37 ディアナの危機②
(ここは、「グロスがほしいのね!」とボケ……たら、なんだか後が怖いわ……!)
嫌な予感がするのでボケて逃げるのはやめておき、ディアナは一歩後退した。すぐに、ブーツのかかとが壁に当たる。頭の中で、救急車のサイレンのような警鐘が鳴った。
「あ、あの……この距離はよくないと思います!」
「どうして? 女を口説くなら、これくらい近づいていた方がいいだろう?」
(う、うわ、言っちゃったー!)
ここまで迫られるとさすがに、言い逃れをするのも苦しい。
目の前には、ゲームの人気投票で一位を獲得した男のご尊顔が。
スチルがいちいちセクシーで見た目のわりに低い声も色っぽいため、多くのプレイヤーを恋に落とした罪深き男、リュディガー・ベイル。
それがどういうことか、四つも年上の担任教師に色気で迫ってきていた。
(迫るなら女子生徒か、来年度入学する予定のヒロインにしてよ!)
そんな心の叫びが届くはずもなく、リュディガーは自分の指に付いていたグロスをペロリと舌で拭った。
思わず「ひえっ!?」と悲鳴を上げて口を手で押さえると、それを見たリュディガーはますます笑みを深くした。
「あー、いいな、その顔。真っ赤になって、慌てて……すっげぇ可愛い」
「や、やめなさい! こういうのは……そう、よくないです!」
「なんで? 清い交際なら先生と生徒が付き合うのもアリだろ?」
(た、確かにここは日本じゃないし、ゲームでもフェルディナントルートがあるくらいだし……。いやでも私にはちょっと無理!)
慌ててリュディガーの胸元を押すが、馬術や武術でも抜群の成績を誇る青年の体はびくともしないどころか、ディアナの抵抗を面白がるようにますます身を寄せてきた。
「だめだよ、先生。本気で嫌なら、もっとちゃんと抵抗しないと」
「で、でも……」
「ほら、抵抗してみな? ……それともマジで、その唇をご褒美にくれたりするの?」
顔を近づけたリュディガーが、ディアナの耳元でささやく。
その声は甘くてつややかなのに、どこか捕食者のような危険な響きも孕んでいた。
(抵抗……)
ディアナはこくんと唾を吞むと、頷いた。
「……。……分かり、ました」
「そりゃ僥倖。じゃあ、遠慮なく……」
「……リュディガー・ベイル!」
「えっ」
「生徒指導ー!」
絶叫と共にぱっとディアナが挙げた右手から、青白い光があふれる。
さしものリュディガーもまさかディアナがこうするとは思っていなかったようで、さっと青ざめた。
「え? あの、いや、待って……それは勘弁!」
「いいえ! あなたが言いましたからね、ちゃんと抵抗しろと!」
「それはそうだけど……あ、待って、凍ってる、オレ、凍ってるからー!」
(本当になんなの、もう!)
下半身が凍り付けになったリュディガーを教室に残し、ディアナは肩を怒らせて廊下を歩いていた。
彼女が怒って教室を出るまで、「ごめんなさい! 許してくれー!」という悲鳴は聞こえていた。
だが、あれは甘えているだけだ。魔力は抑えているし、そもそも火属性の彼ならあの程度の氷なら難なく溶かせる。
むしろ下手に同情して部屋に戻れば今度こそ、捕まってしまいそうだ。
(というか、冬のグループ試験のときも冗談じゃなかったてこと……? うう、十七歳恐ろしい……!)
ご褒美に担任のキスなんかを求める男がいていいものなのか。
それとも彼は攻略対象だから、これくらいぶっ飛んでいるくらいがちょうどいいのだろうか。
一学年下のヒロインに色気で迫っていたはずだからてっきり年下好みだと思いきや、とんでもないダークホースだった。
彼には今後、いろいろな意味で注意しなければならない。職員室でも、「女性教員はリュディガー・ベイルに要注意」と警告しておくべきだろうか。
(……さすがにキスのご褒美はだめだけど……あ、そうだ。皆でパーティーでもしようかな)
これ以上リュディガーのことを考えていたら頭の中のツェツィーリエに「破廉恥です!」と言われそうなので、無理矢理方向転換する。
六人全員合格したら、皆と一緒に食事でも行ったらどうだろうか。校長などに許可を取る必要があるが、以前フェルディナントが「打ち上げ扱いなら、いいみたいだよ」と教えてくれたのできっと大丈夫だ。
侯爵令嬢のツェツィーリエなどの舌では満足できないだろうが、それなりの店には連れて行ってねぎらってやりたい。
(もし合格できなくても、皆十分頑張ったということでご褒美をあげるべきよね……あっ)
「シュナイト君?」
「……先生?」
春めいてきた校庭に生徒の姿がある、と思ったら教え子の一人だった。
春風にコートの裾をなびかせていたエルヴィンは振り返り、こちらに寄ってきた。
「ここで何かしていたのですか?」
「明日の試験に備えて、ちょっと気分転換を。……俺、雲を見るのが好きなんです」
「雲……」
頭上を見上げると、夕焼け色の空にぽんぽんと浮かぶ雲が。
「……あっ、あれ、机みたいな形をしていますね」
「そうそう、そうやって雲が何の形をしているかを考えるのが好きなんです。一種の精神統一ですね」
「……もしかしてバルコニーで昼寝をしているときも、雲を眺めたりしていましたか?」
「そうですね。ぼーっと見ているとあっという間に時間が経つので」
エルヴィンはそう言うと、隣に立つディアナの顔をちらっと見てから、視線を落とした。
「……。……明日、試験ですね」
「そうですね。……頑張ってくださいね」
「もちろん。俺、進学する気満々なので。それにあんたに、合格通知を渡したいから」
エルヴィンが笑顔で言うので、ディアナは頷いた。
「ええ、楽しみにしています」
「……。あのさ、先生。先生は……俺たちが二年生になっても、授業に来てくれるんですか?」
「え? ……そうですね。来年度のことは分からないけれど、できれば一緒に進級したいです」
現在のスートニエ魔法学校には、魔法実技の教師がディアナ以外に二人いる。一応、二人がそれぞれ一学年ずつ担当しているが授業では二人が一緒に指導していることが多い。
(でもそういえば、今一年生をメインに担当している先生はもうすぐ引退するとおっしゃっていたっけ……)
となるとそこにするっとディアナが入ることも十分考えられるが、まだ先のことは分からない。
「少なくとも、私はここに残りますよ」
「……そう、ですね。俺たち全員が合格すれば、あんたも正式採用されるんですしね」
「ええ。できればあなたたちの卒業まで付き添いたいと思っています」
「……そっか。ありがとう、先生」
「まだ分からないですけれどね」
ディアナは言い、だんだん夜の色に変わりつつある空を見上げた。
「……そろそろ中に入りましょうか。あなたも、早めに休んだ方がいいですよ」
「そうします。……明日は皆で頑張って、校長の鼻を明かしてやりますからね」
「ふふ……ええ。楽しみにしていますよ」
ディアナが笑うと、エルヴィンも頬を緩めて微笑んだ。
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