味を占めた女の恋人疑惑

 都大会個人戦の最終日。

 準々決勝、準決勝、決勝と難敵相手に勝ち抜いた。たくさんの汗を掻き、そして結衣への感謝の念を込めて、俺はあいつに二着のテニスウェアを送った。

 あのテニスウェアを渡した日の晩、あいつは恍惚としながら凄かった、とか言っていたが……あんな口車に乗せるくらいに凄かっただなんて。


 知りたくもないことを知ってしまった。

 そして、俺のお前への信頼を返せ。


 そう思ったが、思い立ったが吉日とばかりに結衣が俺を置いて帰ってしまったばかりに、その文句の言葉を伝える機会は失われた。


 俺からテニスウェアを受け取ることもなく家に帰るとは。


 練習が途中で打ち切られてしまったこと。

 あいつの口車に乗せられたこと。

 そして、わざわざテニスウェアをあいつの家に届けに行っていること。


 イライラが止まらない。

 眉間に皺を寄せながら、俺は帰路に着いていた。そして、いつしかこうイライラしていてもしょうがないと思ったので、結衣がどんな手段で俺の願いを叶えてくれるのか、と考えることにした。


 俺の願いは、つまるところウチの部員達にバレることなくセットプレイの練習を出来る環境を得ること。

 

 ……まあ、あいつが思い付きそうなことはなんとなく想像が付いた。

 勿論、やくざのように粗悪品を押し付けて誤魔化す、という選択肢はあいつの中にないだろう。なんだかんだ、時々俺を口車に乗せてくるとは言え、基本的にあいつは俺のテニスウェアのことには真摯なのである。

 そんなあいつのテニスウェアにかける想いはこれまで幾度となく間近で拝んできたし、最早疑う余地はない。


 その上で、ではどうやってそんな環境を作り出すのか。


「……誰に頼む気だろうか」


 まあ、本人がテニスが出来ない以上、誰かにそれを頼む他ないだろう。

 でも、一体誰に?


 パッと思い付くのは、ウチのテニス部の部員だろう。


 あいつはどうやら、複数人から執着される程度にはテニス部内で人気みたいだし……誘えば、コロッと一人二人は釣れそう。


 まあ、そうであれば秘密特訓のような環境が必要になるため、口の堅い人をご所望したい気分だが……該当者はいるだろうか?


 わからん。


 ああくそ、こんなことならもっとテニス部員との親睦を深めておくんだった。


 とか考えていると、まもなく我が家が見えてきた。

 我が家が見えてきた、と言うことはつまり……隣にある結衣の家も、目と鼻の先だった。


 家に帰るより先に、まず俺は結衣の家に立ち寄ることにした。


 この汗まみれのテニスウェアをあいつに渡さなければならないと思っていたからだ。

 ……ここまで来てなんだが、別にこれあいつに渡す必要ないよな。そもそも俺のだし。


 ピンポンした後に気付いた事実。

 あまりに結衣の変態ぶりを間近で見てきたせいで、感覚がマヒしていた。


「はーい」


「あ、こんばんは」


 出てきたのは結衣のおばさん。最早、用事なんてなかったとは言えない状況だった。


「あら、アキラ君。こんばんは。どうしたの? 夕飯食べてく?」


「あ……いえ、大丈夫です」


「あらそう? ウチの娘も喜ぶと思うんだけど」


 ……なんだか少し圧を感じるのは気のせいか。


「えぇと……それはまた今度で。今日はお腹いっぱいで」


「あら、帰りに何か食べてきた?」


「えぇ、まあ」


 本当は何も食べてないが。

 愛想笑いをしながら、嘘を吐いた。


「そう。残念。……結衣よね?」


「はい」


「ちょっと待ってて」


 扉は開け放たれたまま、おばさんが家の中に姿を消した。

 階段を昇って行き、結衣ー、アキラ君、と叫んでいた。


 まもなく、結衣の返事と当人が玄関にやって来た。


「あれ、どうしたの?」


 俺の顔を見るや否や、結衣は不思議そうな顔で首を傾げた。


「どうしたって……突然帰るからびっくりしたんだよ」


「えぇ? びっくりしたから立ち寄ってくれたの?」


「……まあ、近からず遠からず」


 そう言いながら、俺はラケットバッグの中からテニスウェアを取り出した。


「あ」


 結衣の声は、歓喜以外の感情が見当たらなかった。


「忘れも……」


 言い途中に、奴にブツをひったくられた。


「ありがとうっ。すっかり忘れてたよー」


 そして、奴は玄関前でテニスウェアに顔をうずめた。


 スーーーー。

 ハーーーーーーーー。


「うん。八十三点。最近は出来が良いねっ」


「あ、そう。それは良かった」


 言い終えてから、毒されてるなと思った。


「本当、ありがとう。用事はそれだけ?」


「……まあ、じゃあもう一個」


 俺のもう一つの質問は、言うまでもあるまい。


「助っ人、誰に頼むの?」


 俺のセットプレイ練習を務めてくれる奴。

 それをこいつは、一体誰に頼むつもりなのか。


 別に、相手を見繕ってくれる時点で文句はない。

 でも出来れば……その、話しやすい人だと良いなあ、とか思っている。絶対に言わないが。


「うん。そうだよね。気になるよね」


 聞かれると思っていたのか、結衣はとても嬉しそうだった。


「実は、もう承諾を取ったの」


「え、もう?」


 ちょっと早くない?

 こいつが帰ってきたのって、俺より早かったと言っても数十分レベルだろ?


 そんなあっさり承諾を取れて、なおかつ、電話にもすぐ応じてくれるような相手なのか?


「えぇと、アキラが知っているかはわからないけど……」


 その人は誰なのか。

 結衣は、そう前置きして続けた。




「三原ユウキって子に頼んだから」




「……ミハラユウキ」


 知らない名前だ。


 ……ん?


 三原……ユウキ?




 ユウキ。




「えっ」


 それってこいつの恋人じゃん。


「あれ、知ってた?」


 結衣は驚いたようだった。


「ああいや……知らない」


 対して俺は、複雑な表情でそう返した。


 なるほど。


 結衣とたった数か月の付き合いの後輩の話、と眉唾物の話だと思っていたけれど……たった数十分で了承してくれるような間柄で、かつそれだけ密に連絡を取っている関係。


 もしかしたら、本当に恋人なのかもしれない。


 むしろ、もうそうとしか思えない……。




 喜ぶ結衣を他所に、俺はひたすら複雑な顔で佇んでいた。

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