42 闇に染まる者①
不快な眠りから無理矢理目覚めたからか、はっとして体を起こした直後、脳天が叩き割られたかのような激しい頭痛に見舞われた。
「いっ……!」
「大丈夫かな、イステル先生」
ズキンズキン痛む頭を抱えて唸っていると、誰かの大きな手がそっと後頭部に回った。
ふわりと漂うのは、清潔な石けんの香り。
――だが。
「……来ないでっ!」
すぐに腕を振り払い、足を縛られた状態でじりっと後退する。
そしてディアナは、膝立ち状態で自分を見つめる男――校医のフェルディナントをにらみつけた。
闇の中でディアナに語りかけてきた、あの優しい声。
信じがたかったが……あれを聞いた時点で、自分を無理矢理眠らせようとしているのはフェルディナントだと分かった。
フェルディナントはいつもの白衣でも教員用の制服でもない、黒のジャケットとスラックス姿だった。
闇に溶け込むかのようなその衣装をほの暗い部屋の中で纏っているため、彼の頭部だけが闇に浮かんでいるかのように見えて不気味だ。
ディアナに逃げられたフェルディナントは微笑み、宙ぶらりんになった手で頭を掻いた。
「困ったな、イステル先生。僕はただ、体調不良の先生を診てあげようと思っただけなのに……」
「……昨日の夕方に私に声を掛けて昏倒させたあなたが、よくそんなことを言えますね」
目が覚めて、ようやく思い出した。
昨日エルヴィンと別れた後、ディアナは職員室に行く途中の廊下でフェルディナントに会った。
彼が、「明日の試験についてちょっと相談したいことがあるんだ」と言うので、彼について行き――空き教室に入ったところで背後から襲われたのだった。
(でも、アルノルト先生は聖属性魔法しか使えないはずだけど……)
殴られたような衝撃も、何か薬物を嗅がされたような記憶もない。
とんっと後ろから軽く押されたと思ったら、眠っていた。そんな感じだった。
フェルディナントは目だけは笑ったまま、小さく首をかしげた。
「人聞きが悪いな。僕はただ、面倒事が終わるまでの間だけ先生にちょっと眠っていてもらおうと思ったんだ。目が覚めたとき、きっと君の可愛い教え子たちは試験に失敗して嘆いているだろうけれど、僕はそんな生徒たちを前にして呆然とする君を心から慰めてあげようと思ったのにね」
「そんなマッチポンプなことをされても嬉しくない!」
「まっ……?」
「とにかく、私を解放してください。早く……学校に戻らないと!」
あたりは暗いのでここがどこなのかは分からないが、少なくとも学校の敷地内ではないだろうというのは予想が付いた。かすかに壁や床板が見えるが、校内にはこんなボロボロな造りの部屋や小屋はなかった。
フェルディナントはすっと笑みを消すと、手を伸ばしてきた。もがこうとしたが、足は縛られており手にもまだ力が入らないので、へたっとするだけだった。
ひんやりとしたフェルディナントの指先が顎に触れて、思わず悲鳴を上げそうになる。
「……補講クラスの、担任。君がもっと無欲で自分のことだけに精一杯になる弱い女性だったら、僕ももっと優しくしてあげられたんだよ。それなのに無謀なことばかりしていく、君が悪い」
「……何のことですか」
「散々注意しただろう? この学校には、補講クラス撤廃についてよく思わない人がいるって。……まあ、僕のことなんだけどね」
フェルディナントの言葉に、一瞬ディアナの胸が冷えた。
だが。
(……そういう、ことだったのね……)
悲しいことに、「犯人はフェルディナント」という情報であらゆる事件の問題が解決できてしまった。
「……あなたは、補講クラスを撤廃しかねない私が邪魔で……妨害をしてきたの?」
「ああ、そうだよ。冬の試験でエルヴィン・シュナイトが遅刻するように手配したのも、新年祭で彼の偽物を仕立てたのも、校長との約束を生徒たちにばらしたのも、今回生徒たちを脅したのも……全部、僕だよ」
「脅した……!?」
「あ、そこが気になるんだね。君らしい。あの六人は、君に全幅の信頼を置いている。校長との交換条件さえばらしてしまえば、信頼が揺らぐと思ったのに……そうはならないどころか、他の教師陣まで味方に付けてしまった。でもね、子どもの心……しかもあの六人のように不安定な立場にいる人間なんて、簡単に動揺するんだよ」
フェルディナントのもう片方の手が、つうっとディアナの右腕の素肌を撫でた。右だけロンググローブが外されていることに、今気づいた。
「ルッツ・ライトマイヤーとエーリカ・ブラウアーの部屋の前に、君の私物を置いておいた。血にまみれていたから……きっと今頃、君のことが心配で心配でたまらなくなっているだろうね」
「っ……! なんてことを……!」
ルッツと、エーリカ。
補講クラスの中でも特に繊細な二人はきっと、ディアナの血まみれの私物を見て動揺して――試験どころではなくなってしまう。
この動揺が他の四人にも伝われば、さらに悪いことになる。リュディガーやエルヴィンは大丈夫かもしれないが、ツェツィーリエやレーネは体調を崩すかもしれない。
そうすれば、不合格者が一人でも出れば。
全員を二年生に上がらせるという誓い、そして――補講クラス再考が叶えられなくなる。
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