後編


「テツオさん! お疲れ様です!!」 

 清掃の仕事を終えて外に出ると、高級そうなスーツを着こなして、人気俳優みたいな爽やかな笑顔を浮かべた、アイツが建物の外で待っていた。げえっ。

「お前、なんでここにいるの……。」

「そろそろお仕事終わる頃かな~と思って。」

 いや、なんでお前が俺のシフト把握しているんだって訊きたいんだけどな……。ここの清掃員の仕事なんて、曜日どころか時間も不規則なのに。それに、俺には自分のシフトを教えるような家族も友人もいない。

……やめよう、考えたら怖くなってきた。

 空を見上げると、皮肉なほどきれいな青空が澄み渡っていた。すずめのチュンチュンというさえずりも聞こえる。わーい、イケメンと一緒の朝チュンだー☆ 嬉しくねえええええ!

「どうしたんですか、テツオさん。」

「どうもこうも……あ。おい、口に食べカスついてるぞ。」

 ヤツの口元に、赤いものが付いていたので、俺は自分の口元を指さして教えてやった。

「え……ああ、指についていたマニキュアかあ……。」

 奴はスーツの内ポケットから取り出した手鏡で自分の顔を確認すると、口についていた、はがれたマニキュアらしいゴミをティッシュにくるんだ。

 その様子を見て、俺は盛大にため息をついた。

「やっぱり俺が今日最後に掃除した部屋お前が使ってたのかよ~テンション下がるわ~。」

「ええっと……いつも、綺麗にしてくれてありがとうございます!」

「いや、そういうことじゃねえよ。」

 奴のズレた回答と笑顔に、俺は頭を抱えてしまった。

「それにしても……どうして女性って、体に香水だのマニキュアだの、ファンデーションだの、塗りたくるんでしょうね。せっかくお風呂で落としてもらっても、あがってからまた塗ろうとするし。」

「そりゃ、お前、それがヒトの乙女心ってやつよ。」

「何もつけない方がおいしいのに、もったいないなあ。」

「そりゃあ、向こうはまさか自分がお前に食われるなんて思っちゃいねえだろうからなあ。」

 毎度のことながら、コイツにここに連れ込まれた女たちが可哀想でならない。

 顔も名前も知らねえが、きっと皆、イケメンのコイツに声かけられて、天にも昇るような気持ちでここにやってきたのだろうなあ。

「……お前、ついに例の彼女を食っちまったのか。」

 コイツには3か月ほど前から付き合っている女がいるらしく、早くその気になってくれないかなと惚気話を死ぬほど聞かされてきたのである。

 その分、3か月はコイツがこのホテルに来ることがなかったので安心していたのだが(ただしその分、ただの飲みにしつこく誘われた)、今日ここにいるってことは……。

「あ、いや、それがデート直前にフラれちゃいまして、」

「マジかよ!! ざまあねえな!」

「テツオさんのそんな嬉しそうな顔はじめて見ましたよ……昨日は、バーでたまたま会った女性に誘われて、だからここに来たんですよ。」

「死ね!! イケメン滅ぶべし!」

「すみません、人より頑丈な身体なもので……。」 

 本当に申し訳なさそうに、ズレたことを言うので、俺はまたため息をついてしまった。やっぱりコイツとは話が噛み合わねえなあ、と思う。

「まあまあ、僕のことは良いじゃないですか。朝ご飯を食べに行きましょう!」

 爽やかな笑顔で言うコイツに、毎度のことながらゾっとする。

「お前……あの”食事”のあとで、朝メシ食うつもりなの……。」

「テツオさんがご飯を食べているところが見たいんです。ふつうの食事方法の参考になりますから。」

「いや、絶対今のお前の方がテーブルマナー良いだろ……。」

「おごってあげますから。」

「それを早く言えよ! ごちそうさまです!!」

 俺は、コイツのおごりで、思いつく限り贅沢な食事を摂ってやろうと決めて、さて、何を食おうかとメシに思いを馳せた。

……まあ、”あの掃除”のあとにすぐメシのこと考えるあたり、俺も相当狂ってるんだろうな……。


  

 ※※※


 遡ること、数十分前。

 

「……さて、と。お邪魔しまーす。」

 誰もいないことはわかってるんだが、まあこれは癖みたいなもんで、俺はノックして声をかけながらドアを開けた。

 部屋に入ると、もう掃除した後みたいに、綺麗に片付いていた。正直、余計な仕事が少なくなるんで、助かる。

 だが、嫌な臭いがする。もう嗅ぎなれてしまった、血の臭いだ。

 髪の毛一本ベッドや床に落ちていないのに異様な臭い。こんな使い方をする客は、俺の知る限りアイツしかいない。また建物の外で待ってたらどうしようと思いながら、ゴミ箱の蓋を開けた。

 アイツの使ったあとの部屋は、”ゴミ”の処理が大変だ。先月、うっかり何も知らない新人の清掃員が、奴の使った部屋のゴミ箱の中身を見て、卒倒してしまったことは記憶に新しい。ちなみにそいつは、その事件以来このホテルに出勤してこなくなった。

 ゴミ箱の中身を、用意した袋に移していく。

 ひらひらした、おそらくとっておきなのだろう女物の洋服(丁寧に折りたたまれている)に、眼球や舌が抜き取られた女の頭部。しゃぶりつくされたらしい脚の骨、奴が食い残したらしいオッパイの残骸(以前、奴にきいたら、脂肪しか無いから美味しくないんだそうだ)、その他、内臓や髪の毛の残骸がゴミ箱から、ドサリと音を立てて袋になだれ落ちた。

 綺麗にゴミ箱に捨てるようになっただけ、マシになったもんだ。初めの頃は食い散らかしてそのまんまで部屋を出たもんで、清掃の俺がブチ切れて、(今思うと、よせばいいのに)利用客のヤツを追いかけて飛び蹴りを食らわせたのが、アイツと俺が出会ったきっかけだった。それ以来、妙に俺に懐いてきて、現在に至る。

 ヒトの形をした、ヒトでない利用客は、奴一人ではない。このホテルには、そういう客が、己の食欲・性欲その他もろもろの欲望を満たすためにやってくる、ホンモノの魔の巣窟だ。その分、時給がめちゃくちゃ良いので、良い年こいて定職についていないオッサンで、会社勤めが性に合わず、他人に干渉することが嫌いな俺には正直天職だった。耐えきれずに辞めていったやつがどうなったのかは、考えたくない。

 俺は、ゴミを回収すると、リネンとバスローブを新しいものに替えて、一応部屋に掃除機をかけて、部屋を後にした。


 ※※※

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