第11話 神威の初恋

 神威に護衛してもらい金魚屋に戻ると、仕事をしているはずの依都が店先できょろきょろとしていた。

 それを見つけて累は依都に駆け寄った。


 「依都!」

 「あ、累さん!よかった、無事で――もがっ」


 累は心配そうな顔でととと、と小走りで向かって来た依都をぎゅうっと抱きしめた。

 依都はぷはぁ、と累の力強い腕から顔を出すと、きょとんと小首を傾げて累の背をぽんぽんと軽く叩いてやる。


 「どうしたんですか?」

 「……昨日はごめん。八つ当たりした」

 「ええ?そんな事気にしてんですか?繊細ですねー」


 あははと依都は笑い飛ばしてくれて、うーんと低く唸りながらぱたぱたと触って累の身体を丹念に調べ始めた。


 「うんうん。怪我は無さそうですね。出目金、大丈夫でしたか?」

 「ああ。神威が助けてくれたんだよ」

 「あれ?神威君も一緒戻って来たの?もう出目金いないよね」

 「ここ戻るまでに出たら困るからな」


 累は命の恩人だと頭を下げたけれど、依都は何故かにやにやと含みのある笑いを浮かべている。神威は口を尖らせてぷいっと視線を逸らしたけれど、依都はとクスクス笑いながら神威の周りをちょろちょろと走り回っていた。


 累から見る依都は幼いながら仕事もこなすしっかり者だ。

 こんなふうに友達とじゃれる様子を見たのは初めてで、子供らしい姿に何となく安堵した。それにしても、神威は累よりも少しばかり年上に見える。依都とは随分と年齢差があるだろうけれど、とても仲が良さそうだった。


 「まあ累さんを守ってくれた事についてはお礼言うよ。有難う」

 「ったく。つーか累、お前よりに聞く事あんだろ」

 「あ、そうだ!なあ、金魚ってテレパシー使うって本当か?」

 「てれぱしー?」


 こてんと首を傾げて依都はぱちくりと瞬きをした。

 日本語以外は分からないというのをついつい忘れてしまう。思ってるより英語と和製英語が多いんだな、と累はこちらに来てから始めて実感していた。けれどそういう時累は説明に困る事も多い。


 「何て言うんだろ。えっと、こう、遠くにいても話ができるんだろ?」

 「そうですよ。頭の中でこしょこしょーって。僕らは口で音にしますけど、金魚は音にできませんから」


 それは声帯の有無を言っているのだろうか。

 だが金魚が飛ぶ理屈を聞いても「金魚ですから」と返されるので、脳内で話せるのが何故かを聞いてもおそらく「金魚ですから」で返されるであろう事は予想できた。累はこの世界の仕組を追及しても解明できないだろうという結論に達している。


 「うん。そういう物なんだな。それってどこからでも大丈夫なわけ?」


 どこ、と言われて依都は一瞬考えたけれど累の思惑にピンときたようで、ははあ、と笑った。


 「結様のところに潜り込ませるつもりですね」

 「やっぱ駄目か?」

 「駄目というか無理です。鯉屋様に入ったら金魚は弔われるので戻って来れません」

 「あ、そ、そっか……」


 ああ、と累は肩を落とした。

 累は弔いは儀式的な物で、鯉屋がやらなければ何も起こらないのだと思っていた。だが自動的に行われる物なら累が鯉屋に入れないのと同じようなものだ。

 当てが外れて露骨に落ち込んでいると、依都は励ますように笑ってちょんと累の腕を突いた。


 「中に入るのは無理ですけど、結様を見かけたら教えてねって頼むのはどうですか?」

 「え?それはありなの!?」

 「入らなければ。けどまあ、金魚の気分次第ですけど」

 「いい!十分!頼むってどうすんの!?」

 「頼むんですよ。神威君、あれ取ってー」


 依都は店先に置いてある木製の棚の上に置いてある金魚鉢を指差した。

 それは依都では両手で抱えないといけないほど大きくて、確かに依都では持てないだろう。

 神威がひょいと地面に降ろしてやると、見ればその中では一匹の金魚がすいすいと泳いでいる。何の変哲もない金魚だ。

 依都と神威は二人してしゃがみ込むと金魚鉢をじいっと見つめ始めた。


 「あのね、お願いがあるんだ。ほら、神威君もお願いして」

 「はいはい」


 依都はぺしぺしっと神威の腕を叩いた。すると二人はまた黙ってしまい、累が何となく焦っていると神威がすっくと立ち上がった。

 それと同時にぴょんと金魚が鉢から飛び出して来て、依都の周りをくるくると泳ぎまわる。そして今度は累の顔をじいっと見つめてから依都を見ると、そのままついっとどこかへ行ってしまった。

 依都はお願いねーと手を振って金魚を見送り、累は訳が分からず首を傾げていると神威が得意げな顔をして背中を叩いてきた。


 「よかったな」

 「え?何が?」

 「だから、金魚達が跡取り見かけたら連れて来てくれるって」

 「え!?まさか今脳内会話してたのか!?」

 「あ、累さんやっぱり聴こえないんですね」


 依都が人差し指でこめかみを突いて見せる。

 どうやら今の金魚に結の事を頼んだようだったが、累には金魚の声など全く聞こえていなかった。

 この世界の人間と累――現世の人間は根本的に肉体構造が違うのだろう。現世では魔法や超能力など空想上の出来事だけれど、こちらはそういった事象が当然のように存在する。けれど身体は現世のままである以上、累の身体にとっては空想のままだ。


 「えー。俺もテレパシーやりたかった」

 「けどあいつら知能も性格も違うからあんまり期待すんなよ」

 「そんなに個体差あるのか?」

 「そりゃありますよ。僕と累さんだって全然違うでしょう?別人ならぬ別金魚です」

 「さっきの金魚ほどハッキリ喋る奴は珍しいな。普通はあーとかうーとか唸るだけなんだよ」


 うーうーと言うのならそれは確かに警報のようだ。

 現代では色々な警報があるけれど、基本的な物は日本の概念が通用する。


 (そういやここって日本なんだよな?)


 名前や文化、言葉、文字……累が経験した限りではこの世界はすべて日本と同じだ。

 けれどここが死後の世界だというのなら日本以外の国籍の人間がいてもよさそうなものだ。もしかしたら現世のように国境があり国別になっているのかもしれない。

 それに、魔法じみた出来事があっても所詮は人間だ。

 鯉屋という支配者がいて優雅な生活を送る富裕層である大店、一般家庭の街。そして分かりやすいくらいに底辺である鉢。

 罪人だなんだという話はあったが、結局そうなってるのはお金を持ってるか否かだ。罪人だろうが収入さえあれば食料や衣服が手に入る。だが仕事が無いから苦しい生活になる。

 魂が金魚になるくせに金銭によるカーストがあるのは人間らしいな、と累は鉢の荒廃を思い出していた。


 「なあ。金魚が遠隔で会話できるなら連絡網にしたら?」

 「連絡網?何のですか?」

 「鉢の状況を教えてもらうんだよ。足りない物を教えてくれれば配達に行けるだろ。食べ物とか服とか」

 「んなこた分かってんだよ。分かったところで物資がねえの」

 「特に飴は大店で買ってこないといけないし、ちょっと難しいですね……」


 累は鉢の方に視線をやった。

 荒廃した土地に廃墟のような家、取り囲む泥水と鬱蒼とした森林。体力も気力も無く死を待つだけの人々。


 「……物資が用意できればいいんだな」


 そして、累はとある場所へ向かって走り出した。


*


 累は鉢の周辺を取巻く森林に入り、そこから坂道を延々と上り続けていた。


 「累さーん!どこ行くんですかー!」

 「物資を取りに行くんだよ」

 「物資ってなんですかー!もー!」


 累は何かを確かめるように踏みながらどんどん進んでいく。

 身体の小さな依都には起伏の大きいこの山道を累と同じスピードで歩くのは難しかったようで、、ひい、はあ、と呼吸を荒くしていた。

 見かねた神威はひょいと依都を抱き上げ肩に乗せ、依都はやったーあ、と神威の頭にぎゅうと掴まった。依都がきゃっきゃと喜ぶ様子を嬉しそうに見上げて、落ちるなよ、とそのまま累の後を付いていった。


 そのまま十分ばかり歩くと視界に街が見えて来た。

 鉢からは少し離れるけれど大店からは遠く、街の人々にはちらほらと見つかってしまうくらいの位置だ。

 しかし大店の人間が街に降りて来れば見つかるだろう。そのせいもあってか周辺に鉢の人の姿は見えない。何より勾配がきつすぎてちょっと行きましょうの道のりではない。


 けれどここに累のお目当てがあった。


 「物資って、まさか滝ですか?」

 「正確に言えばここの水だ」


 目の前にはそんなに大きくはないけれど、鉢の泥水よりははるかに美しい水の流れる滝があった。そこでは街の人が桶で水を汲んでいる。

 この世界の主食は飴だが、水は現世の人間と同じように飲む。もちろん洗濯や掃除で使う事もある、

 水は鯉屋や大店、そして一部の商店を除いた一般家庭では水道ではなく点在する滝から持ってくる物だった。そしてその生活排水が鉢へ流れていく。

 つまりこの滝の水が鉢まで降りてくれれば少なくとも水には困らなくなる。


 「これならタダで在庫無制限。水不足が深刻な区画を明確にして届けるんだよ」

 「運搬どうすんだよ。この水抱えて鉢まで歩くなんて無理だぜ」

 「水路を作る。鉢まで勝手に流れるようにするんだよ」

 「水路?そんなのどうやって作るんだよ」

 「地面掘って舗装して水を流れるようにするんだよ。まずは掘るわけだけど」

 「誰が」


 累と依都はじいっと神威を見つめた。


 「……あ?」

 「神威君!破魔矢で掘って!」

 「アホ。破魔屋の旦那に依頼しろ。つーか破魔矢は出目金以外にゃさして効果ねえし」

 「そんなお金ないよ~!タダで手伝って!」

 「駄目」

 「幼馴染でしょ!?」

 「商売にンなの関係ねえなし」

 「破魔屋さんは力仕事だって何でもやるじゃない!筋肉いっぱい!」

 「駄目なモンは駄目。報酬寄越せ」

 「……報酬があればいいんだね」


 分かった、と言って依都は神威の肩からぴょんと飛び降りると滝の傍に置いてある長椅子にとんっと腰かけた。

 そしてさあ来いとばかりに神威へ向かって両手を広げた。


 「はい!膝枕してあげる!」

 「あ?」


 依都のキラキラとした眼差しに、累は首を傾げて神威は眉をひきつらせた。


 「ナメてんのか。何が報酬だ。昼飯代にもなりゃしねえ」

 「え?食べ物なんかよりも嬉しいでしょ?だって一目惚れして二十年ずっと片想いしてた僕の膝枕だよ?」

 「うわああああああああ!!」

 「初対面でちゅ~ってしようとした大好きな僕の膝枕だよ?凄い報酬じゃない?」

 「っだ、だから!女だと思ったんだよ!女物着てたから!」


 神威は大慌てで依都の口を押えた。

 けれど依都はその手からするんと逃げだし、にやにやしながら神威の脚の周りをちょろちょろと走り回る。


 「突っ込みどころが多すぎるんだけど、まず依都は何歳だって?」

 「僕は百十七歳ですよ。こっちは魂の強さ次第で何百年も生きます」

 「ゲ。まじか。十歳くらいかと思ってた。外見は成長しないわけ?」

 「外見は魂ができた時に決まって、そこから変わりませんよ。ずっとこうです」

 「俺的には成人男性が十歳の少年に惚れるっていうのはなかなか衝撃なんだけど、それはどうなの?」

 「僕らは外見年齢あんまり関係ないんですよ。大事なのは魂の色です。性別は気にした方が良いですけど」


 もしや出目金が危ないとか言って送ってくれたのは依都に会いたいがためか、と累は苦笑いを浮かべた。

 神威はああああ、と頭を抱えて顔を真っ赤にして蹲っている。


 「男だって知ってから諦めるまで十五年かかってますよ。ちなみに諦めたのは三年前です」

 「最近じゃねーか」

 「うるせー!今はちげーよ!俺は手伝わねえからな!」


 顔を真っ赤にしたまま神威はふいっとそっぽを向いたけれど、依都はふうん、とまた企み顔で神威にそうっと耳打ちした。


 「手伝ってくれなきゃアレ、大店のど真ん中で叫ぶよ」

 「アレってなんだよ」

 「え?今累さんの前で言っていいの?僕が男だって知る事になった神威君の行いを」


 言うと、依都はおもむろに着物を脱ごうと前の袷を緩め始めた。

 累はぎょっとして止めようとしたけれど、それよりも早く神威がうわああ、と叫びながら依都の着物を整える。


 「おまっ、お前なあ!」

 「信用ガタ落ちだよね~。神威君のせいで破魔屋さん依頼ゼロになっちゃうかもね。あ!廃業かな!?」

 「っだー!わーかったよ!手伝えばいいんだろ、手伝えば!」

 「ほんと!?わーい!やっぱり神威君優しいよねっ!あ、膝枕する?」

 「……後で」

 「するんかい」


 神威は累のツッコミは聞こえないふりをして、依都は満足げに笑っていた。

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