寝起きのシスター
今日のシスターは朝早く帰ってきたみたいだ。
俺が起きる頃には部屋に戻っていたらしく、部屋の横を通り過ぎると小さな寝言が聞こえてきたから、恐らくそうなのだろう。
ロイスさんがシスターの逢い引き相手……そう分かった翌日の朝というのは、あまりスッキリとした目覚めにはならなかった。
それも当然だろう。やはり好きな人に好きな人がいれば、想いを寄せている側からしてみれば恋が終わった敗北感と同義なのだから。
(早く告白でもしとけばよかったかな……)
朝食をテーブルに並べながら、そんなことを思ってしまう。
後悔先に立たずとは言うが、後悔などしてしまうに決まっている。
完全に手遅れ……己の情けなさに嘆きたいところだ。
(……これも、シスターには男なんかできないって思ってた俺が悪いんだろうけど)
純粋無垢で、誰に対しても同じような愛嬌を見せる。
今まで一緒に過ごしてきた中で男の影も恋すらも分からなさそうな彼女。
俺はそう思っていた。でも、現実は違っていて……いけない、またしても心が沈む。
「よしっ、切り替えよう!」
頬を叩き、沈んだ心を鼓舞する。
こんな状態でシスターと接するのはよくない。シスターはいい子だ、沈んだ俺を見せてしまえば心配するに決まっている。
シスターにそんな心配はかけたくないからな……ここは普段通りに接しよう。
……こんな沈んでしまう心も、シスターに対する想いを忘れられたらなくなるのだろうか?
(馬鹿か……シスター以上の女の子なんかいるかってーの)
朝食を並べ終えると、俺はリビングを出て二階へと上がる。
そして、シスターのいる部屋の前までやって来た。
準備もできたし、そろそろシスターを起こさないといけない。
朝に帰ってくるぐらいだ。あんまり寝てないだろうから寝かせてあげたいが……今日も生憎と仕事がある。
「シスター、朝だぞ」
ノックもせず部屋のドアを開ける。
女の子らしいファンシーな装飾ではなく、簡素な装飾。部屋にはベッドと小さなテーブル、丸椅子ぐらいしか家具は置かれてない。
しかし、シスターが寝ているベッドの上にはいくつものぬいぐるみが置かれてある。
その一つ……熊のぬいぐるみを抱き締めながら、シスターは長い金髪を扇状に広げ小さな寝息を立てていた。
(……まだ捨ててないんだよな)
俺が毎年シスターの誕生日にあげているぬいぐるみ。
父さん達に拾われてからずーっとプレゼントし続けたものだから、もう七年ぐらい経っている。
『ナ、ナギト……猫さんの耳が取れかけているのですが……』
『そりゃ、随分前のものだからな。そろそろ捨てたらどうだ?』
『ナギトにもらった猫さんを捨てられるわけがありませんっ! で、ですが……やはり捨てなければならないのでしょうか……?』
『……縫い直すから、あとで持ってきて』
───今思い出しても、どうして捨てないのかよく分からない。
俺があげたものではあるが、街に行って買い直したら同じ新しいものが手に入るというのに。
(……まぁ、シスターがそれでいいならいいけど)
毎回縫い直す俺の手間はかかってしまうが……シスターが喜ぶなら、別に問題はないか。
シスターの持っているぬいぐるみを見て、ふとそんなことを思ってしまった。
とりあえず、俺は寝ているシスターの近くに寄る。
元の素材があどけなさが残る端麗な顔立ちをしているからか、シスターの寝顔はとても愛くるしく可愛かった。
庇護欲を駆り立ててくるような、ずっと眺めていたくなるような……年相応の、気持ちよそさそうな寝顔。
小さな体躯が丸まり、小動物のような可愛らしさを感じてしまう。
(ほんと、可愛いよなぁ……)
このままずっとシスターの寝顔を覗き込んでいたい。
だが、それではダメだ───言い方こそ悪くなるかもしれないが、明日もこの寝顔が見られるだろうから。
「シスター、起きろー」
「んにゃー……」
猫か。
「おい、マジで起きろ。スープが冷めるだろうが。お兄さん、温め直すのは面倒だからごめんこうむりたいんだよ」
「にゃ……ナギト……」
体を揺さぶっているが、まったく起きる気配がない。
とりあえず、可愛らしい寝言を口にしているシスターから熊のぬいぐるみを引き剥がす。
これが恐らく安眠を促している抱き枕だと思うから。
すると───
「う……ぁぅ……」
虚空に手を伸ばし、先程まであったはずのぬいぐるみを探すシスター。
だが、手を伸ばしてもぬいぐるみが手に入らなかったのか、伸ばした手は宙を彷徨って色々な場所に移動する。
そして、ついには俺の腕にへと手を伸ばしてきた。
「えへへ……」
抱き枕が見つかったと思ったのか、ついぞ俺の腕を抱き締め始めた。
柔らかい感触と、小動物のように愛らしい仕草が俺に向けられる。
それだけなのだが、一瞬だけドキッとしてしまった。
「毎回、心臓に悪いんだって」
「ふぎゃっ!」
名残惜しくなる前に、シスターの額にデコピンする。
小さな悲鳴を上げ、シスターは額を押さえながら俺の腕から離れると、ゆっくりと上体を起こした。
「な、何やらデコピンをされた気がします……」
「そうだな、シスターがそう思うならそうなんだろう」
「おでこが痛いです……」
寝ぼけるシスターが全面的に悪いと思う。
「実力行使させてんじゃねぇよ。この前、俺の声じゃないと起きないって言っていた気がするんだが?」
「私はいよいよナギトの声だけでは満足できなくなってしまったのかもしれません」
「言い方よ」
卑猥に聞こえるだろうが。
シスターのしていい発言とはとても思えない。
「ふふっ、冗談です。もしかしたら、最近は寝る時間が遅いからかもしれませんね」
「…………ちゃんと寝ろよ」
朝帰りをやめればいい───なんて言葉が出てこなかった。
代わりに出てきたのは、そんな言葉。
それは気を使ったわけでもなく、単にこれ以上深く聞きたくないという俺の気持ち───
「ナギトに心配をかけたくありませんからね……明日こそは声だけで起きられるようにしますっ!」
「一人で起きるという選択肢を持ってほしかったな」
「むっ? それはやっ、です!」
「シスターもいい歳だろうに……」
そう口にしてしまうが、同時にあの寝顔を見られなくなってしまうのは少し嫌だなと思ってしまう自分がいた。
それに、シスターがちゃんと起きられるようになれば、何故か独り立ちしようとしているみたいで……心寂しいとも思ってしまう。
「……案外、シスター面倒を見るのは満更でもないのかもな」
「ふぇっ? 何か言いましたか?」
「何も言ってねぇよ───それより、早く着替えろよ? 朝食の準備はしてあるから」
俺は立ち上がると、そのまま部屋の外へと向かう。
流石に、シスターの着替えを覗こうなどとは考えていない。
俺がこのままいたら、シスターも着替えられないだろう。
「ナギトっ」
「ん?」
シスターから声をかけられて振り返る。
すると───
「おはようございますっ!」
シスターは体を起こしたまま満面の笑みを向けてきた。
朝日が漏れ、艶やかな金髪が日に反射し、俺の視界に神々しく映る。
天使か聖女か……そう思ってしまうほど、シスターは美しかった。
「あぁ、おはよう」
その笑顔と言葉がどれだけ嬉しいことか。
胸にじんわりと広がる温かさを感じながら俺はシスターの部屋を出た。
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