お菓子と証言
『『『うまー!!!』』』
「美味しいですっ!」
奥で蜜柑を使った簡単なマドレーヌを作り、教会の長椅子に座って待っていた子供達とシスターに食べさせると、教会全体にそんな声が響き渡った。
ゆっくりと頬張る子供もいれば、シスターみたいにガツガツと急いで食べようとする子供もいる。
だが、皆の顔には一様に「美味しい」という笑顔が浮かんでいた。
それを見て、思わず口元が綻んでしまう。
「本当ね〜、ナギトちゃんの作るお菓子は美味しいわ〜」
「そう言っていただけてよかったです」
マゼンダさんも満足してくれたみたいだ。
「ナギトちゃんって、お菓子もそうだけど本当に料理が上手よね〜。私も負けちゃいそうだわ」
「そんなことありませんよ。所詮付け焼き刃に過ぎませんから───おい、シスター。口についてんぞ」
「ふむっ?」
シスターの口元を布巾で拭う。
潤いを見せる桜色の唇に触れることに昔こそ抵抗はあったものの、今ではなんてことなくなってしまったのが少し複雑な気分だ。
それよりも「はしたない」が勝ってしまう。
「ありがとうございますっ!」
「シスター……俺は子供ができた気分だ」
「それは私が子供ってことですか!?」
「…………」
「無言は肯定なんですよ!? 私、ナギトと同い歳です!」
「でも、どうしても子供を相手にしているような感じがするんだ」
「それはむかー! ですよっ! むかー、です!」
シスターがマドレーヌを持っていない手でポカポカと殴ってくる。
非力なシスターが殴ったところで、全然痛くない。ただ「可愛い」という言葉しか浮かんでこなかった。
「……ねぇ、牧師様」
シスターに殴られていると、不意に一人の子供が俺の袖を引っ張ってきた。
「どうかしましたか?」
「なんで牧師様はシスターとお話しする時だけ喋り方が違うの?」
「あー……それは……」
確かに、信者の皆とシスターと話している時は口調が違う。
というのも───
「昔のナギトちゃんは、いつもアリスちゃんと話している時みたいな口調だったのよ?」
「そうなの?」
「変わったのは、ナギトちゃんがこの教会を継いでからかしらね〜?」
「……そうですね」
昔は、もっと年相応の口調だった。
今でも少し残っているかもしれないが、牧師になるのなら───ということで、頑張って喋り方を矯正したのだ。
流石に、敬語を使わない子供っぽい喋り方は信者の皆に失礼があるから。
本当は、シスターと話している時も喋り方を変えないといけないのだが───
「……シスターと話している時は、どうしても自分の素が出てしまうんです」
「どうして?」
「そうですね……やはり、この世で最も大切な人だからですかね」
幼少期から共に過ごし、神父ではない時の自分を常に見てくれていたから。
好きな人……というのもあるのだろうが、やはりシスターは家族以上の存在だからというのが大きいだろう。
今更、自分の取り繕おうとしている姿では接することができない。素の自分が自然と引き出されてしまう……そんな感じ。
「というわけなんです。本当に、シスターだけが例外なんです」
「でも、牧師様の喋り方も好き!」
「あははっ! ありがとうございます」
その子の頭を撫でる。
こういうことを素直に口にしてくれる子は、否応なく可愛く思えてしまう。
もし、自分に子供ができた時はこんな感じの子供になってくれるのだろうか? ふと、そんなことを思ってしまった。
「でも、ナギトちゃんはアリスちゃんのことは「シスター」って呼んでるじゃない? それこそ昔は名前で呼んでいたのに、どうして変えちゃったのかしら? 素が出るって言うんなら、名前で呼んでいそうなものだけど……」
「シスターとは距離が近すぎますから。せめてシスターと呼ばないと、彼女がシスターであるということを忘れてしまいそうなんです」
「あぁ、なるほどねぇ〜」
いくら大切な人だからといって、シスターということだけは忘れたくない。
シスターとは距離が近いほど「大切な人」というワードが強い……ただでさえ、日頃ポンコツ具合が大きいのだ。せめて呼び方だけでもシスターと言っておかなければ、神父であるにもかかわらず彼女がシスターだということを忘れてしまう恐れがある。
「大切な人だからこそ、シスター───アリスが選んだ道を忘れたくない……シスターにも、それは了承済みです」
シスターと呼べば、奥底の自分に刻みつけることができるからな。
「あれ? シスター、どうしてお顔が真っ赤なの?」
「ふぇっ!? ま、ままままま真っ赤になどなっていませんよ!?」
「嘘だー、鏡を見せてやろーか?」
そんなやり取りが聞こえのでシスターの方を見ると、確かに耳まで真っ赤になっていた。
両手で顔を隠しているが、隠しきれない部分があり過ぎて全然隠しきれていない。
(もしかして、大切な人って言われて照れてるのか?)
シスターはすぐ顔に出るので、恐らくそうなのだろう。
でも、俺がシスターを大切な人だと思っている……それは当たり前のことだと思うのだが?
ほら、自分で口にするのもなんだが、結構俺も分かりやすい態度を見せてしまっている。
だから、シスターはすでに知って理解してくれているはずだと思っていた。
「ナ、ナギトはズルいです……」
「今更だろ? 俺にとっては、大切な人はシスターしかいねぇんだから」
「あうぅ……!」
そう、孤児だった俺達を拾ってくれた父さんと母さん……前の牧師様達が亡くなったのだ。
俺には、もう家族はシスターしかいない。大切な人と言うのは、当たり前なのだ。
「わ、私もっ! ナギトは大切な人……です」
「そっか……ありがと」
顔を赤くしながらもそう言ってくれたシスターの頭を撫でる。
シスターは抵抗などしなかったものの、恥ずかしいからか撫でられながらそっぽを向いてしまった。
「ねぇねぇ、シスター」
そして、今度は違う子供がシスターの袖を引っ張った。
「昨日の夜、どうしてうちの父ちゃんと会ってたの?」
「ッ!?」
「あ、あああああああ会ってませんよ!?」
子供の純粋な質問。
それだけのはずなのに、何故か俺の思考が一瞬にしてフリーズしてしまった。
先程まで温かくも嬉しくなった胸の内が、締め付けられるような痛みに変わる。
「こらっ! それは言っちゃダメでしょ!?」
「えー、どうして?」
「そ、それは……」
マゼンダさんが口篭る。シスターも目を泳がしながら「会ってませんから!」などと否定していた。
しかし、そんな言葉はフリーズした俺の頭には届かず───
(まさか、シスターの逢い引き相手はマゼンダさんの旦那さん……ッ!?)
この村に独身男性は確かに少ないが、よりにもよって相手は既婚者だったとは。
あんな純粋無垢なシスターが、まさか浮気現場を作ってしまうような魔性の女になってしまったのだろうか?
(なんてことだ……シスターがそんな女の子になってしまったなんて!)
確かに、逢い引きは密会とも言い直せる。
密会を行う場合、誰かに知られたくないという理由が大半を占める。
俺に知られたくない……そうだと思っていたのだが、まさか俺だけじゃなく奥さんにも知られたくないという意味合いまで含まれているとは思わなかった。
(違う、そういえばこの子はマゼンダさんの子供じゃない……確か、ロイスさんのお子さんだ。お母さんが幼い頃に亡くなって、ロイスが仕事に行っている間にマゼンダさんが面倒を見てくれているだけ。要するに浮気をさせるようなやましい相手ではない。シスターは、まだ魔性の女にはなっていないということ!)
少し心に安堵が生まれる。
だけど───
(これはほぼ黒じゃん……)
本当に、シスターには男ができていたとは。
子供の純粋な質問に嘘があるとは思えないので、会っていたのは真実なのだろう。
あまりのショックに、思わず放心状態になってしまった。
「違いますからね、ナギト! 私、誰とも会っていませんから!」
放心する俺の襟首を掴んで揺さぶってくるシスターが何か言っている。
だが、それも俺の耳には届かなかった。
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