46 名前を呼んで
学校の内部ではいろいろな取り組みがなされているが、進級試験を終えた一年生たちは心安らげる春休みに突入していた。
この前二年生も卒業していったため、校内にいるのは自分たちだけ。そういうことでまったりとした時間が続いたある日、ディアナは生徒たちを連れて王都にある洒落たレストランに向かった。
六人の趣味はまちまちで、全員が納得するような店を提案するのは非常に困難だった。
だがディアナが頭を抱えていると、エルヴィンが「もういっそ、あんたが好きな店にすれば?」と一石を投じたことで、その後は一気に物事が進んでいった。
この店は王都の繁華街から少し外れた場所にあり、学校からだと徒歩二十分くらいで到着できる。
(子どもの頃、私の誕生日に家族で行った、思い出の店なのよね……)
そう教えると、あまり肉料理がないということで少々テンションが落ちていたリュディガーもキリッとした顔になり、「先生の思い出の店に行けるなんて、オレたちは多幸者だな」なんて言い始めたものだから、案の定ツェツィーリエに「単純頭」とからかわれていた。
そうして七人で店に入り、円形のテーブルに着くことになったのだが。
「先生は、あたしたちの真ん中ね」
「先生に色目を使う男どもは、あっちに行きなさい!」
「うふふ。先生の隣でご飯、食べたかったんです!」
「あ、あの……僕は、どこに座れば?」
「ルッツはいい人だから、先生の近くでも許してあげるわ」
「なんでおまえが仕切ってるんだよ……」
「……」
ツェツィーリエ主導で席が決まり、ディアナはレーネとエーリカの間で、正面にエルヴィンとリュディガーが並んで座ることになった。
「先生が目の前にいるのは眼福だけど、ちょっと遠いなぁー。手を握りたいのになー」
「隣にいるエルヴィンの手でも握ってなさいませ」
「いや、ねーよ。何が楽しくて男の手を揉まなきゃならねぇんだよ」
「それはこっちの台詞だ……」
席に着いたときから既に賑やかだったが、料理が運ばれてくるとますます会話が弾む。
「まあ! このエビ、とってもおいしいわ!」
「うんうん! このとろっとしたソースがぴったりねぇ!」
「ルッツ、苦手なものがあるなら食べてやるぞ」
「あ、ありがとう、エルヴィン。でもせっかくだから、いろいろ食べてみるね」
「あら、リュディガー。あなたって意外と、きれいに食べるのね?」
「そりゃあ、先生が見ているんだからマナーも気にするっての」
「いつもは見苦しいぐらいがっつく男ですのにね……」
「うっせぇな、ツェツィーリエ。おまえだって、先生の前だからってお上品にチマチマ食べてんじゃねぇか」
「い、いいでしょう! 先生の前では完璧な自分を見せたいのですから!」
「あら、そんなこと言うけど、ツェリのマナーはいつも素敵よ」
「おほほ……ありがとう、エーリカ! あなたの目は確かね!」
「いや、俺の目が腐ってるような言い方すんなよ……」
「……ふふ」
つい漏れたディアナの笑いを、六人は聞き逃さなかったようだ。
「ど、どうかしましたか、先生?」
「いいえ。……こうして皆が元気な姿を見られて、一緒に食事ができて……本当に、嬉しいなあって」
学校の食堂でもたまにフェルディナントたちと一緒に食べることはあるが、どうしてもそれぞれのスケジュールの都合で早弁になったり少ししか食べなかったりする。
そういうとき、賑やかな学生用食堂が少しうらやましい、と思っていたものだ。
ディアナはジュースをすすり、皆に笑いかけた。
「こういう機会が、今まであまりなかったから。……すごく、嬉しいのです」
「先生……」
「……あ、あのですね、先生。わたくし、ちょっと前から先生にお願いしたいと思っていたことがありまして」
そう切り出したのは、ツェツィーリエ。
彼女らの飲み物にもアルコールは入っていないはずだが、その白い頬はほんのりと赤く染まっていた。
「その……今は学校外ですし、進級記念パーティーの場ですし、いいかな、と思いまして……」
「何かありますか? 私にできることならなるべく、叶えますが」
「……その。わたくしのこと……名前で呼んでくださらない?」
ツェツィーリエはもじもじしていたが、最後の方は消え入るようになり隣の席のエーリカの肩に顔を埋めてしまった。
「……あ、それいいな。仕方ないとはいえいっつも名字呼びだから、ちょっと寂しいなぁーって思ってたんだ」
「そ、そうだね。先生は僕たちとあんまり年も変わらないし……名前で呼んでくれたら、嬉しいかも」
「普段から、というのは難しいと思うけど、私も今くらいは呼んでほしいなぁ」
「あたしも! 先生にエーリカって呼んでほしいって思ってたのよ!」
「……そうだな。今くらいは」
他の五人も乗り気になられたら、もう引けない。
(それに……私も一度、皆を名前で呼びたかった)
先生と生徒という関係が嫌なわけではない。
だが……たまにはただの「ディアナ」として、四つ年下なだけの教え子たちの近くに行きたいと思っていた。
妙に、胸がドキドキする。
もしかすると、十月に初めて補講クラスの教室に入ったとき以上に、緊張しているかもしれない。
「それじゃあ、今だけは。……ツェツィーリエさん」
「よ、呼び捨ての愛称で!」
「分かったわ、ツェリ」
「先生……!」
ツェツィーリエが顔を真っ赤にしてはにかんだ。
ディアナは生徒一人一人の名前をゆっくり、思いを込めて呼ぶ。
「エーリカ、レーネ、ルッツ」
「ふふふ」
「はいっ!」
「は、はい……!」
「リュディガー」
「あ、オレのことも愛称のリュドで」
「あら、あなたの愛称ってそういうのだったのですね。知らなかったわ」
「そりゃ、おまえたちには特に聞かれていないし。ってことで先生、オレのことはリュドでよろしく!」
ぱちっとウインクを飛ばされたので、ディアナは微笑んだ。
「ええ、リュド」
「……っくー! いいねぇ、こういうの! すっげぇクる!」
「変態……」
「変態だわ……」
「破廉恥です」
「うっせぇなおまえら」
「……エルヴィン」
最後に名前を呼ぶと、エルヴィンは少し考えた後に片手を挙げた。
「俺のことも、愛称で呼んでほしい」
「おい、おまえも秘蔵の愛称を披露するのか!」
「あんた、さっきからうるさい。……先生、俺のことはエルって呼んで」
薄茶色の目元をほんのりと赤く染めて言われたので、ディアナはゆっくり頷いた。
「ええ、エル」
「っ……ありがとう」
「あらあら、顔が真っ赤じゃないの、エル」
「照れているんだな、エル」
「あんたたちは呼ぶな……」
エルヴィンはかすれた声を上げ、隣の席のリュディガーに背中を叩かれていた。
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