相棒への信頼。増やされる上納金。失墜する信頼。

 それからも、数度結衣に頬を叩かれた。しかし痛みはそこまでない。恥ずかしさを誤魔化すためにあいつも頬をビンタしているようだが、恥ずかしいからと言って俺に痛みを与えたいわけではないのだ、あいつも。

 とそこまで思って、俺が怪我をするとあいつの重要なテニスウェアの資源が断たれることになるから本気で叩かないのか、と気付いて少しイラっとした。


 日頃何度もこいつに煽られてきたし、こうしてあいつの弱みを見つけた以上、今の苛立ちも含めて煽り返してやろうと思ったが、その時間はあまりに不毛になるので一時控えた。


 とにかく今は、テニスの練習のためにこの場に残っているのだから、それをこなさないことには時間が勿体ない。

 そう思い、再び練習を再開しようと思った。


「でも、困ったなあ」


 しかし、まもなく再び俺は困惑した。

 なにせ、結衣がここまで運動音痴ってことは知らなかったからだ。折角セットプレイの練習を付き合ってもらおうと思ったのに、これではそれも満足にこなせない。


「……ごめん」


 相変わらずバツが悪そうに、結衣が言う。

 俺の手伝いが出来なかったことが、結構気になっているようだ。それもそのはず、このままではテニスウェアが……何度も言うまい。


「出来ないもんは仕方ないだろ。そう自分を責めるなよ」


 いつもと違い、こいつを慰めるような言葉が飛び出た。哀れみの視線を向けるな、とさっき結衣に言われたが、結構内心まだ憐れんでいるようだ。


「……むぅ」


 しかし、そんな俺の殊勝な言葉に苛立ちを露わにする結衣。一体、何故?


「あんたに慰められるのは、なんか腹立つ」


「はあ?」


 唐突な文句。


「知らんがな」


「……煽りなさいよ」


「へ?」


「いつも、あたしがあんたにするみたいにっ。煽りなさいよっ!」


「……お前」


 形容しがたい気持ちを抱えた。


「遂に頭おかしくなったのか?」


「今更ね。悪い?」


 ……つまり、結構前からこいつの頭はおかしかったと?

 残念ながら否定できない。俺のテニスウェアに対する執着具合を見ても、頭おかしいとしか思えない。


「変態であることは開き直れるのに、なんで運動音痴なことはそんなに恥ずかしがるんだよ」


 思わず、呆れて俺は言った。

 そもそも、人のテニスウェアを情事に使用していることがバレていること。他でもない、テニスウェアの所有者にバレている状況は恥ずかしげもなく、むしろそれを開き直ってあーだこーだ要求をしてくる癖に、どうして運動音痴なことはそこまで触れて欲しくなさそうにするのか。


 不思議な女だ。


「……だって」


 俺の問いに対して、結衣は歯がゆそうに俯いた。


「いつも、あんたに色々偉そうに要求しているのに……運動さえ出来ないなんて、そんなの形無しじゃない」


「……まあ」


 確かに。

 いつもこいつのことを正しい、と前まで俺は思っていた。

 それはこいつが、なんでも出来ると思っていたから。なんでも、正しい行いを出来ると思っていたから、そう思っていたわけだ。

 なんでも出来る奴に正しさを要求されて、それが出来ない自分が嫌いだった。惨めになる前まではだからこそこいつに歯向かうようにしていたのだ。


 正しさを人に要求するのであれば、結衣としたら自分が正しい人でないといけないと思っているのだろう。

 だから、正しいことが出来ない自分を形無しだと宣った、と。




「……あんたの」




 結衣は、いつにもなく真剣な顔をしていた。




「あんたの役に立てないのなら、あたしはあんたからテニスウェアをもらう資格はない」




 そして言った結衣の台詞は……どうしてか、俺の心臓を鷲掴みにした。


 それがあいつなりの、俺のテニスウェアをもらうための覚悟、か。




 ……一瞬。




 一瞬、思った。





 どう転んでも俺のテニスウェアをもらう資格はないと思うんだけど……? と。






 しかし、口にするのは野暮だった。

 そしてそれを口に出来ない程度には、俺はこいつの覚悟を嬉しく思っていたのだった。


 なんだかんだ。


 私欲のためとは言え、どこまでもこいつはテニスウェアのため。俺のため……努力を惜しまない。ベクトルが僅かに傾いているものの、誰かにここまで想ってもらえるのは嬉しかった。


 ……ベクトルが僅かに傾いているものの。


「でもまあ、出来ないもんは仕方ないだろう」


 そんなこいつに感謝の気持ちを抱いた。


 でも、テニスウェアを上達していくことに関して、本来こいつにここまで頼り切りの状態はおかしいはずなのだ。

 今更ながら、そんなことに俺は気付かされた。


「お前と二人で出来ないことは、部活中でやるさ」


「……でも」


 俺の言葉とは裏腹に、結衣の顔は晴れない。


「でも、ライバルに手の内、見せたくないんでしょう?」


 思わず、俺は黙った。

 そもそもそれが、俺が今回のセットプレイの練習を結衣に頼った理由。


 しかし、それは言った通りだ。

 出来ないもんは、仕方ない。


 中学までのようにテニスクラブに入っていればそっちで練習も出来たが、生憎高校に入ってからはそこまでテニスに対する情熱も薄れたから辞めてしまった。テニスの練習をするなら、俺にはこの部活、そして結衣しか頼る宛は今はない。


 ……こういう時、親しいテニス仲間がいない現状は嫌になるな。


 いや友達いるけどね!?


「ゴホン」


 一先ず、珍しく落ち込む結衣に励ましの声をかけねば。


「大丈夫。手の内がバレていても、勝てるようにすればいいさ。それくらい磨けばいいのさ」


 慣れない笑みを顔に貼り付けて言った。


 結衣は……不安げに瞳を揺らしていた。


 その瞳に、ドキッとした。理由はやはり、わからない。


 しばらく互いに何も喋らない時間が続いた。

 俺は……言葉を喋れないくらい、結衣の態度に心臓が高鳴っていた。


 結衣は……。


「わかった」


 まもなく、口を開いた。


 ……なんとか、納得してくれたか。


「一つだけ、考えがある」


 と思ったが……どうやら違うらしい。


「考え?」


「うん」


 考えがある。

 そう言う割に、結衣の瞳は以前不安そうに揺れていた。考えがどこまで効果があるか、こいつとしてもわからない。不安なんだ。すぐにわかった。


 ……でも。




「じゃあ、それをやってみよう」




 話の概要を聞かずとも、俺は結衣の提案を受け入れた。

 

 こいつの性癖を知った。

 そして、こいつに振り回されて練習をするようになった。


 こいつの指示する練習をするようになって数週間。

 こいつの私欲のために振り回されるようになって数週間。


 練習。都大会。


 色々な場を経て、俺は気付き始めていた。




 こいつは、俺のテニスウェアのためならば何でもしてくれるって。




 必ず、正しい選択をしてくれるって。




「……任せたぜ、相棒」




 だから、俺はこいつのことを(テニスウェア関連のことであれば)信頼出来るのだ。




 結衣は、一瞬頬を赤く染めた。

 そしてその顔を見せたくないかのように俯いた。


 しばらく、口をわなわなと震えさせて……ようやく顔を上げた時、微かに嬉しそうにしているのがわかった。


「任せてっ」


 そして、結衣は微笑んで頷いた。


 ……変態相手だけど、こうして友情を芽生えさせられて良かった。


 心から思った。




「つきましては、一つ要求があります」




 ……ん?




「上納金、増やすから」




「……んん?」




「仕方ないよ。あたしもそれだけ不利益を被ることになるんだから」




「んんん?」




「テニスウェア、これから毎日二着ね!」




 ……口車に。




 口車に、乗せたのか?




 俺の信頼、返してくれる?

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