってそうなんです!絶対ダメです!」
「結ならいいってのか!?結は死んでもいいのかよ!」
「違います!けど、じゃあ累さんが死んだら誰が結様を助けるんですか!」
「そ、それは……」
依都は絶対に行かせまいと、ふうふうと呼吸を荒くして累の身体に抱き着いた。
不安そうに震える唇を噛んでいて、累は依都のこういう顔に弱い。
「落ち着いて下さい。とりあえず生贄が本当なのか調べましょうよ。もし本当なら僕も協力しますから」
「……ああ。すまない」
はあと一息吐くと、累は諦めて座布団に座り直した。
依都が自分は飲まないお茶を淹れてくれたけれど、それを飲む気にはなれなかった。
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