36 ディアナの危機①

 他の教師たちの助力も得ることができて、補講クラスでは順調に試験の準備が進められていた。


 あの後ディアナはエーリカともきちんと話をして、「全員の進級を望んでいる」ということを理解してもらえた。

 エーリカの方もツェツィーリエやルッツに話を聞いてもらったらしく、「頑張ります」と真っ直ぐな目で言ってくれた。


 そうして、真冬の寒さも明けて少しずつ春の陽気が見えるようになった、三月。


(いよいよ明日が、進級試験……)


 教室の窓から訓練場を見ながら、ディアナは思う。

 一度は学級崩壊の危機にも面した補講クラスだが、多くの人の助力を得てここまでやってこられた。


(もし全員合格したら、補講クラスそのものがなくなるかもしれない。そうなると、もうこの教室を使うこともなくなる……)


 そもそもこの教室は補講クラスの生徒たちの自習部屋のような扱いなので、補講クラスがなくなったらここを教室にする必要はなくなる。

 それはそれで寂しくもあるが、皆が進級できるというのが一番だ。


 普通、教師たちが試験問題を準備して採点もするが、ここにディアナは加われない。今のディアナは講師で、補講クラスの生徒たちだけの面倒を見ているという立場だからだ。


(もし私も無事に正式採用されて、魔法実技の教師になれたら……また違った立場で皆と接することになるんだろうね)


 そうなると六人だけではなくて、生徒全体に対して授業をすることになる。大人数の前で授業をするのは前世ぶりだが、やはり多くの生徒たちに教えたいところだ。


 しばらく待っていると、本日最後の授業を終えた生徒たちが教室にやって来た。


「ただいまー、先生。今日もばっちりだったわよ」

「聞いてくださいまし、先生。明日の試験に向けた最終試合で、わたくしたち全員相手に勝ちましたの!」

「よ、よかったね、ツェツィーリエさん。最後の雷魔法、すごく格好よかったよ」

「うんうん、みんなもびっくりしていたものね」

「ま、一番びっくりしていたのは当の本人のツェツィーリエみたいだがな」

「いちいちうるさいわね、リュディガー! エルヴィン、あなたもあくびなんてしていないでリュディガーをいさめなさい!」

「いや俺、関係ないし……」


 今日も六人は賑やかだ。

 ……だが、試験を前にして少し、空元気を出しているのではとも思われた。


「みなさん、半年間本当によく頑張りました。……皆の頑張りは明日の試験で評価されます」


 ディアナが話を始めると、それまでわいわいしていた六人はさっと静かになった。


 明日は一日かけて一年生の全生徒が、魔法実技、魔法理論、魔法応用、基礎教養の全ての試験を行う。

 教員も試験監督などにつきっきりになるので、二年生も明日は実家や寮で過ごすように言われているそうだ。


「明日は、皆の全力を出してください。皆が最良の結果を持ってくることを……願っています」


 全員合格できるはずです、なんて無責任なことは言えない。言ってはならない。

 だが、ディアナは今の六人なら全員合格できると信じている。


 そうして言葉を切ると、すっとエーリカが立ち上がった。


「先生。……あたしたち、頑張ります。六人全員で進級合格通知を先生に渡せるように、頑張ります!」

「ブラウアーさん……」

「だから、ですね。……みんな合格できたら……たくさん、褒めてくださいね」


 これはきっと、六人の中で一番進級が難しそうだと言われるエーリカの発言だからこそ、重みを持っているのだろう。


(……本当は、もっと励ましたい。でも――)


 できない約束は、してはならない。

 それでも。


「……ええ、もちろんです。たくさん褒めますし、ご褒美も準備します」

「え、マジ? ご褒美あるの?」


 ここで食いついてきたのは、リュディガー。

 それまでは黙ってディアナとエーリカの話を聞いていた彼はずいっと身を乗り出し、色気のある笑みを浮かべた。


「それじゃ……今度こそ、先生からとっておきのご褒美をもらっちまおうかなぁ」

「ちょっと、リュディガー! あなたまさか、破廉恥なことを考えているのでないの!?」

「おいおい、オレは『とっておきのご褒美』としか言ってないだろ? ここで破廉恥な発想をしたおまえの方が破廉恥なんじゃねぇの?」

「し、失礼なっ……!」


 ツェツィーリエは顔を真っ赤にするが、さすがにからかいすぎたからかエルヴィンがリュディガーの肩を軽く小突いた。


「あんた……試験前日に揉めてんじゃない」

「悪い悪い。でも、緊張ぴりっぴりよりはいいんじゃねぇの? なあ、ルッツ」

「……そ、そうだね。僕はそれこそ、緊張したら震えてくるから……これくらいのがいいかも」

「ちょっと、ルッツ! だからといってわたくしをダシにしないでくださる!?」

「ご、ごめんっ!」

「あらもう、ツェリったら。あんまりにも元気すぎたら、明日疲れちゃうわよ?」

「それもそうねー。だって明日、私たちは丸々一日掛けて試験なんでしょ? お腹も空くよね……」

「トンベックさんは前から言っているように、朝食の量は減らして随時補食でエネルギーを取るようにしてくださいね」

「うん、そうします」







 今日は早めに休むようにと皆に言い、生徒たちはディアナに挨拶をしてから教室を出て行った。


「あ、ちょっと待ってくれよ、先生」


 最後まで教室に残っていたリュディガーが、教室のカーテンを閉めていたディアナを呼んだ。


「どうかしましたか? 明日のことで何か不安でも?」

「いや、オレはむしろ試験が楽しみで仕方ねぇくらいだな。過去最高記録をたたき出して、先生を惚れさせてやるよ」


 リュディガーが笑いながら言うので、ディアナも笑顔を返した。


「それはそれは。ひょっとすると、あなたを追っかける女子生徒がますます増えるかもしれないですね」

「……。……あのさ、先生」


 ふいに、真剣な声が聞こえた。


 次のカーテンを閉めようとしていたディアナは振り返り――思いがけず近くまでリュディガーが迫っていたため、ひっと小さく息を吞んだ。


「び、びっくりした……何ですか?」

「……冬のグループ試験の続き。今回合格したら、とっておきのご褒美をくれよ」

「……チーズはもうありません」


 フェルディナントからもらったあの胡椒入りチーズは、とっくの昔にディアナがたいらげている。


「チーズはもういいから。それよりほしいのは……先生の、これ」


 そう言いながら伸ばされた人差し指が――ふに、とディアナの唇に触れた。


(……ん、んんん?)


「何……?」

「おっ、先生ってグロスするんだ。道理でつやつやと色っぽかったんだな」


 リュディガーは笑いながらディアナの下唇につうっと指を這わせると、自分の指先に付いたグロスのてかりをしげしげと見つめていた。


(……ええと、ええと……これは、何!?)


 さすがにこれはまずい、とディアナも分かった。

 そして、リュディガーの示す「とっておきのご褒美」の意味も。

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