朝帰りの理由

(※アリス視点)


 街から戻り、今日も暖炉の前で寝ているナギトの寝顔を堪能してから、私はこっそりと教会を抜け出しました。


 教会を出ると、辺りは一寸先も見えないぐらい暗く、フクロウの鳴き声が耳に響いてきます。

 といっても、怖くありません。もう何年もこの村に住んでいるのですから、慣れてしまえばこっちのものです。


 足元と少し前を照らすためのランプを持って教会を離れていきます。

 目指すのは村の皆さんが寝ている民家の場所まで。

 ナギトに黙って教会を出て行ってしまったことに毎度心苦しくなりますが……これも我慢です。


 しばらく道を歩き、民家が並ぶ場所まで辿り着くと、村の入り口までまた歩きます。

 皆さんを起こしてしまわないように慎重に、足元を立てずに。そろり、っていう感じです。

 そして、村の入り口───小さな『蜜柑亭』という看板が立っている場所に着くと、私はドアを二回叩きます。

 すると───


「今日も来たね、アリスちゃん」


 静かにドアが開き、一人の男性が出てきます。

 名前はロイスさん。優しそうな顔と逞しい体つきが特徴的な、この『蜜柑亭』という料理店を営む店主さんです。


「きょ、今日もよろしくお願いしますっ!」


 夜なので、お外では声を小さくです。

 なので、小声で拳を握るだけで抑えました。


「さ、中に入って」

「失礼します……」


 ロイスさんに促され、お店の中へと入っていきます。

 小さな明かりがポツポツと灯っています。流石に夜中なので大々的に明かりをつけるわけにはいきません。

 私は何度目になるか忘れてしまった店内を歩き、奥へと向かいます。


 奥には広々としたキッチン。

 そこに並ぶのは、調理器具と少しの食材。


「すみません……いつもこんな夜遅くに」

「ううん、それは構わないよ───だって、さんのためだろう? だったら、協力しないわけにはいかないよ」

「ロイスさん……!」


 ロイスさんの言葉が嬉しいですっ!


「僕も前の牧師さん……そして、今の牧師さんにはお世話になっているからね───じゃあ、早速今日もを始めよう」

「はいっ!」


 エプロンを身に着け、キッチンの前に立ちます。

 さて、今日も頑張りますよ───


「頑張って、ナギトに喜んでもらうんですから……」


 私はロイスさんが渡してくれた包丁を手に取りました。


 ♦♦♦


「うぅ……今日もまた指を切ってしまいました」

「ははっ、まだシスターは包丁の扱いが苦手みたいだね」


 それからしばらくして。

 明かりが必要でなくなり日が登り始めた頃、ようやく私はエプロンを外します。


「でも、ある程度は作れるようになったし、牧師さんの誕生日までには間に合いそうだね」

「そうだといいのですが……」


 私はロイスさんの言葉を受けても不安が拭えませんでした。


 ───私が夜遅くに教会を出て、ロイスさんに料理を教わっている理由……それは、ナギトのお誕生日までに料理を作れるようになるためです。

 ナギトのお誕生日まであと二週間。

 私は、ナギトの誕生日にを食べさせてあげたいのです。


(いつもナギトにお世話になっていますもん……お誕生日ぐらい、ナギトに手料理を振舞ってあげたいんです)


 ナギトには朝帰りで心配をかけてしまっていますが……それでも、手料理を食べてもらいたいんです。

 そしてあっと驚かすんです! 料理を作れるようになったのか!? って!

 それと───


(美味しいって、言ってもらいたいですから……)


 今はまだダメダメですが、頑張って間に合わせます。

 ロイスさんにはご迷惑をおかけしますけど……。


「それにしても、シスターにここまで頑張ってもらえるなんて……牧師さんも幸せ者だね」

「そうでしょうか? そうだといいのですが……」


 ナギトに喜んでもらいたい。

 ナギトに褒めてもらいたい。

 ナギトに幸せと思ってもらいたい。

 ただ、私が与えるものでそうなってくれるのかは……ちょっぴり不安です。


「大丈夫だよ。牧師さんはシスターだったら絶対に喜んでくれるから……僕には分かるよ」


 そう言って、ロイスさんは懐かしむような目を彼方に向けます。

 ……きっと、奥さんのことを思っているのでしょう。

 その言葉には、どこか愛する者を想う気持ちが乗っていました。


「自分を好いてくれる人からのものを、人は嬉しく思わないわけがない。しかも、相手は牧師さんだ……人の気持ちを真っ直ぐに受け止めてくれる。彼はそういう人さ」

「……はい、そうですね」

「もちろん、シスターもだよ? 君達は、眩しいと思うぐらいに心が澄んでいるような気がする。助けられてきた僕達には、そう思う」


 ロイスさんの言葉に、胸がじんわりと温かくなってしまいます。

 そう言っていただけたことがどれだけ嬉しいか……ナギトも、今の言葉を聞いたら喜ぶに違いありません。


「だからこそ、僕はシスターと牧師さんはお似合いだと思うよ?」

「んにゃっ!?」

「だから、頑張ってね。村人一同……シスター達を応援しているよ」


 その言葉は何に対しての「頑張って」なのでしょうか?

 料理ですか? それとも───こ、告白ですか……ッ!


「わ、私っ! そろそろ帰りますっ!」

「うん、そうだね。そろそろ帰らないと神父さんも心配すると思うからね」


 私はロイスさんにぺこりと頭を下げると、そそくさとお店を出ます。

 どうして足早に出てしまったのでしょうか? それは、帰るのが遅くなったから……いえ、そうじゃないと思います。


(ナ、ナギトに……こ、告白……ッ!)


 単に恥ずかしかったのと、ただの照れ。

 何せ、先程からナギトに告白をすることを想像して……顔が熱くなってしまっているのですから。


 ───早足で帰ってしまったからか、村に行く時よりも早く教会に帰ることができました。

 朝日が登り始め、あたりはすっかりと明るくなっており、鶏の鳴き声がどこからか聞こえてきます。


「すぅー……はぁー……」


 上ってしまった熱を戻し、平静を装うために深呼吸をします。

 誕生日まではナギトに料理を教わっていることは内緒ですから、絶対に気づかれないようにしないといけません。

 私は落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと玄関の扉を開けます。


 すると───


「ん? おかえり、シスター」


 エプロンを着けたナギトが、何故か玄関の前に立っていました。


「ナ、ナギトっ!? どどどどどどうしてここにっ!?」

「そりゃ、部屋にいねぇし帰るのが遅かったからな……今から探しに行こうとしてたところだ」


 そう言われて、一気に罪悪感が込み上げてきます。

 心配をかけてしまっているので……申し訳ないです。

 それと安心させるような言葉も、私の身勝手で口にできないですから、なおさらです。


「……そんなしょげた顔すんなって。別にどこに行ってたのかとか聞かねぇし、ちゃんと帰ってきたんだから俺は問題ねぇよ」

「あぅ……」

「だから安心しろ───って、シスター……手、怪我してんじゃねぇか」


 ナギトが私の手を掴みます。

 そ、そういえば恥ずかしくてすぐ出て行ってしまったので、料理中に切ってしまった指を治療していませんでした……。


「はぁ……俺は朝帰りした理由よりもこっちの方が心配だわ」


 ちょっと待ってろ。

 そう言い残し、ナギトはリビングに向かいました。

 そして、すぐに救急箱を持ってやって来ます。


「あ、あのっ、別にこれぐらいの傷は───」

「馬鹿、バイ菌でも入ったらどうすんだ」


 救急箱から取り出した消毒液でガーゼを濡らし、私の指に巻いていきます。


「俺はさ、別に言いたくないことにはとやかく言わねぇし聞かねぇ。言いたくないんだろうしさ。でも、シスターの体に何かがあることだけは嫌だ……そこだけがさ、心配なんだよ」

「ナギト……」

「シスターは俺の―――だから。心配かけたことに罪悪感なんていいんだよ……っていうより俺は、シスターのことだけは心配させてほしいんだ」


 安心させるような柔らかい笑みを向けてくる。

 少しぶっきらぼうで、少し目つきが鋭い……ですが、信者の人に対する時も、こういう時も、柔らかい顔を見せてくれます。

 その顔からは、相手を大切にしているという気持ちがありありと伝わってくるのです。


(やっぱり、ナギトのこと……)


 そういうところが、私を大事にしてくれるところが、お節介で家事が得意で、身を任してしまいたくなるぐらい温かい性格が……そんな全てを向けてくれるナギトが……好き。


「(大好きです……)」

「ん? 何か言ったか?」

「い、いえっ! 何も言ってませんよ!?」


 今は誤魔化してしまいますが、いつか───この気持ちをちゃんと伝えられたらいいな、と。

 そう思ってしまいます。

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