最終話

 「あなたの正体がわからなくて、ごめんなさい」

 退職願を受け取った館長は、本当にすまなそうな顔をしていた。

 「いいえ。謝らないでください。僕はとても満足しているんです」

 「リュウさんの罪も、少しでも軽くしてあげたかった」

 「……思っているよりは大丈夫そうでした。むしろ、もう生まれ変わる必要がないことを喜んでいたぐらいです」

 半分本当で半分嘘。何年も地球を彷徨い続けたことに疲れてはいたけど、名前がわからないとはいえ自分の子孫に二度と出逢うことができなくなったことは、少しだけ寂しがっていた。

 「何かあったらいつでも屠書館にいらしてください。僕らはあなたの味方です」

 「心強いです。……館長は永遠に務めるんですか?」

 「まさか。待っている人がいるんです。その人が来る日まで」

 「その日が楽しみですね」

 「とても」

 目を細めた館長は、年相応の男の子にも、何年も生きた老年の男性にも見えた。







 それから。


 一冊の本が塵になって消えるほどの年月が経った。


 「おかわりいる?」

 「うん」

 お腹いっぱいで、僕はうとうと、夢とうつつの狭間にいた。

 お昼ご飯はおいしくて、この前見た映画の感想を君と話すのが楽しくて、舶物館の次の展示は、君の好きなものだと言うと嬉しそうな顔をする君が愛しくて。隙間風の吹き込むような心は、もう僕にはなかった。

 カーテンが静かに浮き上がって、また元に戻る。

 「できたよ」

 君がコーヒーを持って現れた時、もうそこに僕はいなかった。

 「……また何も言わずに行きやがって」

 君が僕のノートを見ると、

 「僕を見つけてくれてありがとう」の文。

 「もう探さねえからな」

 そのノートを君は優しく持ち上げて、抱きしめた。

 「もう探してやらねぇから」

 ノートよりも顔をくしゃくしゃにして、君は泣いていたね。

 春の風が君の頭を優しく撫でた。



 結局、本当のことは僕ですらわからない。大粒の涙を流している君のことだから、本当に僕という存在がいたかもしれないし、もしかしたら全部幻でいなかったのかもしれない。全く違う他人だったのかもしれない。

 でも、本当だろうと嘘だろうと僕は確かにここにいた。コーヒーを浴びたあの日から始まった僕の物語は、確かにここにあった。

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僕の物語 なんぶ @nanb_desu

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