第3話 市場

雄太からの今朝のメールが気になった由美子は仕事を終えるとその足で雄太の勤務先に向かっていた。工場の正門で由美子は真っ赤な傘を差して待ち構えていた。


「ツェッ」雄太はやっぱり来たか、という調子で誰にも聞こえないくらいの軽い舌打ちをした。


「行ご、一緒に。市場に」


雄太はそれに答えず

「駐車場で待ち合わせるべ」と言って車に乗った。そして母親とのやりとりを思い出していた。雄太は由美子からシュウの名前を聞く前日に母親からすでに聞いていのだ。


「雄太ァ、シュウちゃん覚えてるが?シュウちゃん。中学校の」


「うん?」


「市場でよ、シュウちゃんにそっーくりな子ぉ見だのよ、懐かしくなってなぁ」


その時は、ババァにはデリカシーもタブーもねぇんだなぁと半分憤って「んだぁ?」としか答えなかった。しかし、雄太はシュウの名前を実行委員会以外で、しかも母親から聞くとは思いもせずに驚いていた。さらにその翌日には由美子からも聞くことになるなんて…。何か嫌な予感が雄太の気持ちを暗くさせていく。少ない情報の中で不安に駆られるのは良くないな、と考えを切り替えようとした時、雄太はふと気付いた。


「母ちゃんも由美も、あの頃のシュウを、見だんだ…」


それなら、あれはシュウじゃない。だってシュウは30年以上に亡くなっているんだから。じゃあ、幽霊でも見たのかな?などと考えているうちに市場の駐車場に着いた。由美子は先に到着していて市場の入り口から手を振っていた。


「由美…シュウに似だ人よ、何歳ぐれえに見えだのよ?」


「だがらあの頃のまんま」


「あの頃って言ったって、中学の頃もあるべし、高校一年までは…」


「一緒に遊んでたあの頃よ。雄ちゃんの母さんは何て?」


「おんなじだ、多分。あんまり聞いでねぇし」


ただ、雄太の母親は「シュウにそっくりな子」だと言っていた。だから、由美子も母親も中学くらいのシュウに遭遇しているのは間違いない。そのシュウそっくりな子が由美子が言うように幽霊じゃない現実の人間だとすれば…。


「せばよ、幽霊でねぇって由美は言うし、母ちゃんも似だ子を見だってなれば、うん、俺、わがった!」


我が意を得たりといった調子で急に歩き出す雄太。


「何よ」と言って由美子は雄太の背中を指でつついた。


「シュウにそっくりな子が市場で働いてるんだべ、きっと」


「は?」


「んだ、きっと」


「んだべが?」由美子は納得していない様子だ。


「んだってよ、サドシが泣いでだっていうどご(場所)も、由美が見だ玄関も、この市場も、そんた離れでねぇや」


「んだがら?」


「だがら、シュウのいどごの子供どが?親戚だっているべ、きっと。秋田さ」


「んだがや?」


「んだから、良ぐ似だ親戚の若げぇ子が、この、こごさ、いるんだ、市場で働いでるの!よぐ考えれば、何も怖ぐねがったな」


雄太の楽観的な推理を聞いていて、由美子も一理あるわね、と思いながらも


「いや、あれはシュウちゃんそのもの…あんたに(あんなに)似てるわげねぇもの」と呟きながら雄太の背中を追いかけた。


雄太は自分の名推理が当たって欲しい一心で、いや、早く答えが欲しくてどんどん先をいく。二人は年末で慌ただしい夕方の市場を隅から隅までシュウに似た子を探した。もう少しで忘年会が始まる時間だ。閉店に向けて音楽も流れはじめた。結局、二人はシュウに似た子を見つけることが出来なかったが、雄太は変な達成感からホッとしていた。一方、由美子は釈然としない様子だ。その表情を見た雄太は駐車場で由美子を慰めるように言った。


「まだ、年明げに一緒にくるべ、母ちゃんがら、ぼたっ子(塩紅鮭)買ってきてけれって言われでるがら。由美、付き合ってけれ」


「うん、いいよ」


「んだ、その時、まだ探してみるべ。な!もしかしてシュウの親類がもしれねーし」


「んだな…」


「シュウの血筋の子だったら、俺、何だが嬉しいナ。ちゅーが、会いてぇ」


答えが出た訳でもないのに気楽な推理にしがみつく雄太に由美子は呆れつつも少しだけ気が楽になっていた。そんな雄太が由美子は好きだった。二人は別な有料駐車場に車を移動させた後、タクシーを捕まえて駅前に向かった。雪だし、歩いたら15分はかかる。タクシーの運転手さんに、近くでゴメンネと謝りながら場所を指示する。


「運転手さん、あと5分で忘年会開始なのー」


由美子が若い声を出してお願いする。


「いや、運転手さん、安全運転で」


はい、と運転手が答えると同時に信号が変わり、車が動き出した瞬間、パーンッ!とクラクションが鳴った。先頭を走っていた二人のタクシーをはじめ数台が同時に鳴らしたため、辺りは騒然となった。急ブレーキをかけた車内で雄太と由美子は抱き合っていた。赤信号の横断歩道を平然と歩く酔っ払いか?怒りの視線を前方に向けた時、雄太は目を疑った。


「シュウ!」


雄太にしがみついたままの由美子は言葉にならず、一旦雄太の顔を見上げてから、前方を見た。しかし、もう誰も、居ない…と思った時、ドンドンドンと三回、雄太側の左の窓を叩く音がした。運転手も一緒に一斉に窓の方を見る。


「シュウ!!!」


雄太は絶叫していた。由美子は聞いたこともない種類の叫び声に恐怖を覚えて、瞬間的に雄太から両手を離してしまった。当の雄太は心臓が止まるかと思うくらい驚き、運転手に


「ここでおろせ、降ろせ!」とわめくように言った。


「やめて!」


とてつもなく嫌な予感がした由美子は離した手に力を込めて雄太のダウンベストを掴み直した。そして窓の外を身体を捻ってシュウを探しているのを無理矢理振り向かせて言った。


「忘年会!サドシが来るの!みんな、待ってるの!」


運転手さんが、何かを察して由美子の方を一瞬振り向いて目を合わせた後、ドアを開けることなく


「いぎますよ…」


と車をゆっくりと走らせた。シュウと思われる謎の人物をかき消すように外は吹雪になっていた。二人は言葉を失ったままだったが、すぐに、会場に着いてしまった。


「お釣りは取っておいてください」由美子は短い距離と大声で異様な雰囲気になったことを短く詫びた。「危ねがったっす」と苦笑いする運転手も事故にならずに良かったという風だった。由美子は先に降りて茫然と突っ立っている雄太にしがみついた。タクシーが去った後も二人はその場を動けなかった。それは決して吹雪のせいだけではなかった。


続く

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