32 ぬくもりのひととき
新年祭が終わると、学校全体がぴりりとした緊張に包まれる。
一年生は、三月に控える進級試験に備えなければならない。進級が怪しいとされた六人の生徒は補講クラスにいるが、それ以外の生徒でもあまりにもひどい点数だと退学の可能性があるのだ。
二年生の方は、卒業のための試験などはない。だが多くの生徒が十八歳の成人を迎えており、結婚や就職、家督を継ぐための準備などで忙しいという。
当然、学校に通うよりも実家で準備をする方がいいということで、これから卒業式までの間はほとんど学校に来ない生徒もいるという。
生徒たちが寒風吹き付ける訓練場で魔法応用の授業を受けている間、ディアナはストーブを焚いた教室で補講時間用の準備をしていた。
教卓には、これまで各科目の教師たちから受け取った成績一覧が広がっている。
(後期課程開始直後よりは、皆の成績も安定してきている。それでもまだ進級が難しそうな子もいる……)
リュディガーは魔法応用が得意で、後の教科もまんべんなく点数を取れる。補助教科の馬術や武術でも活躍しているようなので、彼に関してはこのまま問題なく進級できそうだ。
レーネも、成績が安定している。この数ヶ月間の観察により、彼女は食事にさえ気をつけていれば低血糖にならないと判明したので、試験当日の朝食の量は抑えめにして、試験の間の休み時間ごとに少しずつ菓子を食べることで体調も安定するはずだ。
エルヴィンも、サボり魔ではあったが元々の能力はそれなりにあるようだ。内容が小難しい魔法理論ではツェツィーリエに教えてもらっている光景も見られるが、当日も遅刻しなければ大丈夫だろう。
ルッツも成績は問題なくて、「不安になったら逃げてもいい」と言ってからは気持ちもかなり落ち着いていた。
それでもまだたまに混乱してぷるぷる震えてしまうことがあるので、彼は勉強を詰め込みすぎるのではなくて睡眠時間や食事をしっかり取っておくようにとアドバイスしている。
ツェツィーリエは、相変わらず魔法実技で不安がある。
冬のグループ試験を通して、「焦れば失敗する」ということを深く意識するようになったようだが、彼女もまた試験当日に落ち着くことが一番大切だろう。
そして、エーリカ。
(赤点連発……まではいかないけれど、ムラがあるのよね)
この学校での赤点は、平均点の三分の一だ。しかも名称も、「落第点」となかなかきつい。
以前エーリカは魔法理論と基礎教養においてこの落第点の常連だったが、冬になってからは落第点をほとんど取らなくなった。各教師に、「ブラウアーさんよりも点数の悪い生徒はいます」と言われるくらいだ。
それでも彼女は「自分は落ちこぼれだ」と無意識のうちに思っており、緊張すればするほど間違いが多くなる。
実際、全く同じ問題でも補講時間中に仲間と一緒に解くのと六十人越えの同級生のいるクラスで解くのでは、かなりの点数差が生まれていた。
(さすがに、別室対応はできないし。……プレッシャーに関しては、とにかく落ち着いて真剣に挑むことしかないのよね……)
特にエーリカの成績について悩んでいると、教室のドアがノックされた。すぐに成績表をしまって「どうぞ」と言うと、寒そうに身を震わせたエルヴィンが入ってきた。
「さ、さむ……凍えそう……」
「おかえりなさい。さあ、ストーブのところに行って。ブランケットも持ってきますね」
「すみません……」
鼻の先まで真っ赤になったエルヴィンは、まるで小さな子どものようだ。
この後他の生徒たちも来るだろうからとディアナがブランケットを多めに持って教室に戻ると、ストーブの前でエルヴィンが丸くなっていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。……はぁ、生き返る」
「外は寒いですね。今日は雪は降っていないようですが、余計に冷え込んでいるような気もします」
今は、二月の初め。
日本と同じくこの国も二月が最も寒くて、体調を崩して医務室に来る生徒も多いのだとフェルディナントが言っていた。
「今日の授業は、どうでしたか?」
「俺、今ほどリュディガーの魔法がありがたいと思ったことはありません。あいつと試合したんですが、ずっと温かかったんです」
「あはは……確かに、剣で打ち合うなら火属性の相手だと嬉しいですね」
逆に、氷属性のレーネは「凍えさせてやります!」とノリノリで冬の授業を行っている。
魔法属性の影響なのか、火属性は夏の暑さに強くて氷属性は冬の寒さに強いという体質的特徴がある。ディアナも、この時季は確かに寒いとは思うがツェツィーリエやエーリカほど着ぶくれしなくても平気だった。
「……あっ、もしかしたら氷属性の私がいると、寒くなってしまうかもしれませんね」
「そんなわけないだろ。あんたが氷の魔法が使えるってだけで、あんたの体温は普通でしょう」
「どうでしょうかね……まあとにかく、私がいてもストーブのぬくもりが減りますし、皆が戻るまでは独り占めを――」
「待って」
ブランケットを置いて立ち上がろうとしたら、腕を掴まれた。
ディアナの右腕を掴んだエルヴィンは、なぜかとても驚いた顔をしていた。
いきなり腕を掴んできたのはそちらなのに、自分の行動に驚いているかのような……そんな表情だ。
「……どうかしましたか?」
「……。……もっと、ここにいればいい」
エルヴィンは目線を逸らしてつぶやくと、くいっとディアナの腕を引っ張った。
「あんた、腕も細いし体も小さい。いつも俺たちのためにあれこれやってくれているけど……あんただって、若い女だし。女性は、冷えたら体によくないって聞いてます」
「そ、そうね。でも、私はずっとこの暖かい部屋にいたのだから……」
「……俺が」
「えっ?」
エルヴィンはそれまでは視線を逸らしていたが、今は薄茶色の目がじっとディアナを見ていた。
彼の頬と耳元はほんのりと赤く、きゅっと唇を引き結んで何かを訴えかけるかのようにディアナの目を見つめている。
「シュナイト君……?」
「お、俺が、先生に隣に座っ――」
「っあー、寒い寒い! おいエルヴィン、おまえさっさと帰りがやって――」
バン、とドアが開き、リュディガーの声がする。
振り向くと、ドアのところに立ったリュディガーが目を丸くしてディアナたちの方を見ていた。彼の背後にツェツィーリエたちの姿も見えるので、皆も遅れて帰ってきたようだ。
「みんな、おかえりなさい。……ほら、ストーブ前が温かいですよ。ブランケットも出しています」
「わあ、ありがとう、先生!」
「部屋、温かーい!」
「ううう……凍えて死ぬかと思った……」
「全く、そんなのではやっていけませんよ、ルッツ」
生徒たちがぞろぞろと入ってきたので、一気に部屋の気温も下がった。急いで皆に場所を譲ってストーブの火力も強め、ディアナは教卓に戻った。
ストーブ前では、生徒たちが身を寄せ合っている。どうやらストーブの熱風がよく当たる場所と当たりにくい場所があるようで、「エルヴィンは一足先にぬくもっていたでしょう! わたくしたちに譲りなさい!」「そうだよ、譲ってよ」「まだ寒い」「私たちの方が寒いんだけど!」といつものような賑やかな声が聞こえてくる。
(授業は、皆が温もってからでいいかな)
ディアナは微笑みながらも――先ほどエルヴィンが見せてきた真剣な眼差しが不思議と、頭の中にずっと残っているのが気になっていた。
皆の体が暖まった後の補講時間で、進級試験の準備をする。
案の定エーリカが座学系で苦戦しているようなので、ルッツやツェツィーリエたちが彼女の机を囲んで説明している。
そこにディアナも加わり、わいわい賑やかに教え合っていた。
「……なあ、エルヴィン」
エルヴィンはそんな担任と同級生たちの様子をぼんやりと見ていたのだが、右側からリュディガーに突かれた。
嫌々そちらを見ると、既に自分の分の課題を終えたリュディガーが妙に真剣な顔でこちらを見ていた。
「おまえさ、さっき先生と二人っきりだっただろ」
「……そうだけど、だから何?」
小声で聞いてきたので自分も声量を抑えて言い返すと、リュディガーは面白くなさそうに顔をゆがめてペン先でエルヴィンの頭をつんと刺した。
「おい、いってぇな……!」
「あはは、今の顔、先生の前じゃ絶対に見せないだろ?」
「……あんたこそ、先生の前では頼りになる兄貴分でいたいんだろう?」
エルヴィンが言い返すと、リュディガーは薄い笑みを浮かべた。
「そうだけど? 男なんだから、レディには格好いいところを見せたいに決まってんじゃん?」
「……」
「ま、おまえが抜け駆けしようものならオレも作戦を変えるだけだし?」
お気楽そうなリュディガーの言葉にエルヴィンはさっとそちらを見やるが、銀髪の同級生は余裕の笑みを浮かべていた。
「おまえ、相手に嫌われるくらいならこのままでいいや、ってタイプだろ? オレは違うんだよね。そっけなくされたら追いかけたくなるし、余裕な態度を取られたらその仮面を剥ぎ取りたくなる」
「……変態」
「言ってろ、ムッツリ」
「オープンな変態になるくらいなら、俺はムッツリでいい」
「いちいちうるせぇなこの純粋野郎」
男子生徒たちのやり取りは、エーリカの周りに集まる生徒たちの賑やかな声にかき消されていった。
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