すべてのはじまりとの出会い
瞼の上から、容赦なく照りつける光が眩しい。私は思わず瞼を開けた。薄っすらと視界の先に映るのは、ちらちらと光が漏れてくる木々の葉だ。木漏れ日が私を起こしていたらしい。首を動かせば、視界にすぐ草が入った。背中に伝わる感触が湿っぽい。――ああ、私、地面に横になっていたんだ。
「ううん……」
そっと手をついて起き上がると、自分の体が見えた。長袖の腕は何処も破れていないし、胴体の方も汚れは特段無い。膝丈の長いスカートの先に、長い革製のブーツ……。私はそっと自分の頬に触れてみる。頭のてっぺんからサラサラ零れてくるのは、光に透けると金色になる私の自慢の髪だ。髪を撫でて、それがいつもの胸くらいの長さであることに気がついて、ほっと胸を撫で下ろす。良かった、倒れてはいたけど、何処も怪我はしてないみたい。
私はようやく立ち上がった。思い切り腕を伸ばして背伸びすると、やっぱり気持ちいい。ちょっと体が重い気がするけど、それはきっと長いこと倒れていたからだろう。
「に、しても……」
私は周りを見渡した。大きな木々が天に向かって伸びていて、その高い枝の向こうに青空が見える。ここは何処の森だろう……?
そんなことを思っていると、急に茂みの向こうから音がした。はっとして振り向くと――
「けけっ……まさか女がいるとはな」
低い声でそう言いながら姿を現したのは、どう見ても普通の人間じゃない。浅黒い肌色、股の隙間からちらりと見える動物のような長い尻尾、胴体の割に長い手足に面長な顔、鋭い視線で私を見る、私よりも一回りも二回りも大きい人物――
――これは……魔物……?
「な、何よ、あなた魔物?」
私は警戒気味に後退りながら声をかけると、その細長い人間は引き笑いを押さえつけて言葉を吐いた。
「あんな下等生物と一緒にされては困るな。さてはお前、闇族ではないな?」
聞きなれない種族の名に私は戸惑う。「闇族」とは一体なんだろう?
そんな私に一歩一歩とその奇妙な人間は近づいてきた。ギラギラと光る目は獲物を狙う獣のようで、正直気分が悪い。どう見ても好意的な態度ではない。
「さては精霊族か……ひひっ……いい女だ」
そう言う奇妙な人間は私をじろじろと品定めするかのように見る。嫌な感じのする目線に、私は警戒して固唾を飲んだ。
「……女、覚えておけ。俺は闇族の中でも最強と言われる『強族』だぜ」
「ゴウゾク……?」
思わず反復する私の目の前で、いきなりその人間は私に向けてその長い手を伸ばした。はっとするまもなく、その手に私の腕がとられる。勢いよく腕を引かれよろめく私を、今度は力任せに地面に押し倒してきた。勢い良く背中をぶつけて鈍痛が走る。
「いったっ! 何するのよっ!?」
必死にその手から逃れようと腕を動かすがびくともしない。よく見ればその手の形も人のそれとはだいぶ違う。指なんて四本しかない。奇妙な握り方をしているけれど、何て力だろう……! その力に思わず肝を冷やす。とても人間の力とは思えない。
「何する、なんて決まってるじゃないか……女を押し倒して、やることと言ったら一つだろう……!」
ぐっと顔を近づけてニタリと笑うその口から、長い舌が見えた。馬乗りになって私を押さえつける様子に、思わず背筋が凍る。コイツ……私を襲う気……!?
「は、離せぇーーっ!!」
力いっぱい叫んだその時だった。鈍い衝突音と共に、急にお腹が軽くなる。そして次の瞬間、真上の男が苦しそうな声を吐いたかと思うと、体を宙に浮かせてそのまま私の右隣に倒れ込んだ。
体が自由になったことを確認して、私はすぐに起き上がった。そして立ち上がろうとしたその時だ。
再び鈍い音が響いて、またあの奇妙な男が勢いよく吹き飛んだ。そのまま近くの樹の幹に体をぶつけると、ずるりと力なく男は地面に崩れ落ちた。
「真っ昼間から目障りなことをしてくれる」
急に視界が暗くなって上を見上げると、そこには茶色の髪を揺らす一人の人物が立っていた。その立ち姿と声色から一瞬男性かと思ったけれど、見上げた姿が胸のラインも露わな下着姿のような薄着の格好をしていたから、女性だとすぐに分かった。強く拳を握りしめて立つその人に、思わず私は呆気にとられる。今度は誰がきたんだろう……?
そんな私をさておいて、その女性は静かにあの崩れ落ちた男の方へと歩み寄っていく。男を見下ろせる位置にくると、その人は吐き捨てるように言った。
「さっさと俺の目の前から失せろ。殺されたくなかったらな」
嫌悪感をむき出しにして冷徹に言い捨てるその口調は、後ろで聞いている私ですら思わず息を飲むほどの威圧感があった。
「ぐっ……」
何か言いたげではあったが、奇妙な男は苦しそうな声を飲み込むと、そのまま茂みの向こうへと逃げるように去っていった。
「――大丈夫か?」
呆気にとられぽかんとしている私の目の前に、その女性は歩み寄って来ていた。私は慌てて立ち上がる。
ちょっと信じられないけど、あの奇妙な男を追い払ってくれたのは彼女なのだろう。背は私よりちょっと高いくらいで、同じ女性なのにこんなに強いなんて……。
私はこの人の強さに驚いて、まじまじとその姿を見回していた。見ればかなりの薄着だ。マントを首のベルトで軽く止めてはいるけど、その下にはまともな服は着ていない。胸を隠す布はまるで下着のようだし、大きなベルトでぶかぶかなハーフパンツを腰にかろうじて止めているような格好だ。目線を顔に向ければ、少々呆れた表情を浮かべている緑色の瞳と目があった。長いまつげに縁取られた垂れ気味な瞳に、強さを感じさせる眉。形の良い鼻筋にほんのりピンク色の唇、真っ白な肌。片方の前髪だけ長くて、彼女の片顔を少し隠すその茶色の髪は、サラサラと風になびいていた。
――なんて綺麗な人――。これであの奇妙な人を一瞬で追い払うだけの力があるなんて想像がつかない。
そんなことを思って見つめていると、彼女は安心したようにため息を零した。それに気がついて、私は慌てて口を開く。とりあえずお礼を言わなくちゃ!
「あ、は、はい! ありがとうございます!」
「お前、なんでこんな所にいる?」
私のお礼が言い終わらないうちに彼女は質問を投げかけてきた。
「え?」
「こんな魔物だらけな所に、女一人でいるもんじゃないぞ」
明らかに怪訝そうな表情で私を見る彼女に、私は急に不安になる。もしかして、この場所は入ってはいけない場所だったのかしら……? もしかしたらこの森はこの人の土地なのかもしれない。だとしたら、彼女が不機嫌そうなのも頷ける。でも――
「そ、そうなの? 私、気がついたら、ここにいて……」
――そう言えば、どうして私ここにいるんだろう――?
急にそんなことが頭をよぎる。思い出そうとするけど何も思い出せない。そうだ、私はここまでどうやって来たんだろう?
「気がついたら……私、ここに倒れてて……どうやってここまで来たのか……思い出せないの……」
素直に述べると、ますます不安が大きくなってくる。そんな私に、彼女はまた一つため息を吐いた。
「……そうか。お前、家は?」
再び彼女からの質問に私は頭を抱えた。
「……。何処、だろう……? 私、何処に帰ればいいのかな……」
そんなこと言われても彼女は困るだけだ。でも本当に分からない。もしかして私、記憶でも無くしているのかしら……?
そう思うとどんどん不安は膨れていく。私は一体、どうしてここに来たんだろう? そして何処から来たんだろう……? 私は何処に帰ればいいんだろう……?
そんな私に、また目の前の彼女はため息を付いた。
「仕方ない。ひとまず外に連れてってやる」
その言葉に目線を上げると、目を細めて少々面倒くさそうな表情の彼女と目が合った。でもそんなことを言いながらも、口の端を軽く歪めて笑っているその表情は、何故だろう……なんだか懐かしい感じがした。
「この森は女が一人で出歩くには危険な場所だ。森の出口まで連れてってやる」
「あ、はい! ありがとう!!」
私は嬉しくなって笑顔でお礼を言った。そんな表情をするけど、私が襲われそうになったところを助けてくれたり、危険な場所から出してくれようとするんだから、彼女は親切な人であることに違いはない。そんな彼女の気持ちを、私は素直に嬉しく感じた。
「あ、そうだ。私、名乗ってなかったよね! 私、ティナといいます!」
名乗って手を差し出すと、一瞬目を丸くしたが、茶髪の女性は薄っすらと口の端を歪めて僅かな微笑を浮かべて言った。
「……俺はミズミだ」
私の差し出した手に、ミズミも自分の手を差し出した。同じ女性の割に、彼女の手は不思議と力強く感じたが、それでも優しく私の手を握り返してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます