実力者

 数打のウォーミングアップがてらのラリーの後、まもなく俺とユウキは結衣の指示を待った。一応、今日のコーチ役はあの変態。その変態が、俺達にどんな練習を課すのか。それを見守っていた。


「じゃあ、まずは試合形式で練習をしましょう」


 ベンチにノートを持って座る結衣が言った。


「1セットマッチね」

 

 一切の迷いのない言い振りに、最初からそうすると決めていたように思えた。


 ……自分は球技、ろくに出来ない癖に。


「そこっ」


 ビシッと結衣に指さされた。


「あんたの考えは手に取るようにわかるのよ?」


「なんだ、その挑発」


 俺は呆れた。


「どうせ……あいつ自分は球技出来ない癖に。それでいて人のテニスウェア嗅ぐためだけに俺をイジメたいだけの癖に、随分と生意気なこと言うじゃねえか。今度夜這いかけたろか!? とかそんなことでしょ?」


「そこまで思ってねえよ!」


 こいつ、俺を性犯罪者か何かだと思っているの?

 はっきり言うけど、それお前のことだぞ? 人のテニスウェア無断で借りてた癖に……。


 文句もそこそこに、俺は気付いた。


 恐る恐る覗いたのは、ユウキの反応だった。

 ユウキは、ただ苦笑していた。




 ……なんて。




 なんて、寛容的なんだ。


 また俺は涙を流しそうになった。


「ちょっとそこー。そろそろ泣き癖直せー?」


「わかってらい」


 目尻を拭って、俺はネット前へと歩いた。

 先攻後攻を決めて、最初のサーブ権はユウキとなった。


「1セットマッチ。三原トゥサーブ」


 いつの間にか審判台に昇っていた結衣が宣告した。


 ユウキがサーブトスをする最中……俺は思った。


 テニスコートの予約時間前の練習で、随分と体に疲労が蓄積させられたな、と。

 結衣から指示された上納金増加による影響か、はたまた夏へ向かっての気温上昇による影響か。


 その練習終わりにテニスウェアを交換していた。


 そのテニスウェアの湿り具合は、相当なものだった。つまりそれだけ、俺も運動した、というわけだ。


 あれだけの疲労を後に、それからまもなくのこの試合。


 第三者から見て、試合の優劣はどちらが上か。




 ……恐らく、誰もが思う。




 この試合で有利なのは、俺だろう、と。




 腐っても俺は全国区。

 相手は、女の子。


 テニスという世界において、男女の差、というのは歴然としたものがある。

 万全であれば俺が勝つのが至極当然。だからこそ結衣も、その歴然とした差を埋めるためにあれだけ辛い基礎練習を強いた。……もしかしたらそれ以外の意図もあったかもしれないが。


 しかしそれを行ってもまだ、俺は彼女に負けるだなんて微塵にも思っていなかった。


 テニス界において、今の男女の実力差はそれほどまでにはっきりとしているからだ。




 ……しかし。


 


「15-0」



 ユウキから放たれたサーブに微動だに出来なかった時、そんな甘い考えが脳裏から消え失せた。


 ……男子の、関東大会上位クラスはあろうサーブに、俺は目を白黒とさせていた。


 アドサイドでサーブを構えるユウキに。


「ステイ!」


 俺は声を荒げていた。


「君……何者だ」


 そして、今更そんな疑問を投げかけた。


「あの子、去年まで中学の全日本ジュニアで三連覇を成し遂げてるのよ」


「三連覇っ!?」


 結衣が教えてくれた、恐るべきユウキの偉業。


 全日本ジュニアとは、クラブチームに登録している子が出れる大会だ。部活出身の子が総体に出るのに対して、総体に出れない代わりにあるのがその大会。

 中学時代、俺も出ていたその大会。一、二年時、俺の成績は全国準優勝だった。


 ちなみに優勝はあの……憎き男だ。


 俺達の中学時代は、塩田君が三連覇を果たした。

 そして、女子の部では……この子が。全然知らなかった。


 ……全然?

 言われてみると、会場とかで彼女らしき人を見たことがあるようなないような。


「そ、そんなに見つめられると……恥ずかしいです」


 頬を染めるユウキに、


「あ、ごめん」


 俺は謝罪した。


 テニス界において、男女の実力差は歴然。しかし、女子トップ層の選手との練習試合。


 この疲労具合で、勝てるのだろうか……?


 一抹の不安が、俺を過った。




 ……そして。




「お前、そんな子とどうやって知り合ったの?」


 そんな凄い子と、こいつは……結衣は、一体どうやって友人になったと言うのか。


 謎の人脈に目を細めていると、


「この子、あんたと試合したがってたのよ」


 結衣が、なんとも形容しがたい顔で言った。


「……俺と?」


 首を傾げて、すぐに気付いた。


 言われてみれば俺は、確かに同年代のテニス選手の中では有名人だった。


 そんな俺と試合をしたかった。

 つまり、俺に憧れていた……ってことか?




「ううっ」


「まーた泣いてる」


 だって……嬉しかったから。

 いつも手厳しい人ばかりが傍にいるから、憧れだとか優しさだとか……身に染みる。


「ありがとう、ユウキさん」


「……え、あ、はい」


 気付けばお礼を言ってユウキを困らせていた。

 そんな感涙物の場面を挟みつつ、試合は進んでいった。

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