破壊の衝動1
無言のまま洞窟の先を睨むミズミは、茶色の長い前髪の隙間からあの紫の眼光を光らせている。硬い表情に瞳だけが異様に揺らめいていて、彼女の緊張感が嫌でも感じ取れる。私の右手を握る彼女の左手はぴくりともしない。洞窟の奥から響いてくる魔物の声が徐々に大きくなってくる。キイキイと高い魔物の声はどう聞いても数匹レベルの数ではない。もしかしたら大群なのではないだろうか……? そう思うと、落ち着いている彼女とは裏腹に私の心臓はバクバクと大きく鳴ってくる。
「ね、ねぇ……なんだか魔物の数……多いんじゃない……?」
恐る恐る口をつく声は、自分でもびっくりするくらい震えている。再び乾いた喉の奥に、唾を飲み込んだその時だった。急にミズミが私の手を勢い良く引いた。
「走るぞ!」
驚く間もなく彼女に引かれるまま、私も駆け出した。と、同時にあの魔物の鳴き声が目の前で鳴り響き、バサバサと羽の音が無数に鳴り響いて洞窟中にこだまする。あまりにも急に鳴き声と羽の音が響いたので、その騒音に私は言葉をなくした。走りながら何とか頭を上げて上を見ると、ミズミの光の玉に当てられて、たくさんの黒い翼の影が見えた。大きな翼に小さな胴体、黒い姿が洞窟の天井を覆い尽くすほどに飛び回っている。
「これってコウモリ……⁉」
いや、大きすぎる。コウモリにしては大きすぎる。羽を広げたそれは、私の半身に達しそうな大きさだ。
呆気にとられていると、すぐ前方から鈍い衝突音が聞こえた。走りながら、しかもその巨大コウモリをよけながらだから、しっかり見えるわけではないのだけど、ミズミのマントが大きく揺れ、その度に衝突音が聞こえる。目を凝らすと、ミズミはその右腕で飛びかかってくる巨大コウモリを殴りとばしながら駆けていた。強く握られた拳が薙ぎ払われるたび、大きな黒い翼が横によろめいて落ちていく。
「ミズミ……! 大丈夫⁉」
彼女の攻撃の一撃一撃がどれだけ重いのか、その音だけで察しはつく。大の男相手とまではいかずとも、あれだけの巨体の魔物だ。殴り飛ばすのだって相当な力を消費する。思わず彼女のことを心配して言葉が漏れる。
「いいから走れ!」
鋭い声色に緊張で心臓がひやりとする。コウモリの羽音に負けないよう、大声で叫ぶミズミの声には緊迫感があった。
必死に息を吸い、もっと早く走ろうと前方を睨んだ時だった。ミズミが殴り飛ばした魔物の影からすぐにもう一匹が飛び出して来ていた。あっと思うまもなく、その魔物の頭がまっすぐこちらに突っ込んできていた。
魔物の大きな口が見え、牙が目の前に迫っているのがスローモーションのように見えた。私は反射的に体を右にそらして、その牙を逃れようとした。魔物の頭を紙一重でかわすと、今度はその翼が目の前に迫っていた。それも首を右に倒しながらかろうじてかわすが――避けきれなかった。肩に衝撃が走り、魔物の翼が肩をかすったことに気づく。ぶつかったその拍子に、私はミズミの手を離してしまった。
「ティナ!」
ミズミの叫び声が聞こえる。視線を向ければ、振り返って手を伸ばす彼女の姿が目に入る。必死に手を伸ばそうとすると、もう目の前に次の魔物が飛び込んできていた。
「きゃあ!」
魔物をかわそうとして思わずしゃがみ込む。両手で頭を庇うようにして姿勢を低くすると、腕の向こう側で魔物の翼が風を起こす音がした。
だめだ、避けきれない――!
魔物の攻撃が来るかと思いきや、聞こえてきたのはまたあの衝撃音だ。と、同時に魔物の叫び声がすぐ真上で聞こえる。その声にびくついてまた身構えるが……一向に魔物の牙も翼も届かない。鳴り響く衝撃音と魔物の叫び声に、恐る恐る視線を上げると――
「ミズミ――!」
目に飛び込んできたのは、私のすぐ隣で魔物をなぎ払うミズミの姿だった。的確に敵の胴体を殴り飛ばし、一体の翼を抑えこむと、その魔物を振り回して他の魔物をなぎ払っていく。
私が顔を上げたことに気がついたのか、一瞬だけミズミは私を見た。
「だから走れと言っただろうが――っ!」
言いながら、彼女の息が少し上がっていることに気づく。見れば殴り飛ばす時に切ったのか、腕から鮮血が流れ落ちている。それを見て私は後悔した。彼女は私を守るために怪我をしてまで戦っている。いくら彼女が魔物をなぎ払っていっても、数が減る気配はない。見あげれば洞窟の天井を覆い切りそうなほどの魔物の数だ。これだけの魔物を――ミズミ一人で倒せるワケがない――。私は羽音に負けないように大声で叫んだ。
「ミズミ、私はいいから逃げて!」
「馬鹿!」
私の大声を制する程のもっと大きな声でミズミは一喝した。
「こいつらの狙いはお前なんだよ!」
「わ、私――⁉」
ミズミの言葉に私は思わず息を飲む。
「そんな……だとしたら余計に、私のせいでミズミを傷つけたくないよ!」
私は叫んで立ち上がろうとした。途端、彼女の左手が、しゃがんだままの私の頭を押さえつけた。痛くはないけれど、押し付けるような強い力だ。私は立ち上がれずに、思わずもがいた時だった。
「大人しくしてろっ! 今全部仕留める――!」
荒くなった呼吸の割に、余裕を感じさせる声色だった。はっとして私が視線を上げると、ミズミは不敵な笑みを浮かべていた。
「ティナ、かがめ!」
言うが早いが、ミズミの足の動きが変わる。左を軸足にして、急に右足を上げたかと思うとそのまま右足は私の頭上を通りすぎて一回転した。回し蹴りで近くの魔物を一掃したのだ。それと同時に彼女の口元からはっきりとそれは聞こえた。
『スィ――!』
響きこそは呼吸のようだが、それと同時に彼女の周りの空気が変わっていることが私には分かった。そして彼女が勢いよく右腕を突き上げた瞬間だった。
『ファイラン!』
その言葉が発せられた次の瞬間、ミズミの手のひらからまばゆい光が一閃した。その光はそのまま空間を真っ白に照らしたかと思うと、突風が下から上に向かって勢い良く吹きあげた。耳に鳴り響く強い風の音、それは耳だけでなく、洞窟全体を震わせるような轟音だ。あまりの風の勢いに、私は呼吸できなかったほどだ。しかし驚く間もなく、今度は頭上から熱い熱を感じ、それと同時に魔物の激しい悲鳴と、それを飲み込むような低い轟音が鳴り響いた。音と一緒にまるで地震のように空間と地面も、音に反響して揺れている。
「ひゃあっ‼」
まるで竜巻でも起こったようなその衝撃に、私は思わず頭を抱えてうずくまった。
地響きのような音が頭上で鳴り響いていたが、それも徐々に収まってくる。辺りが沈黙しようとしているのが分かった。私はそうっと顔を上げた。
見あげれば、はらはらと頭上から何かの残骸が落ちてきていた。黒い灰のようなものが、次々落下してきている。今度は周りを見渡した。辺りの地面には、さっきまで魔物であったのであろう物体が散乱していた。地面を黒く染めているのは魔物の血だろうか……?
目を丸くするばかりの私のすぐ隣に、呼吸を荒くして立ち尽くしているミズミの姿があった。両手を強く握りしめ、当たりを見回す彼女の瞳の色が、徐々に緑色に変わってゆく。それと同時に、辺りに響くのは彼女の呼吸の音だけになった。
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