第175話 できるかぎり過去にはしたくない

 FFのⅧだったかな。ゲームのね。

 スコール(主人公)の言葉にね。


「俺は過去形にされるのはごめんだからな!」


 っていうセリフがあって。

 当時はそんな風に考えた事も無かったから、衝撃をもって記憶に残ったんだ。


 確かに、意識しているしていないに関わらず、過去形で話す事は多くて。

 ただ単に、


「昨日映画を


 とかそういうのじゃなくて。

 なんていうかな。

 その人そのものが過去になっている場合ね。

 もう、ここにはいない人。

 その人のことを話す時、だいたい過去形になるんだよね。


 スコールはそれを嫌がっていたんだけど。


 確かになぁ、って。思ったんだ。


】が生死に関わらずね、自分の事を過去形で話されているのを想像したら、寂しいなって思った。


「平さんて、変な人よね」


 とか


「平さん、よくこれ好きだってよね」


 とか。


 ・・・・寂しいを通り越して、ゾッとするなぁ(・_・;)


 わたしいるよっ?!

 ここにまだいるよっ?!


 って。

 思ってしまう。


 でね。

 仮にわたしがこの世を去ったとして。

 それでもし、幽霊になってこんな話を耳にしたとしても。


 ・・・・やっぱり、寂しくなっちゃうと思うんだ。


 それからかなぁ。

 なるべく、過去形では話さないようにし始めた。

 なるべく、だけど。

 もう、こここの世にいない人やいないコの事を話す時も。

 とは言え、私の中にいる親しい存在、大事な存在に限定されちゃうけどね。


 浄土真宗のお坊さんが言ってたんだ。

 一番の供養は、お供えものを毎日欠かさず供える事でもなければ、毎年欠かさずお墓参りに行く事でもない。

 だってもう、そこにはいないんだから。

 ただ、忘れることなく、想う事。

 それが一番の供養なんですよ、って。

 ・・・・こんなこと言っちゃなんだけど、浄土真宗の考え方って、理に適っているというか、生きている人間の立場に立っている宗教な気がするのだよね。

 たとえば、「49日に納骨しなくちゃ」って話をした時も、


 そんなことに拘らなくてもいいんですよ。好きなだけ、一緒にいて差し上げればいいんです。だって、そうでしょう?雪の多い北の国で、真冬に49日を迎えた場合、どうするのですか?積りに積もった雪をかきわけてまで、納骨するんですか?


って、お坊さんが(笑)。

 祖母の法事の時にそんな話をしてくれて、みんなで笑っちゃったんだ。


 うちは代々浄土真宗だったみたいなんだよねー。

 墓じまいして納骨堂にするにあたって、浄土真宗じゃないところにしちゃったけど(爆)

 あそこ何宗だったっけなぁ?

 大日如来様がご本尊だから、真言宗かな。

 でも、宗派問わずに受け入れてくれるという心の広い宗派だし。

 わたしの大好きな不動明王様も祀られているし。

 何の問題もなし~♪


 先日、祖父の三回忌の法要をしてもらったんだけどね。

 祖父にずっと、心のなかで話しかけてたよ。

 そこに祖父がいるみたいな感じで。

 そういうのが一番の供養になるのかな。

 確かに、自分だったら、偶にでいいから思い出してもらって話しかけて貰えると、ものすごく嬉しいと思うんだ。


 ・・・・我が家では順番的に一番最後はわたしなんだけどねぇ(^^;

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