※本作に常識人などいません

 疲労を抱えた状態での常識人ユウキとの試合は、中々に白熱した試合展開となった。

 優勢なのは、この疲労困憊な状態でも俺。しかし、一瞬でも手を緩めればどうなるかわからない。それくらい、油断も隙もない試合状況だった。


 ここまで追い詰められている理由は言うまでもなかった。

 さっき、結衣に煽られ事前にグロッキーになるくらいの練習をしたが、あれが今ボディブローのように体に効いてきていた。


 しかし、それでもまだ体は動く。


 女子部門の中学時代の全国チャンピオンであるユウキは、早々に俺との力関係を察して俺の残り少ない体力を削る戦法に出てきていた。

 そんな相手に俺が仕掛けたのは、早々にウィナーを奪うセットプレイの数々だった。


 最初は、手堅くお馴染みのセットプレイを。

 それが慣れられた頃から、俺は新たに取得を目論む覚えたてのセットプレイを使い出した。

 覚えたてのセットプレイを試合で使う。なるほど。これは確かに……より実践形式での練習になるから、リスクなくセットプレイの利点を確認でき、そしてセットプレイにおける相手の動きを確認できる。

 相手も女子内で相当の手練れだし、一球一球が手を抜けない相手。


 結衣がいきなり練習試合を行うように指示した意味を、なんとなく身に沁みさせられ始めていた。


 この練習試合の後のテニスコート予約時間は、練習試合の反省とセットプレイの反省。そしてフィードバックを行えばより効果的にセットプレイを取得することが出来るだろう。


 ……わかっていたつもりだった。


 でもそれ以上だった。


 なんと優秀な指導役だろうか、俺の幼馴染は。


「ゲームセットアンドマッチ。アキラ6-3」


 結衣の宣告が響いた。


「くー、やっぱり男子のトップ層は凄いなあ」


 悔しそうにユウキが言った。

 ネットの手前に歩み寄り、俺はユウキと握手を交わした。息は荒い。変態だからではない。しんどいから。


「ありがとう、セットプレイの良い練習になった」


「いいえ、こっちこそ。自分より熟達した相手と戦う時の予行演習になりました」


 なるほど。

 恐らくそれを言い分にして、結衣は今回の練習にユウキを誘ったのだろう。


 自分、ひいては俺以外にも……付き合うユウキにも利益があるように、練習のセッティングをする。俺には出来ない芸当だ。


 本当、抜け目ない幼馴染だ。


 息が切れて苦しいからか、珍しく俺は結衣の手腕を手放しに褒めたい気持ちだった。


「はい、じゃあコート五周の後 セットプレイの練習を始めようか」


 前言撤回。

 少しは休ませろよ。


「足が痙攣寸前でも勝てるようなプランを作らないと。この前の都大会みたいにグロッキーになって負けました、だなんて悔しいでしょ」


 お見通しだった結衣に、なんだか凄いことを言われた。


 ただしばらく唸った後、確かにと思ってしまうのだから俺も馬鹿な奴だ。


 息が切れて、走るのは辛かった。

 しかし走っている内にその苦しさも飛んでいくのだから、人体とは不思議である。


 そうして限界を超えてからのセットプレイ練習。

 

 グロッキーのその先へ進んだ頃に、ようやくコートの予約時間が終わった。コート整備をまだまだ元気な女子二人に任せて、俺はベンチに腰を下ろしゼーハー言っていた。


「終わったよ」


 そう俺に呼びかけてくれたのは、結衣だった。


「すまんなあ」


「何を言うかと思えば。これくらいでテニスウェアが手に入るなら安いものよ」


「……そのブレなさ、謝る気も失せるな」


「エヘヘ」


 だらしない顔で微笑む結衣。そのだらしない顔は、既に今俺が着ているテニスウェアをもらった後のことを考えている……もとい、妄想しているように見えた。


 ほんっとうにブレないな、こいつ。


「あの、こっちも終わりました」


 ひょこっと、ユウキは顔を覗かせた。


「ああ、ありがとう。君も辛かっただろうに」


「いいえ、有意義な練習をさせてもらったお礼です」


 地母神のように微笑むユウキに、俺の涙腺は再び緩みかけるのだった。


 だって、考えてみろよ。


 かの結衣は、テニスウェア目的でこの練習に付き合ってくれたんだぜ?

 それに比べて……ユウキって子は。


 ……ううっ、なんて良い子なんだろう。


「はいはい。涙腺押さえて。早くコートから撤収してその着ている物を頂戴」


 ブレない女。


 ……今更思ったけどさあ。


「何よ?」


 呆れて目を細めていると、結衣は可愛らしく小首を傾げた。


「お前、ユウキさんにオープンにしていいの?」


「何を?」


「性癖」


 合点がいったように、結衣は唸った。


 結衣のその性癖。所謂クンカーを知っている人は数少ないはず。それはテニス部のストーカーでさえ知らない情報。ストーカーでさえ掴めてない情報なのだ。

 そんな情報を、俺の家族ならまだしも、赤の他人に知られている。更には知られている上で恥ずかしげもない態度を示せるこいつが、少し不思議だった。


「大丈夫。モーマンタイ」


「なんで」


「色々あるのよ」


「お前は色々ありすぎるんだよな」


 そんな文句を挟みつつ、俺達はコートを後にした。

 一度、予約などをするカウンターのある施設内に立ち寄り、トイレを借りて着替えをしようという話になったのは、かの変態がもう辛抱たまらないからというのが一番の理由だった。


 男子トイレに入る手前まで二人の女子に見送られる、というのは端から見ても相当不思議な光景だったと思う。


 そんな一幕を経て、着替えを終わってトイレ、そして施設を後にした。


「さあてアキラ君。じゃあ今日の上納金を払ってもらおうか」


 悪徳業者のように嫌味っぽく結衣が言った。施設を出て、人気の少ない駐車場でのことだった。


 隣にはユウキ。

 やはり、ユウキの前でこの女はその性癖を隠す素振りは一切見せなかった。教育に悪いからやめた方が良いと思うよ?


「はいはい。わかったよ」


 一先ず、事前の練習で着ていたテニスウェアをラケットバッグから取り出し、結衣に手渡した。


「きゃー!!」


 歓喜の声。そして、歓喜の舞。


 そんな光景に呆れるあまり頭を抱えることをしなくなって、どれくらい日数が経とうか。

 考えるのも嫌になる。


「もう一着あるんだけど」


 言いながら、それだと俺もテニスウェアを渡すことを望んでいるように見えることに気付いた。それが、とても不快だった。


 結衣は、歓喜のあまり俺の声に気付きやしなかった。


 そんな結衣に呆れつつ、一先ずラケットバッグからコート練習中に着ていたテニスウェアを取り出した。


「……あっ」


 一瞬だらしない声を出したのは、ユウキだった。


「……ごめんな?」


 不快な気持ちにさせたに違いない。思わず、謝っていた。


「いえ……えと、その」


 どもるユウキ。

 そんなユウキが可哀そうで、そしてこの異常空間から早く解放されたくて、俺は結衣の方を見やった。


「おい」


「くんかくんか」


「おーい」


「スーハー」


「おいってば!」


「何よもうっ。今忙しいの!!!」


 怒られた。

 これほど理不尽な状況、俺は知らない。


「……ん」


 呆れるのも疲れて、俺はさっさとブツを渡してしまおうと手を伸ばした。




 ……しかし。




「え?」




 不思議そうな結衣。


 え? はこっちの台詞なんだけど。

 これだと俺がお前に望んで使用済みテニスウェアを渡しているみたいじゃないか。勘弁してくれ。いや、マジで……。


「早く受け取れよ」


「駄目よ」


「はああ?」


 上納金増やせって言ったのは、お前だろ?

 意味がわからない。


 そう思っていると、結衣は隣を指さした。




 そこにいたのは、ユウキだった。




「それは、ユウキの分」




 呆れ顔が、スーッと能面のような無表情になった。




 ……嘘、だよな?

 だって、君は……。


 君は、この作品でも数少ない……数少ない常識人じゃないか!


 そんなの……そんなのって……。




 顔を真っ赤に染めて俯くユウキを、俺は絶望感を滲ませる瞳で見ていた。




 ユウキは。




「……言わないでって言ったじゃん、結衣ちゃん」




 情けない声で、半べそを掻いていた。






 が、受け取る物は受け取ろうと、俺の手からテニスウェアを奪った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る