第111話 清濁併せ呑める人になりたい

『清濁併せ呑む』

ってさ。

1人の人間が、悪い面も良い面も併せ持っていること、だと思ってたんだけど。

これ、誤用だって・・・・恥ずかしい~(*ノωノ)

一応、国文のクセに!


正しくは、器が大きくて、善悪の区別なく受け入れる事、なんだって。

それはもう、神様か仏様の領域じゃないかと、わたしなんかは思ってしまうのだけど・・・・どうも、器が小さいもので(^-^;

だってさ。

善は問題ないとして、『悪』を受け入れてしまったらさ。

もう、警察要らないじゃない。

刑務所も要らないじゃない。

野放し状態じゃない!

怖いって!!(>_<)


世の中きれいごとばかりじゃ成り立たない。

善だけじゃ、きっと成り立たない場面もあるんだろう。

この場合、『善』をどう定義するか、ということにもよるのかもしれないけど。

少なくとも、


役に立たないから切り捨てる


ということは、『善』の定義には含まれないような気がする。

でもそれだとやっぱり、成り立たない局面は必ず存在すると思うんだよね。


色んな人がいるから、世界が回っている。

ってね。

頭では、分かっているんだけど。

やっぱりどうしても、圧倒的に「きれいごと」に惹かれてしまうし憧れてしまう。

そして、それ以外へは、排除したくなるか、憎悪してしまう。

自分自身も含めて。


自分自身の中にだってさ。

『善』があって『悪』があるんだよ。

『善』はともかくとしても。

『悪』なんて、悪知恵ばかりは増えていくから、どうにかこうにか理由を並べ立てて、正当化しちゃったりして。

それでもやっぱり『悪』は『悪』だから、そんな自分が嫌いで受け入れられなくて落ち込む時だってある。

自分自身の中の清濁さえ併せ呑めない人間が、本当の意味での『清濁併せ呑む』人間になるには、相当な時間が必要だよねぇ・・・・時間がいくらあっても、無理なような気もしてきた(>_<)


まだまだ、器が小さいんだよなぁ。

いつか、清濁併せ呑める人になりたいなぁ。

そう思う、今日この頃・・・・

でも。

今のこの世界情勢においても、本当に『清濁併せ呑める人』なんていう心の広い器の大きい人、いるんだろうか・・・・

わたしはどうしたって、わたしから見た「悪の権化」の某国のトップを受け入れる事は、できそうにない。


だけど。

排除する力が強まれば強まるほど、抵抗も強まるんだよね。

受け入れる寛容さが、必要なのかな。

頭では、分かるけど。

実害を受けている当事者ではない今でさえ受け入れる事ができないのに、実害を被っている、命の危険に晒されている当事者に『受け入れる寛容さが必要』なんて、とてもとても言えるものじゃないし。

それが正しいかどうかも、分からないし。


難しいねぇ。

ただ平和に生きる事。

そんな簡単なことすら、できないなんて。

この、科学や技術が格段に進んだ世界においても。

一国のトップはさ。

やっぱり、『清濁併せ呑む』くらいの器の大きい人じゃないと、ダメだな。

【戦争】って言っただけでその人を牢屋にぶち込むようなちっさい器の人間じゃ、やっぱりダメだと思う。

あの人、もう少しまともな人だと思ってたのにな・・・・残念。

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