第50話 本人が望まなくても才能は伸ばすべきなのか?
自分が望まない才能なんて。
そんなもの、いらないのに。
望まない才能を、周りがどうにか伸ばそうとした結果。
私はもう、それに対しては、恨みと憎しみしか持てなくなった時期があった。
ようやく解放された時には、見たくも触りたくも聴きたくも無い。
そんな、状況。
あれからだいぶ時間が経ったけど、今でも触る気には到底なれない。
おそらくそれは、一生だと思う。
仮に、
「やらなきゃ殺す」
って言われたら。
・・・・とりあえず、1週間くらいは考えさせてもらいたいかな。
でもきっと、1週間考えたところで、殺される方を選ぶ気がするけど。
本当に、私に「才能」とやらがあったのかは分からないけれども、「資質」があったのは事実らしい。
それは、「手」。
人より大きめで人より指が長めで、厚みがある手。
・・・・そんな「資質」もねぇ。
私としては、全然嬉しくないのだよ。
私は友人の、小さくて華奢で可愛らしい手が、羨ましくて仕方が無かった。
確かに私は、それができるようになったらいいな、とは思ったし、それをやってみたい、とも言った。
だけど。
それだけをやりたい、とは、一言も言っていない。
私の幼稚園~高校時代は、それに塗りつぶされていて、今でも、当時流行っていたドラマやら歌なんかの話には、全くついていけないんだ。
今は大人にもなったし、そんな状況にも馴れたけれども。
流行当時に話題に付いていけないあの、取り残されたような感覚。
それも、恨みに繋がったのかな。
こんな、結果的に憎悪だけが残ってしまうとしても、「才能」とやらは、伸ばすべきなのかねぇ?
それとも。
たまたま、「才能」の伸ばし方を、間違われてしまったのか。
私には、分からない。
分からないけど。
本人が望まない「才能」なら、無理して伸ばす必要なんて全くない。
というのが、経験に基づく私の考え。
本人が望むなら。
苦しくても辛くても、それがいずれは「楽しい」という気持ちに繋がるのならば。
苦しくて辛い時は励ましながら、その「才能」はもちろん、周りが助けて伸ばしてあげるのがいいと思う。
「才能」の中には、【その才能を伸ばすために、辛くても苦しくても、努力し続ける事ができる才能】も含まれていると思うんだよね。
私が望んでいなかった「才能」とやらの中には、そんな【才能】は一ミリも含まれていなかったんだよ。
うん。
敗因はきっと、そこにある。
あと。
断固として拒否する強さが、私の中に無かった、というのもね。
今ならできるんだけどねぇ、断固拒否!(笑)
でも、難しいというか。
上手くいかないというか。
欲しい人に欲しい「才能」って、なかなか与えられていないものなんだよね・・・・
世の中そんなに甘くは無いぞ、ってことなのかな。
・・・・知ってるけどさ、そんなこと。
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