49 新しい春へ
春は、出会いと別れの季節。
そしてこの世界の四月はまさに、入学式のシーズンだった。
(こうして無事に、新学期を迎えられるなんて……)
桜の花びら舞う校庭に立ち、ディアナはしみじみとスートニエ魔法学校の校舎を眺めていた。
今日は一年生の入学式で、同時に二年生にとっては新学年始まりの日だ。
(補講クラスの六人は皆進級したし、ヒロインも入学できたみたいだし、私も……正式採用された)
ディアナは四月一日から、スートニエ魔法学校の魔法実技教師として正式に採用された。
やはり高齢だった魔法実技の教師が退職したので、ディアナがそこに入り――二年生の授業をメインに受け持つことになった。
(もう補講クラスはないから、あの六人だけの教室はなくなってしまったけれど……これから毎日でも、会えるものね)
「……あっ! おはようございます、イステル様!」
しみじみと考えていると、背後から元気な声が聞こえてきた。
入学式のために新一年生たちが早めに登校する中、真新しい制服に身を包んだアンナが走ってきていた。
初期デフォルトの見た目ではあるが、やはりゲームヒロインだからかほぼノーメイクでも可愛らしい顔が際立っており、周りの男子生徒たちが思わず見とれているのが分かった。
彼女はお人好しそうな顔の男子生徒――攻略対象である幼なじみのブレンドンを連れてディアナの前まで来て、ぴょこっとお辞儀をした。
「おはようございます、リッターさん。……これから入学式ですが、気持ちはどうですか?」
「最高です! これからたくさん勉強するんだって思うと、わくわくしてきます!」
アンナは目をきらきら輝かせて言っている。
「イステル様……っと、これからは先生、って呼ばないといけませんね。私、イステル先生に推薦してもらったのだから頑張ります!」
「ええ、そうしてくださいな。勉強だけでなく、学校行事や恋なども充実した日々になることを願っていますよ」
ディアナが心から言うと、アンナはきょとんとした後にくすくす笑い始めた。
「うふふ。学校行事はもちろん楽しみですけど……恋は、もう叶っています」
「……え?」
「私、ブレンドンと交際しているのです!」
アンナが言い、隣に立つブレンドンも「実はそうなんです」と照れ笑いを浮かべている。
(……え? ……えええええええ!?)
「こっ……交際!?」
「えっ……いけなかったのでしょうか。学校要項には、生徒同士の交際禁止とはなかったのですが……」
「も、もちろん悪いわけではないですよ! ただ、少し驚いてしまって……」
本当は少しどころではなくて仰天したくらいだが。
(もしかして……ヒロインの入学が決まるのが遅かったから、もう幼なじみ攻略対象とくっついてしまったの!?)
そういえば、攻略対象の中でも幼なじみ・ブレンドンは最初から好感度が高めに設定されており、攻略が一番しやすいキャラだったはずだ。
恋愛イベントでは「子どもの頃から好きだった」みたいな話を聞けたと思うので、冬の間にヒロインと幼なじみでくっついてしまったようだ。
(そ、それじゃあ学校では他のキャラとの恋愛イベントは……起こらないってこと……?)
「ええと……まああなた方なら大丈夫でしょうが、学生の本業は勉学ですので、清く正しい交際をすればと思います」
「は、はい……」
「えと、分かりました……」
これだけで二人とも真っ赤になってもじもじ照れ始めたので、来年の新年祭パーティーなどで羽目を外すこともないだろう。
「イステル先生」
入学式に参加する二人を見送ったディアナの背後に、男子生徒の声が掛かった。
振り返った先にいたのは、エルヴィン。
さらさらの髪はいつも少しだけ癖があるが、今日はセットを頑張ったのか普段よりはおとなしくなっている。
相変わらず少し眠そうな目をしているが、ディアナを見る目は真っ直ぐだ。
「おはようございます、シュナイト君。今日から新学期ですね」
「ええ。……こうしてあんたと一緒に二年生に上がれて、本当によかったです」
「ふふ、そうですね」
そう言ってからふと、ディアナは思う。
(きっと……ゲームでのエルヴィン・シュナイトは、進級できずに退学処分になったのよね)
ゲームのディアナと今のディアナでどれくらいの差があるのかは、分からない。
だが、ゲームに出てくるディアナがあれほどまでねじ曲がった性格をしていたのは……昨年度に受け持った補講クラスでいろいろ起きたからではないか、と思っている。
(もしかしたら、未練をたくさん抱えてしまったディアナが、願ったのかもしれないわ)
もう一度人生をやり直せるのなら、六人全員を進級させてやりたい……と。
そう思いながらエルヴィンの顔をじっと見ていたからか、彼は照れたようにふいっと視線を逸らした。
「……そうやって、あんまりじっと見ないでください」
「あ、そうですよね。ごめんなさい、ぶしつけに」
「……ぶしつけじゃないし、嫌だとも思ってません。ただ……そうやって見られると、いろいろ我が儘を言いたくなるっていうか」
「我が儘……?」
「……あんたにもっと、エルって呼んでほしいって」
ぼそぼそとエルヴィンが言うので、ついディアナは噴き出してしまった。
「そういうことですか。……もう今は学校なので、あなたのことは愛称では呼べませんよ」
「です、よね」
「でも……そうですね。来年の春にあなたたちが卒業したら、もう私たちの関係は教師と生徒ではなくなります。そうなったら同じ大人として、あなたのこともエルと呼ばせてくださいね」
そう、来年になったら。
皆で卒業祝いパーティーをしたいし、その場ではワインも飲みたい。
卒業した後は線を引く必要もないから、ツェツィーリエたちと町へ遊びに行ったり一緒に買い物したりしたい。
そういう思いで言うと、なぜかエルヴィンはとても驚いた顔になり、そして小さくうめきながらうつむいてしまった。
「……。卒業したら……ですか」
「ええ」
「……分かった。俺、さ。卒業したらあんたに言いたいことがある」
「……それは、今は言えないことですか?」
「うん」
こっくりと頷くエルヴィン。
彼はディアナの頭上に手を伸ばして――そこに付いていたらしい桜の花びらを摘まんで、ぎこちなく微笑んだ。
「多分、あんたをすっごく驚かせると思う。でも、あんたが笑いながら俺の話を聞いてくれるように……俺、これからの一年も頑張る。あんたにずっとエルって呼んでもらえるような男に――」
「……おーっ! 桜の木の下に立つ先生って、儚げですっげぇ素敵ですねー!」
目の前にいたエルヴィンが横から飛ばされ、代わりに現れたのはリュディガー。
彼は「よっす!」と片手を挙げて、きらきらまぶしい笑顔を向けてきた。それを見て、周りにいた新一年の女子生徒がぽっと顔を赤らめたようだ。
「おはよう、先生! こうして先生と一緒にいられること、嬉しく思うぜ!」
「おはようございます、ベイル君。私も皆の授業を持てて嬉しいです」
「そうだろそうだろ? ……オレも夏には十八歳の成人になるし、ますます先生と親密な関係を築きたいなぁ、と――痛い痛い、抓るのはやめてくれるかなぁ、エル?」
「……あんたにその名前を許した覚えはない」
ディアナには見えない位置の肉を抓られたらしいリュディガーが大げさにもだえ、エルヴィンが冷めた顔でそれを見ている。
この二人の関係は、二年生になっても変わらないようだ。
「いつも仲がいいですね、あなたたちは」
「いや、これのどこが仲よしなんだ?」
「俺も同意見です。これと一緒にしないでください」
「これ扱いしないでくれるかなー、エル。……それより先生、そろそろ一緒に教室に行き――」
「……あっ! イステル先生!」
軽い足音が聞こえて、ツェツィーリエとレーネとエーリカ、ルッツがやって来た。
「おはようございます。今年度も先生と一緒に過ごせること、わたくしも嬉しく思います」
「おはようございます。私も、皆の卒業まで一緒にいられて嬉しいです」
「そうよね。あたしたち、もう一年したら卒業だものね……」
「ちょっと、エーリカ! これから新学期なのにもう卒業式について想像しているの!?」
「さ、さすがに早いような……」
口々に言う皆は、やはりいつも通りだ。
これから彼らと一緒に勉強をするのは、あの狭い部屋ではない。
だが、あの半年間で培った信頼関係はきっと、これからも続いていく。
「……そろそろ教室に行こう、先生」
大時計を見上げたエルヴィンが言ったので、ディアナは頷いた。
「ええ、行きましょう。……皆で」
(そう、私たちはこれからも一緒に、頑張っていく)
ディアナを中心にした元補講クラスの六人は賑やかに笑いながら、桜の花舞う校庭を歩いていった。
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