第8話 漆黒

吹雪の夜は一旦落ち着いて、星が見えていた。

2階のBARの小窓から見える公園は雪を纏っているが、大手門の堀だけは雪がない。漆黒の闇のような堀をサトシは見つめていた。


真斗は一次会の忘年会でかなり飲んでいたらしく、BARに着いた時には泥酔していた。真斗が仕事帰りにたまに立ち寄るという小さな店は悪ガキグループの酔っ払い達が入ると一気に賑やかになった。それでも半数は入れず、残りの仲間たちは同じ階のスナックなどに分かれてしまった。


カウンターに座ったのは三人。真ん中のサトシはダーク・ラムをロックで飲んでいた。右隣にはサトシの幼馴染みの夏美がサトシに寄り添うように座ってカクテルを飲んでいた。左の真斗はマスターにショットグラスを三つ頼んで、ボトルキープのテキーラ・クエルボゴールドを自ら注いだ。飲め飲めと二人に勧めながら真斗はすでに二杯目を一気に飲み干していた。


「サドシ…シュウのこと知ってるが?」


突然、真斗が切り出した。サトシに話しかけていた夏美はその名前にピクリと反応した。


「俺、なしてシュウが死んだのが、知ってる」


何を突然、とサトシが言う前に、夏美がいった。


「何よ」

夏美が怒っている。


「何よ、何知ってるのよ」

シュウの話は悪ガキグループの主要メンバーではない夏美にとってもタブーになっていた。


「塾の帰りにな…俺、見でしまったのよ」


夏美が怒ったように

「何よ、何をよ?なして今、シュウちゃんのごど言う必要あるって」と強く言う。それは出来れば聴きたくない、というような反応だ。夏美と真斗は高校生の頃にずっと付き合っていたらしい。本当の夫婦のような遠慮のない会話が続く。


「幽霊ビルってあったべ。あの日、皆んなの自転車あったのよ、して、俺、窓がら見でしまったのよ」



夏美もサトシも黙って聴いていたが、嫌な予感しか湧かなかった。まずもって場所がダメだった。当時の地元の子どもなら誰もが知っている三階建ての廃墟が舞台になっていたからだ。まだ陽が高い放課後の遊び場としては秘密基地のようでもあり、幽霊ビルは人気のスポットだった。


しかし夜になるとその付近には民家もなく、灯りもないエリアのために、様相が一変する。その名の通り幽霊にまつわる話が子どもたちに語り継がれており、夜は札付きの不良たちでさえ決して近付かない場所だった。そんな幽霊ビルで一体何が?真斗は秋田弁で訥々と語る。


真斗の話によると、幽霊ビルに入っていく集団の中にシュウを見たというのだ。いつもの悪友たちと一緒のようだったから肝試しかタバコでも吸ってるのかと思い、軽い気持ちで追いかけた。そしてシュウたちを驚かせようと裏手に回り、割れた窓から声のするフロアを頭だけ出してそっと見ると、白い尻が並んでいる。真斗は瞬間的にマズイものを見たと思ったが、好奇心からもう一度覗いてみた。5〜6人が下半身をさらけ出して、そそり立つイチモツを握りしめて一列に並んでいたという。その先頭には、膝立ちしたシュウが居たというのだ。そして一人ずつシュウが彼らのペニスを咥えていたというのだ。


夏美は、もの凄い形相で言った。

「なして…なしてそんたごと…」

「嘘だべ、嘘つぐな」と言って夏美は涙ぐんだ。


サトシは目を閉じて黙って聴いていた。話していた真斗は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。夏美がサトシの背中越しにティッシュを渡した。そして手が触れた時、夏美は立ち上がって真斗に詰め寄った。


「誰よ、誰にそんたごとさせられだの?一緒にいだの、誰なのよ!」


「博志だち」


絶句する夏美。


「シュウが自殺したのは、博志だちのせいなんだ、シュウを守るとか言って、仲間に入れでおいで、途中がらシュウをめちゃくちゃに…」


「なしてその時に何もしねがったのよ!」夏美が声を荒げた。狭いBARは一瞬凍りついたが、すぐに賑やかさが戻った。確かに誰かに聞かれてはマズイ、という顔をして夏美は真斗の横に座り直し、もう一度静かに訊ねた。真斗はウウウ〜としばらく悶絶して、そして鼻をかんで、小さな声で言った。


「俺、おっかねぐなって、逃げでしまった」


「いつ?」ようやくサトシが口を開いた。


「シュウが越してきた年、すぐ。ながまに入れで、すぐ」


サトシはシュウと結ばれた中学2年の、あの夏の夜にシュウが言っていた言葉を思い出していた。サトシがシュウの口に初めて出してしまった、あの日の会話が鮮やかに蘇る。


「俺、まだ皮被ってるし、臭えべ。ゴメン」


「そんな、これくらいの歳の子はみんな、そうだよ」


ああ、だからあの時、みんな、おんなじだって、言ったんだ、アレは本当にシュウが強要させられたから、知ってたんだ。知っていたのか、チクショウ。


サトシの目から大粒の涙が溢れた。BARのマスターは零れ落ちる寸前の球のような涙を見て驚いた。そしてすぐに視線を洗い物のグラスに移し、気配を消した。


「真斗、誰がに相談したの?」と、夏美さらに突っ込んだ。真斗は首をうな垂れるだけだった。


「言えるわげねぇべ、だって、シュウは男だよ、何て言えばいいのよ、誰さ、なんて言えばいいのよ」


二人は何も、言えなかった。当時は中学生。男の子たちが数人で、立場の弱い一人の転校生を、辱めた。転校してきたばかりのシュウにも、それを偶然見てしまった真斗にもどうすることも出来なかった。それが現実だった。


「シュウ、ごめんなぁ、みんな、ごめんなぁ、俺、今まで、誰にも、誰にも言えながったぁ」真斗の告白は大手門の堀のように漆黒で、闇そのものだった。


サトシは涙も拭わずに、訊いた。

「なんで今頃、話した?」


真斗が突然、ビクっとなった。


「んだんだ、なして?」夏美も訊いた。


真斗はショットグラスを見つめて、言った。


「昨日、シュウと会ったがら」


誰かの叫び声のような強風が前触れもなく突然市内を吹き抜けた。夏美が外を見ると、その直後からまた吹雪になって公園も大手門の堀も何もかも見えなくなって、いた。


続く

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