第8話 鯉屋の生贄

 そしてやってきたお披露目当日。

 広場に能楽堂のような設営がされていて、お祭りというよりも神聖な儀式を彩るための装飾や出店がされていた。

 累が見る限り、この世界は赤が多く用いられているようだった。金魚が赤だからなのか鯉屋の趣味か、とにかく暖色が多い。舞台も朱塗りの柱で組まれていて、灯りは山吹色で少し赤みがかっている。

 黄金の屏風には鯉が泳ぐ姿が描かれていて、それは単純に美しかったが累には権力を誇示しているように見えた。

 そしてそれが結を縛り付けているのだと思うと美しさすら憎らしい。


 だがそれはそれ、これはこれ。


 結が人前で何かをするというのは人生で初めての事だった。

 普通であれば学芸会などで壇上に上がる事はあるけれど、小学生の頃に舞台照明の熱に当てられ倒れて大怪我をした事があった。式典で長時間立ちっぱなしになるとこれもやはり倒れてしまい、中学に上がった頃は自分で好きに動く事のできない事には一切参加をしなくなった。

 累は写真や動画を撮って見せたり、その日の出来事を毎日話して聞かせていたけれど、やっぱり自分だけ何もできない事を結は悔しがって泣いていたのを二十年以上見てきた。

 鯉屋の跡取りなんて意味不明な事は容認できないけれど、こんな華やかで大きな舞台に結を立たせてやる事は累にはできない。

 五百ばかりの座席が用意され、それを巡って大店の人間が押し寄せている。立ち見でいいから一目見たいと視界の隅まで人で埋め尽くされて、その外には立ち見ですら入れなかった人達がお祭りの準備をしている。その全てが結のためなのだ。

 結が泣く泣く諦めていた平凡な夢を叶えてくれるのは有難かった。


 累と依都は来賓席に案内され、会場の二階最前列に座席を設けられていた。会場が一望できる最高の席だ。

 どきどきしながら着席すると、しばらくしてから太鼓や笛、鈴の音が鳴り響いた。

 会場が一斉に静まり返ると、上手から大旦那、下手から紫音が静々と登場した。二人共平安時代のような服装で、大旦那は束帯で紫音は十二単だろうか。累はこれがどういう礼儀に乗っ取った衣装なのかは分からなかったが、正直そんな事はどうでもいいのだ。

 二人が舞台正面に立つと、りん、と大きな鈴の音が会場中を包んだ。りんりん、と鈴の音が続く中、舞台背景になっていた金の屏風が左右に引かれて中央に誰かが顕れ、会場中が歓声が沸き起こった。


 「結!結だ!真ん中のあれ!結だ!」

 「跡取り様のお披露目なんだから当たり前でしょう!座って下さい!」


 累は興奮のあまり席を立ち、落下防止の柵から身を乗り出して叫んだ。

 周りは不審者を見るような目をしていて、依都は座らせようと必死に累の腕をひっぱったけれど、そんな事は聞きもしない。


 「ゆ゛い゛~!!」

 「ちょ、累さん、ほんとちょっと」


 舞台ではまだ何も始まっていない。三人が並んだだけだ。それなのに累はぼろぼろと涙を流し、周りの迷惑も考えずぶんぶんと手を振った。

 依都はあああ、と周りにぺこぺこと頭を下げながら、座って下さいよ、と言うけれど累には届いていなかった。

 そして今度は舞台上に結が一人になり、涼やかな鈴の音がし始める。客席は歓声を呑み込みじいっと結を見つめている。そして再びドオン、と太鼓の音が響くと結が両手に持った鯉が描かれている扇子をくるくると翻しながら舞い始めた。

 それは華やかでありながらも厳かで、神聖という言葉が相応しい美しいさだった。


 「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛~!!」


 けれど来賓席には累のみっともない泣き声が響いていた。

 せっかくの式典を台無しにして、と来賓席の面々は累を白い目でみたけれど、累は泣き続けた。


 「累さん、あの、もうちょっと小声でお願いできませんか」

 「結、結はずっと病室で、子供の頃は自分も出たいって言ってたけどそれも言ってくれなくなって、でも本当はこうやってみんなと一緒に何かをしたかったんだ。そういう想い出が結は何もないんだ。それがこんな、こんな大きい舞台に立てるなんて……」

 「嬉しいですよね。分かります。分かりましたからもう少し声を抑えて下さい」


 しかし結局累は泣き止む事はなかった。舞台は三十分ほど続いたけれどその間ずっと泣き続け、周りも最後は諦めていた。

 そうして舞台が終わると、今度はお神輿のような物に乗って担がれた。どうやらこのまま大店に姿を見せに行くようで、累もよく見える位置に行こうと沿道で人を掻き分け押しのけ、周囲に何だコイツ、と言われながら無理矢理最前列を確保した。


 「もー!こんなに迷惑かけて後で結様が怒られたらどうす」

 「あ!結だ!来たぞ!」

 「ちょっと!聞いて下さい少しは!」


 依都はすっかり母親のようになっていた。

 けれど累の嬉しさが爆発している姿を見ると無理に止める気にもなれず、やれやれ、と苦笑いで周りに頭を下げる。

 累はひたすら結、結、と叫び続けていたけれど、結が進んでいく姿を見て、ぴくりと身体を揺らし声を呑み込んだ。


 「累さん、追いかけなくていいんですか?結様行っちゃいますよ」

 「あ、ああ……いや……俺ちょっと出てくる!」

 「え?どこに?」


 そう言って、累は再び人を掻き分けて依都を置き去りにしてどこかへ行ってしまった。

 依都は結の進行方向とは逆に走り遠くなっていくのをぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。


*


 累は大店から出て鉢に向かって歩いていた。

 瞼に焼き付き脳に刻み込まれた、華やかに煌めく結の姿を頭の中で何度も再生する。


 「……もう俺なんていらないのかなあ……」


 鉢に近付くにつれどんどん人はいなくなり、どうやら盛り上がっていたのが大店の中心部だけのようだった。

 くたびれた土にぺたりと座り、累は膝を抱え込む。。


 累は寂しかった。

 生まれてから今まで、結の望む事は何でもやってあげたかったし、できうる限りの事は累が叶えてきた。両親ですら「いくら何でも甘やかしすぎ」と言って呆れるくらい結の傍で支えてきた。

 それが今回の舞台は全て鯉屋が用意した物で、結を支えていたのは累ではなく紫音だ。累はまるで累は結が取られたように感じていたのだ。

 けれどそんな事で結の晴れ舞台を見届けないのは違うよな、と累は大店へ戻ろうともう一度立ち上がった。

 するとその時、茂みがガサガサと音を立てて揺れ、バキバキと何かが小枝を踏みつぶす音が聴こえてきた。

 ここは大店から街を抜けて、さらに鉢との間という何も無い場所だ。揺れる茂みの奥は森になっていてとても人が立ち入る意味など無いように見える。

 まさか鉢の人が暴力を振るわれでもしているのではと不安になり茂みに駆け寄ると、びょんと何かが飛び出し累の顔面にぶつかり跳ねた。


 「ぶふっ!何だよ!」


 思い切り鼻を潰されて、憎々しげに振り返るとそこには見覚えのある物が転がっていた。


 「お前、黒金魚じゃん」

 

 それは金魚屋の死分けで掬った黒い金魚だった。

 両手を使わないと捕まえられない程度には大きく丸々と太っている。金魚とは違う魚に見えるほどだ。


 依都が言うには、金魚は死因によって弔い方が違うらしい。具体的にどう違うのかは聞いていなかったけれど、それだけだろうと累は金魚に近付いた。金魚屋に連れて行けば順次鯉屋に弔ってもらえる。しかし金魚鉢が無ければ捕まえる事は出来ないと言うのを思い出し、伸ばしかけた手を止めた。

 止めたその瞬間だった。金魚が大きく口を開いて累の手が届いたかもしれない場所にガチンと噛みついてきた。


 「は!?何それ!!」


 それは金魚にはあり得ない、大きな牙が生えていた。

 片手てようやく握れるだろうほどに太く、口を開ければ開けるほど長さが伸びて親指ほどの長さになった。


 「何だよ、何このモンスター的な感じ……」


 モンスターと言えばいわゆる化け物だ。

 RPGゲームで言えば倒すべき敵。何故なら襲ってくるからだ。

 累はじりじりと距離を取ったが、黒金魚も距離を詰めてくる。じーっと睨み合っていたけれど、ついに金魚は空中をびょんと跳ねてきた。


 「やっぱり!?」


 嘘だろ、と累は全力で走った。

 けれど金魚の泳ぐスピードの方が圧倒的に速く、ついに足に噛みつかれてしまい、土に顔を埋める事になってしまった。

 幸いズボンが分厚いおかげで牙が肉に穴を開ける事は無かったけれど、それでも多少の痛みが走った。


 「脚を狙うなんて賢いじゃないか。知能があんの?」


 累の頭より高い位置を飛んでいたのにわざわざ地面スレスレに降りて足首を狙うなんて、逃げないよう追詰めているようだ。

 しかし逃げるにしても、自分より速く小回りもきいてすばしっこい。しかも大きさ的にも捕まえにくい。せめて抱え込むくらい大きければいっそよかったのだが。

 それに単純に怖い。心なしかさっきよりも牙が太く長くなったようにも見える。ガチガチと音を立てて噛みつく下準備をしていて、頼んでも逃がしてはくれないだろう。

 どうしたらいいんだ、そんな戦略を練る余裕など与えてくれるわけもなく、黒金魚は累の顔面目掛けて飛んできた。まずい、と累は両手で顔を覆ったけれど、飛びついてきたのは黒金魚ではなかった。


 「……お湯?これって」

 「来い。逃げるぞ」

 「は――」


 後ろから男の声がした。けれどその正体を確認するよりも早く累の腹に男の腕が回され、そのまま手荷物の様に抱えられた。

 黒金魚を見るとぽとりと地面に落ちていた。


 「これ金魚を眠らせるお湯だよな。あれ依都が俺に」

 「黙ってろ。舌を噛むぞ」


 そうして、男はそのまま街へ逃げ込み、金魚屋の前に辿り着いたところでようやく累を降ろした。


 「大丈夫か」

 「はい。有難う御座いました。あの、何ですかさっきの」

 「《出目金》だ。現世の恨みに支配されちまったんだな」


 目がぼこりと飛び出て真っ黒な身体。言われてみれば確かに姿は出目金だ。

 だが姿が違うだけで何故モンスターのごとく襲ってくるのだろう。

 男はやれやれと崩れた着物を整え、いぶかしげな顔をしている累を見てクスッと笑った。


 「奴らは恨んでる相手を殺したいんだよ。けどな、共食いすると出目金(たにん)の恨みも取り込んじまう。そうなると誰を何で恨んでるのかも分からなくなって、しまいにゃ自我を失い殺す事が目的になっていく」


 依都が言った『死因が違う』というのはそういう事か、と累は眉をひそめた。

 けれどそれがモンスターになるとは聞いていない。


 「あれどうするんですか?危険じゃないですか」

 「跡取りが消すんだよ」

 「跡取り?跡取りの仕事は金魚の弔いですよね?」

 「そりゃ鯉屋の仕事だろ?跡取りの役目は恨みを浄化する《出目金の放流》だ」


 初めて聞く言葉に、累は首を傾げた。

 累の認識だと祈りを捧げて転生させるという、神主のような事だ。その程度なら結が元気に暮らせるための代償としては安いものだと思い始めていた。


 「放流って何ですか?お祈りじゃないんですか?」

 「祈り?そんな可愛いもんじゃない。ありゃ共食いみたいなもんさ。出目金を自らの中に放流し、己の魂で相殺する」

 「は……?」


 男は目にかかった髪をかき上げにやりと笑った。


 「鯉屋の生贄さ」

 「なっ――!」

 「放流の儀は一か月後だ。跡取り殿の魂はいつまで永らえるかな」


 なんだ、それは。


 累はガタガタと震え出した。

 結は今鯉屋にいる。

 いつでも放流をやらされる状況にいる。

 

 助けなければ。


 累は大店に戻ろうと男に背を向けたけれど、男が腕を引っ張ってくる。


 「忠告してやる。鯉屋の錦鯉には手を出すな」

 「錦鯉?あの、お嬢さんが連れてた?」

 「そうだ。あれは人工出目金みたいなもんで出目金(たましい)を喰う護衛さ。使い捨てだけど間違いなく魂を食われる。生者でもな」


 男は累の心臓があるあたりをトンと突くと、またにやりと笑って消えていった。


 「結……!」


 大店からは結を祝福する赤い光が溢れていた。

 それは金魚が放つ魂の光のようだった。

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