朝帰りを止めない理由

 俺は直近であった出来事をありのまま伝えた。

 夜も遅いのであまり長々とは語らなかったが、とりあえず『シスターが逢い引きをしているということ』と『相手はロイスさんである』という部分を語った。


「は……あ、えっ?」


 語り終えると、俺の上に馬乗りをしているニコラが口を開けて呆けてしまった。

 確かに、シスターは朝帰りをするような人間に見えるとは思わない。


 きっと自分の中でのシスターのイメージが崩れてしまったのだろう。

 俺もそれに気がついた時はかなり驚いたものだ。


「ナギト、それ……本気で言ってる?」

「逆にこの状況で嘘をつくと思うか?」

「ナギトがアリスを庇って……」

「だったら「聞くな」って初めから言ってるよ」


 誤魔化す気があったんだったら、そもそも初手でこのやり取りを終わらせている。

 話を続けてまで嘘をつき続けるのはリスクが高いし、ニコラが怒る可能性もある。


 そんなことを天秤に乗せてまで嘘をつき続ける理由は、今の俺にはない。

 それが分かってくれたのか、ニコラは額に手を当てて悩み始めた。


「嘘……あのアリスがそんなことを」

「実際に、ロイスさんと会っているっていう話は聞いたからな。間違ってはいないだろう」


 といっても、この目で見たわけでもなく単に聞いただけの話だが。

 しかし、辻褄は合ってしまうので間違ってはいないと思う。


「ナギトは、それでいいわけ……?」


 ニコラが心配そうに俺の顔を覗く。


「いいも悪いも、俺にシスターを止める権利なんてねぇよ。せいぜい、夜道に気をつけろって言ってやるぐらいだ」


 そこだけは心配だからな。

 ロイスさんがいるなら安心かもしれないが、夜道だけはどうしても気をつけてと言いたくなってしまう。


「どうしてそんな反応ができるの!?」


 俺が肩を竦めていると、唐突にニコラが俺の肩を思い切り掴んだ。

 そして───


「あんたはアリスのことが好きだったんでしょ!?」


 ニコラの叫びが室内に響く。

 外も静かで、薪の割れる音もしない今この瞬間、ニコラの震えるような声はよく響いた。

 この教会が村から少し離れていなかったら、今頃ニコラの叫びは色んな人に聞こえてしまっていただろう。


 いや、それよりも───


「……気づいてたのか」

「当たり前でしょ。昔からずっと知ってたわよ」

「……そうか」


 そんなに露骨だっただろうか?

 正直、自分では「好き」と分かるような露骨な態度は見せていなかったように思える。

 まぁ、シスターが「大切な存在」だということは露骨に出してはいたのだが……まぁ、そこから勘づいた可能性はあるな。


「……私、あなたとアリスが結ばれるものだと思っていたわ」

「俺もそうなればよかったって思ってたよ。実際には違ったがな」

「アリスもナギトとは特に仲がよさそうに見えたから、ナギト以外の男を選ぶとは思えない……」

「そう思っていても、実際は起こったことが全てだ。アリスからそういう話を聞いていたんだったら、話は違うだろうがな」


 俺は手首を振ってニコラに降りるよう促す。

 流石に馬乗りの状態で話を進めようとは思わないからな。


「紅茶でいいか?」

「……あったかいやつでお願い」

「この寒さに冷えた状態で出さねぇよ」


 ニコラが降りてくれると、俺はキッチンへと向かう。

 そして、お湯を沸かして少し時間が経つと、簡単に作った紅茶を持ってニコラがいるリビングへと戻った。


「ほれ」

「……ありがと」


 受け取った時のニコラは落ち込んでいる顔を見せる。

 というより、いかにも釈然としないといった風にも見えた。


「……分からないわ」

「何が?」

「仮に、アリスがそういうことをしているとして───どうしてナギトは、何もしないの?」

「何もしない、か……」


 確かに、俺はシスターが朝帰りをしているからといって特に行動をしたわけじゃない。

 朝に帰ってきても特に何も言わなかったし、本当に普段通りに接していたから。


 ニコラが言いたいのは「好きだったらどうして行動しないのか?」ということだろう。

 足掻いたりとか、思い残すことなく告白するとか、色々……けど。


「それをしたところで、何も変わらないから……っていうのが大きいかな」


 微睡みが消えてしまった状態で、俺は気持ちを紛らわせるように紅茶を啜る。

 仄かな苦さが口の中に広がり、体にじんわりと熱を取り戻していった。


「確かに好きだよ、シスターのことは。でも、それ以上にシスターの幸せを第一に考えている。シスターが自分で望んで、自分で想いを実らせて、幸せになろうとしているなら俺は止めない」


 俺が仮に止めたらシスターはどんな反応をするだろうか?

 想像できる部分はあるが、どう転んでもシスターは困ってしまうだろう。


 何も変えられず、シスターがその選択を望んでいるのであれば、遮ったり不安を残すようなことだけはしたくない。

 結局、俺の中ではシスターの幸せこそが一番上にあって、俺の幸せがその次にあるのだから。


「それに、俺になんの権利があってシスターを止められるよ? 幼なじみだから、一緒に住んでいるからって、シスターも俺も一人の人間で束縛し合う間柄じゃない。家族かもしれないが……その子の気持ちを止めるまでの権利は、たとえ家族でさえ持ち合わせていないんだ」


 俺はそう言い終わると、もう一度紅茶を口に含む。

 眠れそうにないな、と。重くならない瞼を感じてそう思った。


「……私には、分からないわ」


 それは何を指しての言葉なのか?

 分からないまま、ニコラはそれ以上何も言うことなく紅茶を啜った。

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