#02

「……へえ、リサちゃんっていうんだ」


 絞殺しようと喉元にのばした手を、少女の肩に置いた。

 少女は僕に殺されることを察知しているわけでもなさそうだ。怯えることもなくこくりと頷くと、僕の顔を見上げて


「お兄ちゃんのお名前は?」


と尋ねてきた。

 本名を名乗るべきか、少し迷った。しかし――


「……司。司だよ」


 自分が本名を名乗るかどうかなんて、この子には関係がないと思ったから、嘘はつかなかった。どうせ殺すんだから。


「足冷たくない?」


 恥ずかしさからか、寒いからか、もじもじと重ね合わせた小さな足は赤くなって腫れていた。しもやけになっていて痒そうだ。地べたを裸足で歩いていたからだろう。所々に擦り傷もある。


「靴、どうしたの?」


「おうちのなか」


「カギ、開けてもらったら?靴履いてくればいいじゃん」


 僕の言葉に、リサは首を横に振った。


「どうして?」


と尋ねると、


「リサは悪い子だから。いい子にしなくちゃいけないんだよ」


と言う。


「ママの邪魔しちゃいけないの」


 僕はリサの家の玄関の扉のほうに目をやった。

 この扉の向こうに男といる母親は、少女の気持ちを知っているんだろうか。




 僕はリサをおんぶして、ドン・キホーテに行った。

 子供用の靴と靴下を買う。白にピンクのラインの入ったスニーカーだ。歩くたびにキュッキュッと鳴るのが嬉しいらしい。その場でバタバタと足踏みをして、音を鳴らすと声をたてて笑った。


 僕は急に空腹を感じた。


――今日、殺すのはやめよう。


 そう思ったからだろう。

 疲れたし、店内はあたたかい。冬の冷たい空気のなか、殺さなければならないと張り詰めていた気持ちも、切れた。


 リサにも温かいものを食べさせようと思い立って、はなまるうどんでうどんを食べた。


 腹を満たしてしばらくすると、不安になった。

 リサが、箸を握りしめて不器用にどんぶりをかき混ぜながらうどんを頬張るのを眺めて、これは未成年略取とか。

 そういった罪状に当たるんじゃないかと思ったのだ。


 リサの母親が、表に我が子がいないことに気づいて、警察に届け出ででもしたら、僕は逮捕されるかもしれない。

 人ひとり殺さないまま、警察に捕まるのは不本意だ。

 

――交番に迷子として届けるべきか?


 思い立ったが、これはよくない。

 リュックには包丁やナイフが入っているのだから銃刀法違反になるのではないか。誘拐を疑われて持ち物を検査されるわけにはいかない。

 娘の不在に母親が気づいて騒ぎ出す前に、家に帰さなければならない。


 


 僕は食べ終わったリサを急かして店を出た。

 雪はやんでいたが、日が暮れて冷え込んだ空気は肌刺すように痛い。


「おうちに帰ろう」


 そうリサに言うと、少女はしかめっ面をして道端に座りこんだ。散歩を嫌がる犬のように。


「帰ろうよ。……ほら、立って」


 手を取って引っ張ったが、リサは黙ったまま動こうとしない。


――こういう時、僕の親はどうしたんだろう?


 僕は困惑してしゃがんだままのリサを眺めるしかなかった。


「お母さん、心配するよ?寒いし。おうちに帰ろう?」


「……っこ」


 リサが何かを呟いたけれど、聞き取れなかったから僕も腰をかがめた。


「抱っこ」

 

 僕は言われるがままにリサを抱きかかえた。

 リサは頭を僕の肩に乗せていた。彼女の頭からは微かにえた匂いがしたから、満足に風呂に入れてもらえていなのかもしれない。


――風呂に入りたいなぁ……


 今日みたいな寒い日に風呂に入ったら、体の芯が痺れるだろう。

 そんなことを思いながら、僕は歩いた。

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