27 色男の思惑

 部屋に戻って休むというエルヴィンと別れたディアナは、一階奥にある食堂に向かった。


(ライトマイヤー君や女の子たちは皆、ご飯も食べずに眠ってしまったものね。目が覚めたときにすぐに摘まめるものでも準備しておこう……あれっ?)


「ベイル君……?」

「よっす、先生。エルヴィンとの話は終わったのか?」


 食堂には明かりが灯っており、ドアを開けると椅子にだらしなく座って保存用のパンをかじるリュディガーの姿があった。


「……あ、そっか。そういえば食堂に行くと言っていましたね」

「おいおい、忘れていたのかよ。もしかしてこの色男に会いに来てくれたのかなー、って思ったのによ」

「いいえ、先に眠った子たちの軽食でも準備しようと思ったのです」

「そうかい」


 リュディガーは微笑むと、「オレも手伝うよ」と言ってくれたが、彼には座って食事をしてもらうことにした。


(パンと、ミルクと……あ、そういえば甘いチーズもあったわね)


 あらかじめフェルディナントにものの場所は教わっていたので、食料庫にあるものはだいたい分かっている。


 目当てのものを抱えて食堂に戻ると、リュディガーが棚の前にしゃがみ込みワインのボトルを出していた。


「こら。十七歳はまだお酒を飲んではいけないでしょう」

「分かってる分かってる。オレの目当ては……あ、やっぱりあった」


 リュディガーが棚の奥に手を突っ込んで取り出したのは、熟成ブドウジュースの瓶だった。持っているワインは、奥にあるジュースを探すために一時的に出していただけのようだ。


 椅子に戻ったリュディガーは片手で器用に蓋を開け、手酌で中身をグラスに注いだ。


「注ぎましょうか?」

「おっ、いいね。麗しの先生に酌をしてもらえるなんて、オレは幸せ者だよ」

「はいはい」


 ボトルを受け取ってジュースを注ぎ、ディアナは食料庫から持ってきたものをバスケットに詰め始める。


「……あ、そうだ。今日のオレ、大活躍だったよな?」


 背後からどこか楽しそうにリュディガーに言われたので、バスケットに手拭きも入れていたディアナはくすっと笑う。


「ええ、その通りでしたよ。あなたが皆を指揮して鼓舞して盾になってくれたから……皆、こうして戻ってこられました。……あっ、そうだ。シュナイト君が回復魔法を使いましたが、怪我はあの後なんともないですか?」

「ちょっと血が減った気がするけど、先生が来るまでの間に肉食ったから平気。傷も塞がっているし……聖属性って便利だよな」

「そうですね。まさか、シュナイト君が二属性持ちだとは思っていませんでしたが……」

「まあ、二属性持ちは珍しがられるから、あえて公表しない人もいるみたいだし。……エルヴィンもこれから、要求されることが増えるかもしれないな」

「ふふ、そうですね。でも、もう彼は逃げないと思いますよ」


 先ほどあれだけ真っ直ぐな目を向けてくれたのだ。

 聖属性を鍛えることについても、面倒になることを承知で……仲間のために頑張ってくれた。


 ほんのりと温かい気持ちになりながらバスケットの蓋を閉めていると、ふとリュディガーの声に真剣な色が混じった。


「……それでさ、先生。今日、あれだけ頑張ったオレに何か、ご褒美でもくれねぇかな?」

「ご褒美? ……金品はだめですよ」

「んなの分かってるっての。もっとお手軽なものがほしいなぁーって思ってるんだけど」

「うん?」


 振り返った先にいる言うリュディガーの目元は笑っているが、瞳は真剣だ。


(お手軽な、ご褒美……)


 そう言われて真っ先に思いついたのは、前世の小学校で子どもたちが作っていた折り紙のメダル。

 真ん中に金ぴかの「がんばりました」シールを貼られたそれをリュディガーが胸に飾っている姿を想像して、すぐに却下する。


(金品ではなくて、メダルでもなくて……賞状とか? でもそんなのを十七歳の子がもらってもねぇ……)


 ディアナが難しい顔で考え込んでいるからか、リュディガーは笑みを深くすると節くれ立った人差し指で自分の唇をとんとんと叩いた。


「オレが先生からほしいもののヒントは、これ」


(唇……?)


 ディアナは、意味深な笑みを浮かべるリュディガーの薄い唇を見つめる。


(少女漫画とかなら、「ご褒美はキスで」とかってあるけど……うん、ないわね)


 そんなことをすれば前世なら懲戒免職一直線だ。この世界の学校にも懲戒免職があるかは分からないが、前世の感覚を抱えた今のディアナはちょっと遠慮したい案件だ。


(唇、唇……あ、そうだ! そういえば、アルノルト先生が……)


「分かりました」

「えっ、分かっちゃったのか?」

「ええ。……ちょっと待ってくださいね」


 すぐに食料庫に行き、目当てのものを探して食堂に戻る。

 そして持ってきたものの包みをほどくと、中身を一つ摘まんでリュディガーの唇にぐいっと押しつけた。


「これ、アルノルト先生が内緒でくれた高級チーズです。中に粒胡椒が入っていて、かなり高価らしいのですよ。私への差し入れとのことだそうですが一番の功労者はベイル君ですし、味見を――」

「……んくっ」

「えっ?」

「ん、なんでもない。もらうよ」


 いきなり笑い出したのでどうしたのかと思ったが、リュディガーはわざわざディアナの手首を掴んでから指先に摘まんだチーズをくわえた。

 チーズ一つ食べるのにもいちいち色っぽい仕草をする男である。


「あ、これうめぇ。さっすが貴族出身のアルノルト先生、いいもん持ってんだな」

「おいしいですか? じゃあ私も」


 リュディガーに手首を離してもらい、ころんとしたチーズを一つ口に放り込む。


(ん、んんー! 確かにこれは、おいしい! ブラックペッパーチーズなんて、転生してからは食べたことがなかった……!)


 前世でまだ元気だった頃、高校時代の友人と一緒に居酒屋でチューハイを飲みながら摘まんだチーズもこんな味だった。


 これはまた、自室でこっそり食べたい味だ。

 ディアナがこそこそとチーズの袋を食料庫に戻すと、リュディガーがくすくすと笑っていた。


「……まさか、あーんしてもらえるなんてなぁ。オレが一番ほしかったものじゃないけど、まあこれもいいかな」

「あら、違いましたか? でもまさかキスとかではあるまいし、他に何があるんですか?」


 ――言いながらディアナは彼に背を向けてミルクをピッチャーに移していたので、このときのリュディガーがどんな表情をしていたのか、知らなかった。


 だが彼はからっと笑い、席を立ったようだ。


「はは、内緒内緒。……じゃ、また大活躍したときの楽しみにしておくぜ」

「了解です。でもそのときはヒントだけじゃなくてちゃんとほしいものを言ってくれないと、私もまた間違えてしまいますからね」

「分かってるって。……じゃ、そろそろ寝るわ。先生も、ゆっくり休めよ」

「ええ、おやすみなさい」


 振り返ると、リュディガーがひらひら手を振りながら食堂を出て行っていた。彼はクラスの誰よりも体力があるようだが、そんなリュディガーでも今日の戦闘は堪えただろう。


(皆、ゆっくりおやすみ)


 明日からまた、元気に活動するために。









 食堂を出たリュディガーは人気のない廊下を歩いた後、二階にある自分用の寝室に向かった。どうやら隣室をあてがわれたエルヴィンももう寝ているようで、二階ではことりとも音がしない。


 服をざっと脱いでベッドに寝転がり、リュディガーはふっと笑った。


「……なぁんだ。分かってたんじゃねぇか、先生」


 イステル男爵の娘――下級貴族のお嬢様ということだから色恋のあれこれに疎いのかと思いきや、リュディガーのヒントを正しく理解した上で突っぱねてきた。

 リュディガーの求めるものに気づいた上であえて、チーズを押しつけてきた。


「先生……むちゃくちゃ面白いよ」


 生徒たちの前では笑顔でいることが多く、つい目を奪われてしまう。

 それでいで、ときには二十一歳よりももっと成熟した女性のような慈愛に満ちた微笑みを皆に注ぐこともあり、無性に胸の中がかき乱されてしまう。


 そういう普段のディアナを見ていると、困った顔を見たいとか、泣かせてみたいとか、顔を真っ赤にさせてみたいとか……そんなことを考えてしまう。

 だが、簡単には動揺してくれないのがディアナ・イステルという女性だった。


「敵は、手強ければ手強いほど面白い……だよな」


 くくっと笑い、リュディガーは毛布に潜り込んだ。

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