デートの帰宅

「ん……んっ」


 ガタガタ、と揺れる音が耳に響く。

 オレンジ色の夕陽が瞼を照らし、いつの間にか閉じていた瞳を開かせる。

 荷台の上だからか、先程から腰の辺りが少しばかり痛い。

 馬車で行ける距離とはいえ、どうやら長時間の馬車移動にはまだまだ慣れさせてはくれないようだ。


(というより……もしかして、俺って寝てた?)


 街での買い物を済ませ、日が沈む前に帰ることになった俺達。

 村まで運んでくれる馬車を探し、荷台の上で乗せてもらうことになった。


 先程までシスターと談笑していた記憶がある。

 にもかかわらず、前に見た景色といつの間にか違った景色が目の前に映った。


(眠るほど疲れたっけ……?)


 そこまで疲れていた感じもしなかったのだが、眠ってしまったというのはそういうことなのだろう。

 しっかりしないといけないな、と。そう思ってしまった。


「あ、起きましたかナギト?」


 ふと、頭上から声が聞える。

 先の景色から視線をズラして見上げると、そこにはシスターの端麗な顔立ちが覗くように映っていた。

 眼前に透き通った琥珀色の双眸と、潤いを見せた桜色の唇があることに、思わず動揺してしまう。


「えーっと……これ、どういう状況?」


 いや、言われるまでもない。

 シスターが俺の顔を覗くように見下ろしている。

 そして、頭に伝わる程よく柔らかい感触は———


「ナギトはお疲れのようでしたので……膝枕をしてあげちゃいました」

「……そっか」


 膝枕。改めてシスターに言われると羞恥で顔が赤くなってしまう。

 嬉しくないか嬉しいかで言えば圧倒的に前者だ。

 しかし、このままシスターに膝枕をされてしまうというのは嬉しさよりも気恥ずかしさが勝ってしまう。


 だから俺は体を起こそうとする。

 しかし、シスターが起き上がる俺の額を押さえて、そのまま自分の膝へと押し付けた。


「ダメですよ? ナギトは寝てしまうぐらいお疲れなんです。横になっていないと疲れも取れないと思うんです」

「いや、そういうのは帰ってから取るし」

「それに、ナギトは滅多にこういうことをさせてくれないので、たまには私がナギトにしてあげたいです」

「…………」


 シスターの笑みに、口籠ってしまう。

 それと、少しばかりキラキラと興奮している瞳が「邪魔してはいけない」と言われているような気がした。

 どうして膝枕をしてあげたいのか? それは分からないが、俺は仕方なく頭を委ねることにする。


「……好きにして」

「はいっ」


 ガタゴト、と。馬車が整備されていない道を走り荷台が揺れる。

 横になっているのに痛くない……シスターの太股のおかげだ。

 女の子の膝枕つきの馬車……贅沢な気がしてきた。


「……寝るのはシスターの役目なんだがなぁ」

「むっ? どういうことですかそれ!」

「いや、こういう時に寝るのはシスターのイメージ」

「むかー、ですよ! 私は帰り道までの景色を楽しむような子なので、こういう時には寝ません!」


 ……どちらにせよ、なんか子供らしい。


「今日は楽しかったな、シスター」

「はいっ、楽しかったです! また遊びに行きたいですね!」

「……もう一人や二人教会で働いてくれる人がいたら、気軽に遊びに行けるんだけどな」


 まぁ、それは無理な話だろう。

 そもそも、そこまで人を雇えるお金なんてないし、あの小さな教会で二人以上の人員が必要になることなんてない。

 雇ったとしても、しばらくすれば完全に誰かが仕事がなくて暇になってしまうに違いない。


「確かに、新しい人が増えれば遊びに行けますし、それはそれで楽しそうです……けど―――」

「けど?」

「私は、ナギトと二人であの教会にいたいです」

「……そっか」


 シスターが俺の頭を撫で始める。


「あそこは、私とナギトだけのお家ですもん」

「父さんと母さんもな」

「ふふっ、そうですね」


 髪の間からシスターの体温が伝わってくる。

 優しく、温かく、安心するような……そんな温もり。

 ここに子守歌がセットになれば、またいつの間にか微睡みの中へ誘われてしまうのかもしれない。


 だからなのか、緩み切った自分の気持ちが口を軽くしてしまう。

 ふと湧き上がってきた考えが、そのままスルッと流れるように外に出た。


「……なぁ、シスター」

「はい?」

「シスターはさ、結婚したらどうするつもりなんだ?」

「……ふぇっ!?」


 見上げた先にあるシスターの顔が驚きで真っ赤に染まる。


 シスターがもしロイスさんと結婚すれば、俺達はどうなるのだろう?

 シスターはあの教会で一緒にいたいと言ってくれた。あそこは自分の家だとも言ってくれた。

 でも、結婚してしまえばそのまま……というわけにはいかないだろう。


「い、いきなりどうしたんですか!?」

「いや、なんとなく……」


 結婚相手がいるのに、違う異性が一緒に暮らしている。

 今の状態だとあまりいい気はしないだけで終わるが、結婚してしまえばいよいよ正当な理由を得てしまう。


 そうなれば、俺かシスター……どちらかの生活は変えなくてはいけない。

 俺が出て行くか、シスターが出て行くか。

 どちらにせよ―――


(寂しくなるよな……)


 というより、嫌だ。

 けど、こればかりは仕方ない。

 だから、俺はシスターがどう思っているのか聞きたくなってしまった。

 まぁ、かなり唐突に聞いてしまったが。


 俺が苦笑いを浮かべていると、覗き込んでいたシスターの顔が変わる。


「……ナギトが、どうしてそんな質問をしたのかは分かりません」


 真っ赤にして戸惑っていた顔から、真面目な顔に。

 冗談や、聞き返すようなことをしてはいけないと、そう思っているかのように。


「あと、どうしてナギトがをしているのかも分かりません」

「……どうしてだろうな」

「……どうせ教えてくれないでしょうから聞きませんけど」


 責めるわけでもなく怒るでもなく、ただシスターは俺の頭を撫でてくれる。

 そして───


「私は、ナギトとずーっと一緒ですよ」


 大人びた、優しく細められた瞳を向けてきた。


「確かに私も、その……け、結婚とかっ! してみたいですし、したいですけど……今は、ずっとナギトの傍にいたいと思っています」


 質問の答えであるような、答えでないような……そんな言葉。

 シスターがもし結婚したら、一緒にいたいと言ってもいられはしないだろう。

 一緒にいたいというのは、あくまでシスターの願望。現実では無理だ。


 それでも───


「そっか……」

「これで満足ですか?」

「あぁ……すっげぇ、満足」


 俺は思わず笑みを浮かべてしまった。


「……ずっと、シスターといられたらいいのにな」


 嬉しかったからか、ふと急に瞼が重くなってしまう。

 ガタゴトと揺れる荷台が、揺り籠のように深い微睡みへと誘っている。


「わりぃ、もう一回寝かせてくれ……」

「ふふっ、大丈夫ですよ。着いたらちゃんと起こしてあげますから」

「……助かる」


 俺はやって来た睡魔に身を任せるように目を閉じた。

 冷えた風とシスターの体温が混ざり合い、何故か不思議と安心感が襲いかかった。


「(私も……ナギトとずっと一緒にいたいですよ)」


 シスターが何かを呟いたような気がする。


「(大好きです、ナギト……願うなら、私はあなたと結婚したいです)」


 だけど、俺の耳には届かず……意識が深い闇に沈んだ。

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