第6話 抱擁

同じ塾に通うサトシとシュウはこの夜、学校の行事があると示し合わせて校舎に忍び込んでいた。二人はもう何度かこの手を使って誰にも邪魔されない時間を楽しんでいた。この日も難なく美術室に辿り着き、倉庫の鍵を開け、中に入ると念のため鍵を内からかける。その間にシュウは裸になっていた。


「サトシも脱いで」


シュウのささやくような言葉が倉庫に響く。シンと静まり返った校舎、誰もいない部屋、サトシは平静を装いながらもドキドキしながら誰かが描いた風景画のキャンバスにシャツやズボンをかけていく。その間にシュウは事前に持ち込んでいたシートを手際良く広げる。


サトシの胸の高鳴りはY先輩の時とは全く違っていた。まるで映画のワンシーンのようだった。懐中電灯の灯りだけが頼りだから、二人の姿は輪郭しか分からない。お互いの吐息を頼りに抱き締め合う。


サトシは幸せだった。友達とはいつもギターやバンドの話か、包茎の悩みや、**ちゃんとヤりたい、などという中学生ならではの話ばかりだった。サトシはそんなことより、映画や漫画の世界に描かれる恋人同士で過ごす濃密な時間が欲しかったのだ。それだけにシュウとこうして誰にも邪魔されずに過ごせることが嬉しかった。



シュウは中学二年の新学期に神奈川の聞いたこともない街から転校してきた。初めて教室に入ってきた時、クラスの女子たちはあまりにシュウが綺麗で言葉もなく見つめていた。まるで一瞬時が止まったかのようだった。そして、急に我に返ったように教室中がザワザワとし始めた。サトシもシュウに釘付けになった。それはまるで天使かと思うような美しさ…だけでなく、シュウが男だったからだ。


サトシは同じ男なのに、顔が火照り、そして見つめるうちにどんどんペニスが大きくなるのを抑えられなかった。その夜はシュウを想いながら何度もオナニーをしてしまった。熱い液をティッシュに撒き散らす度にトイレに行き、証拠隠滅をする。その間、そそり立ったペニスは静まることはなかった。


夜中、ラジオでオールナイトニッポンを聴きながら、シュウのことをまた考えていた。シュウは同じ男だ。この現実にサトシは大きな罪悪感を抱いていた。しかも、相談出来る友人…はいるはずもなかった。転校生の男の子に一目惚れするなんて。しかも、性欲の対象にするなんて…サトシは本気で悩んでいた。


悶々とするままに翌朝、教室でシュウを見た時に自分自身の気持ちにハッキリと気がついた。


「俺は、シュウが好き…なんだ」


そして、すぐにこの気持ちは誰にも知られてはならない、と決意した。


サトシはシュウを想いながら毎晩オナニーをしたが、実際に男同士で何をしたら良いか見当もつかなった。当時は性の敷居が下がってきた時代で中学生が読むような雑誌でもセックスの話題が頻繁に取り上げられる時代になっていた。しかし、当然ながら同性愛に関する情報は、少なくともサトシの周りには皆無だった。


同性愛というキーワードはサトシを苦しめ、背徳感を生んだが、逆に想像の世界ではシュウと唇を重ね、シュウの体を舐める…。それだけでサトシは白濁した想いを一晩で何度も吐き出したし、想いは募るばかりだった。シュウを想えば想うほど、性欲が燃え盛る。男女のカップルのようにはいかないのは当たり前だ、と半ば諦めかけた頃には季節が変わっていた。そしてサトシの気持ちも少し穏やかになり、せめて近くにいたい、と思うようになっていた。


シュウが転校してきてから数ヶ月が経ったが、サトシはまだ直接会話をしたことがなかった。それは女子たちに大人気で、休み時間の度に人だかりが出来ていたからだ。この頃になるとシュウの噂は3年生の女子にも伝わっており、昼休みになると噂を聞きつけた先輩女子たちが別な校舎からわざわざ見に来ることもあった。


シュウはいわゆるモテる男として学年を超えて有名になっていて、一部の男子たちからは妬まれていた。それでもトラブルに発展しなかったのは悪ガキグループの博志たちがシュウを仲間に引き入れていたからだった。悪ガキグループには博志や雄太たち男子だけでなく、由美子や晴子たちもいた。結果的にいつも彼ら彼女らがシュウを守るように一緒にいたことで、今ではすっかり悪ガキグループの一員とみなされていた。


ある日の夜、塾の帰り道に一人で歩いているシュウを見かけた。サトシは思い切って、後ろから声をかけた。すると、シュウは同じ塾に通っているという!サトシは天にも登るような気持ちになった。その夜は嬉しくて、何を喋ったか、あまり覚えていない。でも、シュウは


「来週は一緒に帰ろ」


と訛りのない綺麗な標準語で言った。それがサトシにはたまらなく嬉しかった。なぜか一緒にいる時は不思議とペニスは暴れ出さない。帰宅するとサトシの母親はすぐに察して、遅い夕食の時に


「サドシ、あんた好ぎな子でも出来だんだべ〜」


「何、本当が?父さんさも紹介せ!」


と父親まで入ってくる。それくらい露骨に嬉しさが表情に出ていたのかと、サトシは顔を真っ赤にした。まるでサトシの方が女子になったかのようだった。まさか両親はサトシが同級生の、しかも男子を好きになっているなんて思いもしなかっただろう。


何度目かの帰宅途中、もっとシュウと一緒にいたい…という気持ちが強く湧いてきた。そして、一緒にいて、シュウに触れたい、と思った。でも、どこで?男女のカップルならまだしも、男同士が公園でイチャイチャすることなんか絶対に出来ない。そうだ、俺はシュウに触れたいんだ!その時、ふと美術室の倉庫を思い出した。


「あのさ、今度、学校に忍び込んでみね?」


サトシはすぐさま提案した。


「え?どうやって?」


唐突で、思いがけない提案にシュウが食いついてきた。二人は盛り上がり、来週の塾の帰りに決行しようと約束した。


初めての美術室の倉庫に辿り着いた時、二人はすでに興奮していた。誰も居ない夜の校舎に忍び込むということ、そして、倉庫に入り、もしものために鍵をかけたこと、全てが日常とはまるで違う体験だったからだ。


サトシは自分の想いを告白しようと決めていた。たとえ嫌われようとも、正直に話してみようと思っていた。しかし、何から、どうやって話して良いのか分からず、言葉が出なくなってしまった。うつむくサトシにシュウが語りかける。


「サトシ、どうした?急に」


「…」


「怖いの?」


「違う、違う」


「なんか飲む?」


シュウは当時発売されたばかりのポカリスウェットを開け、自分で一口飲んだ後、サトシに差し出した。受け取ろうとシュウの手に触れた時にサトシの数ヶ月間の想いが溢れ出して、急に泣き出してしまった。懐中電灯の灯りしかなくて、お互いの顔がハッキリ見えなくても泣いていることがわかるくらいの嗚咽だった。


サトシはシュウの前で突然泣いてしまった恥ずかしさと、自分でも抑えられない説明のつかない感情に戸惑い、さらに言葉が出なくなっていた。涙は止まらず、嗚咽しながら下を向くだけだった。しばらくするとシュウは何かを察したのか、スッと近寄り、サトシを立ったまま、抱き締めた。


続く


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