プロローグ2


 先程まで薄暗かった牢の中は砂埃が舞い、埃っぽくなっていた。見れば牢の一角の壁が無残に破壊され、そこから明るい光が部屋いっぱいに差し込んでいた。外につながっていることは明確だった。次から次へと、囚われていた女達が歓喜の声を上げながらその壁をくぐり抜けて牢屋の外に出る。一方で茶髪の女は冷然としていた。次々逃げ出す女達を見送りながら、まだ逃げ出せない者がいないか見回しているのだ。倒れていた少女に気が付き、少女を立ち上がらせると、茶髪の女は穴のあいた壁をあごで指す。

「あそこからお前も出ろ。外にオアシスに向かう行商人が止まっている。今ならまだお前らくらい乗せられるだろう」

 短く女が説明すると、少女は頷いて壁を潜ろうとして――ふいに振り返った。それに気がついて茶髪の女が首を傾げてみせると、少女は不安げに小さく声を発した。

「お姉さんは……? お姉さんは行かないの?」

 その言葉に茶髪の女は一瞬だったが、優しく微笑んだ。

「俺のことは心配ない。いいからお前は早く行け」

 女の言葉に少女は頷いて、壁から外に出た。

「ありがとう!」

 去り際に大きく叫ぶ声を聞き、女は小さく笑った。しかし――まだ終わったわけではない。

「な、なんじゃ、こ、これはどういうことだ⁉」

 激しく叫ぶ男の声に、茶髪の女はその瞳を再び鋭くした。女の背後には、つい今しがた牢の部屋に入ってきたであろう二人の人物がいた。その中の一人、屋敷の主人である老人が激しく動揺し辺りを見回していた。あまりに動揺して、その腕も足も震えている。

「こ、これは一体どういうことだ⁉ どうしてこんなことが……⁉」

「アイツではないですか?」

 動揺する老人とは裏腹に、隣に立つ黒服の男は冷静だった。黒服の男はそのフードに隠れた半分の顔で、茶髪の女をあごで指した。

「そ、そうです、あの女です!」

 老人と黒服の男の後ろで、使用人らしい男たちが恐る恐る答える。

「警備をしていた男も、護衛隊も、あの女にやられました!」

「バカを言え! 護衛隊もだと⁉ たかがあんな女一人にやられるものか!」

 使用人の答えに、老人は目をひんむいて大声で反発する。しかし背後の使用人は必死に首を振って抗議していた。

「いや、本当にアイツなんです! アイツは何やら怪しい術を使う! まるで魔法のような……」

「ばかな! 魔法を使うのは主に精霊族じゃろうが! この大陸に精霊族がそう簡単に入り込むものか!」

「しかし、本当なんです!」

 使用人と老人が言い争っている間に茶髪の女は背中を見せていた状態から、ゆっくりと正面を見せた。姿だけ見ればか弱い女性そのもの、しかし何故か不気味な落ち着きが女にはあった。

そんな女の動きに反応したのは、老人よりも先に黒服の男だった。

「――ご主人よ、どうやら使用人の言っていることは本当のようですぞ」

「な、何?」

「どうやらこの女……只者ではないようだ……。ここは私にお任せを」

 言うが早いが黒服の男は一歩前に踏み出した。その直後だった。

 急に女はその両手のひらを白く光らせ、勢いよく前に突き出した。

『ファイラン!』

『スィ・シューフ!』

 しかし黒服の男の反応も早かった。即座に両手を突き出すと、男は黒い波動をその手のひらから生み出した。凄まじい轟音が響き、屋敷を震わせるが、女の発したその術は全て男の発した黒い波動の壁に遮られ、男達には届かなかった。女の白い波動が止むかやまないかの瀬戸際で、黒服の男は突然女めがけて突進した。女はしかしそれには動じずに、すぐにその手を突き出そうとしていた。

 女の手のひらが突き出されようとするその瞬間だった。

『ファイ・エンリン!』

 黒服の男は、女の付きだそうとするその手のひらに自分の手のひらを合わせ、それと同時にそう唱えた。

 動揺したのは女の方だった。男の術がその手のひらから発せられた途端、女の手のひらの光が消えたのだ。はっとする間もなく、黒服の男は女の手のひらをそのまま自分の手で押さえつけ、そのまま壁に勢いよく押さえ込んだ。鈍い衝突音とともに、女の細い体は壁に打ち付けられた。

『ファイ・エンファ』

 立て続けに男が呪文を唱えると、女は急に息を飲み、その表情を歪めた。

「無駄だ、女。今お前の言葉は封じた」

 男の言葉に、茶髪の女ははっとしたように男を見た。女の目に映るその男の表情は無表情ながら恐ろしく冷たく見えた。その瞳の奥まで漆黒の闇だった。

「我ら一族以外にも、エンリン術を使う者がいたとは驚きだ」

 そう呟く男は、その言葉すら無表情に感じさせていた。

「おお! よくぞ捕らえましたな! 流石です!」

 黒服の男が無事女を押さえ込んだのを確認して、老人はたちまち嬉々として走り寄ってきた。

「フン、なんてことをしてくれるんだ、このアマめ……。綺麗な顔して恐ろしい女じゃ」

 老人は男の背後に隠れるようにして、ちらちらと女を見る。

「ご主人、もう心配はない。この女の術は封じました。あとは縛り付けておけば安心でしょう」

 黒服の男は両手で女の手を押さえまま、背後の老人にそう声をかけた。その言葉に心底安心したのだろう。老人は黒服の男の背後からようやく出てきた。それを女は憎らしげに睨みつけている。 

「ふん、不気味な女だ……さっさとこんな女、売りだして追い払わねば……じゃが……」

 言いながら、老人の目は舐めるように女の体を上から下までじっとりと視線を向ける。女はその表情に一瞬片目を細め、嫌悪感をむき出しにするが、そんなことを好色な老人が気にする筈もない。老人はその醜く太ったうでを伸ばし、女の細い腕を撫でた。

「なかなかな上玉じゃな……。ここはひとつ、ここで辱めてやろう。このワシに歯向かった罰としてな」

 老人の言葉が終わらぬうちに、老人の背後の数人の使用人たちが歓喜の声を上げる。下卑た笑い声を上げながら、黒服の男に押さえつけられた女に一斉に群がった。次々手を伸ばすと男たちはその女の服に手をかける。

「ああ、ご老人。この女、事がすんだら買わせて頂いてよろしいか?」

 一方で黒服の男は落ち着いたものだった。欲望むき出しに騒ぎ立てる男たちの間で、ただ女の両手を押さえつけたまま、老人に声をかける。その間にも群がった男たちが声を上げながら女の服を引きちぎり、それを満足気に眺めながら老人は頷いた。

「こんな女いくらでも。またおいで下さい。独族の王に宜しくお伝えくだされ」

 にやりと口元を厭らしく歪めて老人が笑うのを確認し、黒服の男が腕を離した時だった。突然に女の体が青白く光り出したのだ。予想外の出来事に、男どもは動揺してその手を一斉に引っ込めた。その途端、部屋全体を真っ白な閃光が走りぬけ――

「うわっ!」

「なんだ⁉」

 急な光に目を閉じた男たちが次に目を開いた時には、女の姿は煙のように跡形もなく消えていたのだった。


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