子爵家のご令嬢
「牧師さん、今日もありがとー!」
「どうもありがとうございました」
信者の方々が手を振って教会から出て行く。
仲のいい親子で、微笑ましい気持ちになりながら俺は教会の入り口まで手を振って見送りをした。
「はい、またお祈りしに来てください」
今日はこの信者の方で何人目だろうか?
皆、仕事の合間をぬってお祈りしに来てくれるけど、そろそろ夕飯時……これ以上来ることはないだろう。
「さてと、最後に掃除でもしますかね」
俺は信者の姿が完全に見えなくなるまで見送ると、一つ背伸びをして教会に戻る。
明日を清々しく迎えられるためにというのもあるのだが、朝早くから訪れてくれる信者の方々もいるので、それまでに掃除をするのは流石に難しいという理由が大きい。
差し込む夕陽がステンドグラスを通り抜け、教会全体を幻想的な光で包み込む。
その中……艶やかな金髪が、中心で輝いていた。
「シスター、掃除しようぜー!」
「はーい!」
長椅子に座っていたシスターが大きな返事をして、トテトテと早足でやって来る。
「お掃除ですねっ! 頑張りますよ!」
「おう、気合い入れてくれるのは嬉しいが……壊すなよ?」
「お掃除するだけですよ!?」
そうなのだが、どうしても一抹の不安が脳裏を過ぎる。
「むぅ……ナギトは本当に失礼ですね。私だっていつもお掃除ぐらい簡単に……ふぁぁっ」
ブツブツと愚痴を言っていたシスターの口から欠伸が漏れる。
「眠いか?」
「い、いえっ! 眠くなどはない……です……」
「嘘つけ、本当は眠いんだろ?」
最近朝帰りが増えてしまえば眠くもなってしまうだろう。
朝帰っているということは、夜は満足に寝ていないということだから。
何をしているかは聞かないが……起きて何かしていた、というのは眠そうなシスターの顔を見れば分かる。
「うぅ……はい、ちょっぴり眠たい、です」
「だったら部屋で少し寝てこいよ。飯できたら起こしてやるから」
「それはダメです! お仕事は、ちゃんとしなきゃダメですもん!」
シスターが自分の意思を主張するかのように顔を近づけてきた。
俺はシスターの顔を手で離すと、そのまま頭を撫でる。
「仕事って言っても掃除だけだし、集中できなくて怪我をするよりかは寝てくれた方が嬉しい」
「ですが……」
最近、シスターのこういう申し訳なさそうな声をよく聞く気がする。
前まではあまりなかったはず。元気で無邪気な、彼女の声ばかりが耳に届いていた。
(十中八九、朝帰りが起因してるんだろうけど……)
朝帰りをやめてほしい───なんて素直に言えたらどれだけ胸が軽くなることか。
けど、同時に自分の望んでいない答えが返ってきそうで怖いとも思ってしまう。
もしかしたらシスターに朝帰りの理由が聞けないのは、俺が単に逃げているからかもしれない。
そうだとしたら、俺は本当に情けない男だ。
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
だけど、シスターの前だけでは情けない姿を見せたくなくて───俺は無理やり口角を上げた。
「俺は逆にシスターには寝ていてほしいぞ? あとでシスターの布団に潜り込めるからな」
「んにゃっ!?」
「そのままシスターを抱き締めてあんなことやこんなことを───」
「そ、そんなのダメですっ! 穢れてます! 懺悔です、懺悔してくださいっ!」
そういえば、この前シスターが俺の布団に潜り込んできていたような……それは棚にあげるのか?
「というわけで、ちょっとだけでもいいから寝てこい。流石に夜寝られなくなるまで寝るのは勘弁してほしいがな」
俺はシスターの頭を撫でるのをやめ、背中を押してシスターの部屋がある二階まで押していく。
「ナギトはズルいです……」
「牧師なのにな。なんでこんなにズルくなっちゃったんだろうな?」
「……私以外にズルくなったらダメです」
「心配しなくても、お前以外には牧師的な対応を見せてるよ」
礼拝堂からいつも暮らしている奥の部屋までシスターを連れて行くと、シスターは「……では、お言葉に甘えさせていただきます」と言い残し、二階へと上がっていった。
その背中を見送って───
「ズルいが辛いって思うのも珍しいよな……」
ズルいって、独りよがりの欲求を満たすための行動のはずなんだが。
どうして、辛いって思ってしまうのだろうか。
「……まぁ、いっか。とりあえずさっさと掃除を終わらしてしまうか」
思考を切り替え、俺は背伸び一つして教会へと戻る。
その時───
『すみませーん』
教会のドアを叩く音と、誰かの声が聞こえてきた。
(珍しい、こんな時間になんて)
信者の方はこの時間だともうあまり来ないはず。
それでも訪ねてきた声が聞こえるというのは、そういうことなのだろう。
俺はそのまま掃除道具を手に取らず入り口まで向かい、扉を開ける。
すると―――
「はい、ようこそお越しくださいま―――」
「久しぶりね、ナギト」
燃え上がるような赤い長髪とルビーのように深く透き通った双眸、凛々しくも美しい顔立ち。
気品が滲み出ているような雰囲気が醸し出され、腰に携えている細剣が凛々しさを後押ししている。
どう呼称すればいいのか……一目見れば「美姫」と呼ぶ人が多いかもしれない。
それほどまでに美しい少女───そんな人が、目の前に立っていた。
「……どうして、あなた様がここに?」
「あら、別に来てもいいじゃない。友人に会いに来るのに理由なんているの?」
「いや、それはそうですが……」
否定したくてもできない。
言っている言葉に間違いはないのだが……それ以外の理由も見つかってしまう。
だって───
「あなた様は気軽に来てはいけないでしょう……ニコラ・フォーレン子爵令嬢様」
相手は、貴族様なのだから。
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