第112話 『聖戦』という名の戦争はアリなのか?

私の考えは、「ナシ」です。

誰が何と言おうと、「ナシ」です。

人を殺す時点で、それはもう『聖』という字に対する冒涜だと思う。

ただの、『戦争』です。


『聖戦』てさ。

響き、かっこいいよね。

この、かっこいい響きを汚さない戦い方が、人にはできるんじゃないのかなぁ。

舌戦とか。

頭脳戦とか。

情報戦とか。

戦う術はいくらでもある。

なのになんで安易に、人を殺す方に行くんだろう?


特定の宗教に対する批判ではないんだけど。

人を殺せと命ずる神は神に非ず。

そう、思ってる。

どんな神だって、どんな命も愛している。

神って、そういう存在だと思ってるから。


自分以外の神を崇拝する人間はけしからん!


そんなこと言う神様、いると思う?!

どんだけ心狭いのよ(笑)

みっともないし情けない!

だからね。

人を殺せと命ずる神がもしいるとしたら、それは神のフリをした悪魔なんじゃないかと思うんだ。

まぁ。

大抵の場合は、神のフリをした悪魔のような人間、なんだろうけど。


ゲームとかでさ。

無双、あるでしょ。

気分爽快だよね。

でもあれはゲーム。現実じゃない。

現実では、一度死んだ人間は二度と戻らないし、どんな人間にも名前があって、家族や友人がいる。たとえ家族や友人がいなくたって、殺されていい人なんていない。

死ぬ。

という言葉。

仕事でも絡むから、馴れてしまいつつある自分が嫌なんだ。

文字での通達だけ。

発生する事務処理をこなすだけだから、余計にタチの悪い慣れ方だなぁと思う。

それでもやっぱり、気分は沈むよ。

顔も知らない、赤の他人だって。

でも。

身近な人にしてみれば、そんな、簡単なものじゃない。

もう二度と、会えない。触れられない。話せない。声も聴けない。

何もしなくたって、いずれ死ぬのに、なんでわざわざ、殺すのよ、殺されなきゃ、いけないのよ・・・・


『聖戦』という言葉を使って国民や民衆を鼓舞するような指導者はもう、終わってると思う。


だったらお前が先陣切って戦えや。


って思う。

大抵の場合、そんな言葉を使う指導者は、自分は安全なところでヌクヌク暮らしているからね。


自分自身や自分の大切なものを守るための戦い。

この場合はどうなるのかなぁ。

いきなり襲われたらやっぱり抵抗するよね。

場合によっては、相手を殺めてしまうかもしれない。

でも、いきなり襲う方が悪いとは言え、殺人は殺人だ。

良い訳が無い。

きっとずっと、人を殺めてしまった後悔の念に苛まれるんだろうなぁ。

・・・・いきなり襲った方が、絶対的に悪いのに。

そういう意味でも。

戦争なんて、起こしちゃダメなんだよ、絶対に!


本当に、子供みたいな疑問だけど。

戦争って、なんで起こるんだろう?

何がどうなったら、始まってしまうんだろう?

誰がなにをどう考えたら「よし、戦争始めよう!」みたいな考えに至るんだろう?

一応義務教育で社会は学んできたはずなんだけど。

本当に、分からない。


あんなに人を殺してあんなに建物を破壊して色々なものをメチャクチャにして、『戦争』なんて、一体誰に何の得があるというのかな・・・・


賢い人間ならさ。

ちゃんと『聖戦』、するべきだよね。

人を殺めない戦い方。

人だけじゃ、なくて。

環境破壊をしない戦い方。

できると思うんだけどな。

本当に人間が賢いのなら、さ。

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