13 それぞれの悩み②

 ディアナがお茶を淹れると、エルヴィンは「いただきます」と断ってから上品な仕草で茶をすすった。


(そういえば彼って、伯爵家の甥なのよね。それなら、作法がきれいなのも納得ね)


 ディアナも自分の茶を注いで飲んでいると、エルヴィンが切り出した。


「わざわざリュディガーを使ってでも俺を呼んだのは、なぜですか?」

「お喋りのため、ですかね」

「はあ。……俺から話すことは何もありません。初日に言ったと思いますが、俺は最初から進級する気がないんで」

「でも自主退学ではなくて、進級試験不合格による強制退学を望んでいるのですよね?」

「ああ、それは、自主退学だと叔父上に無理矢理戻されるのが目に見えているからですよ」


 思いのほかエルヴィンは饒舌で、皿に盛っていた菓子も摘まんだ。


「俺の母方の叔父であるハイゼンベルク伯爵には、息子がいます。俺の一つ年下の従弟ですね。当然、伯爵家の跡取りはその従弟なんですが……どうにも叔父は、息子より甥の俺の方を気に入っているようで、過度の期待をしてくるんです」

「……そういうこともあるのですかね」

「なんか、従弟より俺の方が能力が高いらしくて、俺の方が跡取りとして優秀なんじゃないかとか言い出してるんです。本当に迷惑です」


 そう言うエルヴィンは、遠い目をしている。


(確かにそれは迷惑だし、それに……)


「……従弟の方もきっと、不安に思いますよね」

「はは。あんた、わざわざ柔らかい表現をしてくれてるんですね、どうも。……従弟は不安に思うどころか、俺のことをむちゃくちゃ憎んでますよ」


(やっぱり……)


 そんなことだろうとは思っていたが、エルヴィンが苦労するのも納得だ。


 エルヴィンは苦笑して、細くて長い指で紅茶のカップの縁を突いた。


「昔は結構仲がよかったし、俺も従弟のことは今でも嫌いじゃないんです。でも、従弟の怒りももっともです。そして、あいつが来年にここに入学するとなると、あいつにとっての目の上のたんこぶな俺はさっさと消えるべきなんですよ。自主退学ではなくて学校から退学処分を言い渡されたのなら、叔父にもどうしようもない。晴れて俺は自由の身、ってことです」

「……だから、授業に来ないのですね」

「そう。……ああ、勘違いしないでくださいよ。こういう事情があるから俺は行かないんであって、あんたとかクラスのやつらが嫌いってわけじゃないんです。むしろ、俺みたいなやる気なしがいるだけでクラスの負担になるだけだから、行かない方がいいだろうって思って」

「私はそうは思いませんよ」

「そうは思わないとしたら、それはあんたが担任だからですよ。……それに」


 そこでふとエルヴィンは右手を挙げた。彼の長い人差し指が立てられ、そこからふわりと爽やかな風があふれる。彼の魔法が発動したようだ。


(シュナイト君の魔法属性は、風――)


 若草のような香りを孕む風が吹き、二人とティーテーブルを優しく包み込んだ。これまでほぼ全欠の彼だが実力は十分であることがよく分かる、見事な風の魔法だった。


「……これで、音漏れはしないはず。あのさ、先生。あんた、校長たちから言われているんですよね?」

「……え?」


 爽やかな風の魔法にうっとりとしていたディアナは、目の覚めた気持ちでエルヴィンを凝視した。


 エルヴィンはいつもは眠そうに半分まぶたが閉じている目を、真っ直ぐディアナに向けていた。

 薄茶色の目が、真意を問おうとしているかのようにディアナを射貫く。


「一年補講クラス六人のうち、三人以上を進級させられたら正式採用してもらえる。……そうですよね?」

「……」

「沈黙を肯定と受け取ります。……なんというか、あの校長の考えそうなことではありますね。二年前に父親の跡を継いだあの校長になってからは、補講クラスの担任は新任がするようになったって噂もありますし。……ああ、だからって皆に広めたりはしませんよ。こんなの皆が知っても、面倒なことになるだけですし」


 エルヴィンは、妙にすっきりしたような口調で言っている。


(この言い方からして、鎌を掛けようとしているんじゃなくて、本当に事実を知っている……?)


 ぞくっとした肌をさすりながら、ディアナは静かに問う。


「……誰から聞いたのですか?」

「校長と副校長の話の立ち聞き。あんたに昼寝場所を見つけられてから、俺、いろんなところをうろうろしていたんですよ。一度校長室の近くで寝ていたら、会話が聞こえてきて。……校長は『まあ無理だろうな』って笑ってましたけど」


 本人たちの会話を聞いたのなら、ディアナからは文句を言えない。エルヴィンだって、好きで聞いたわけではないだろう。


「……私を軽蔑する?」

「なんで? あんたは命令を受けた側だし、こうして茶会の場をもうけて俺たちの話を聞こうとしています。そういう努力をしているんだから、俺はあんたを軽蔑するつもりはないですよ。まあ、ただ――」


 残っていた紅茶を飲み干し、エルヴィンは少しけだるげに微笑んだ。


「俺の事情も分かってくれたでしょうし、俺が進級することはないんです。だから、もうこれ以上俺のことは気にしないでください」

「……」

「六人中三人よりも、五人中三人の方が命中率が高い。……俺のことは最初から捨てた方が、あんたのためにもリュディガーたちのためにもなるんです」

「でも、そんな……最初から捨てるようなことはできないわ」


 思わず丁寧語を忘れてしまったが、エルヴィンは穏やかな表情のまま首を横に振った。


「あんたって、優しいんですね。でも、優しいだけじゃなくて甘いところもある。あんた、非情になりきれないんでしょう? 効率非効率よりも、情を優先させてしまうんでしょうね」

「……自覚はあるわ」

「ですよね。……でも、このままだと共倒れになりかねない。手広くやりすぎたら、六人中三人どころか、一人も通らないことになるかもしれない。……だから、これは俺からのお願いでもあるんです」

「……。……もし、でいいから、少しでも興味が湧いたら授業を見に来てほしいわ」


 悩んだ末に告げると、エルヴィンは目を丸くした後に、ふっと笑った。


「……本当にあんた、甘いな」

「ええ、本当に。……でも、これだけは言わせて。あなたも含めた六人全員が、私の教え子だと思っているわ」

「……。分かりましたよ」


 エルヴィンは短く言うと席を立ち、「ご馳走になりました」と告げてきびすを返した。

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