来訪者
ずっと胸にしこりのように残っていた平塚の告白の件。そして、結衣に俺がどう思われているかも知れたその日は、ここ数日の中でも一二を争うくらい清々しい一日になった。
いつもなら、前日に大会があった日は、午前を過ぎ午後の授業が始まって少しした頃。昼ご飯が胃袋に溜まり消化が始まった頃に思わず握りこぶしを作ってしまうくらいの後悔を抱えていたのに。
今日は、本当に、なんて清々しい日なのだろう。
そう思わずにはいられないくらい、気分が良かった。
午後の授業がいつもより二割増しで早く過ぎていく。
それからまもなく、放課後がやって来た。
さ、部活だ。
これもまたいつもの大会翌日なら気だるくて行きたくないと思うのに、今日の俺はノリノリだった。
しかし、そんな俺に邪魔が入る。
「奥村君、あなた今日日直でしょ」
同じクラスの白石さんに叱られ、頭を掻いて俺は謝罪した。
早く部活に行かねば、あの変態に何を言われナニをされるかわからない。丁寧に素早く、俺は日直の仕事をこなしていった。
日直の仕事が終わったのは、丁度校庭でサッカー部が快活な声を上げ始めた頃だった。
校舎からは吹奏楽部。その彼らの奏でるメロディーに舌鼓を打ちながら、俺は荷物をまとめて教室を出た。
廊下、いつもより少しだけ足早に歩いた。
「奥村先輩」
そして俺は、聞き慣れた声に呼び止められた。
そこにいたのは、平塚だった。
「お疲れ、どうした?」
快活に、俺は平塚に駆け寄った。
それに反して、平塚は体調が芳しくないのか、中々返事をしなかった。
訝しげに、俺は平塚に首を傾げた。
まもなく、
「……一生のお願いです」
平塚は、俺に頭を下げた。
「助けてください」
虚を突かれて驚く俺に対して、平塚は続けた。
何を、どうして。
どうして俺が、平塚を助けなければならないのか。少し言い方が悪いが、そう思った。
助ける、と言っても、そういう行為には向き不向きがある。だから俺はそう思った。
俺みたいな人間は、恐らく助力だとかそう言うのが一番苦手な部類なのだ。
「……橘先輩のことです」
「……ああ」
そう言えば、昼休みにこいつ結衣にこっぴどく振られてたな。
……なるほど、平塚が俺に何を助けて欲しいか、なんとなくわかった。
「いや、無理だろ」
だから、平塚の言葉も待たずに俺は言った。
「お前も見てたろ。俺、お前のせいであいつに振られたんだ」
そのおかげで、何故か今酷く機嫌が良いが。
「そんな俺にして、お前とあいつの関係を取り持つだなんて無理無理」
本当、適材適所ってのが人にはあるんだよ。
その手の話題に、俺程不適任な人間はいないだろう。
……だが。
「そんなのぼっちの先輩に頼むわけないじゃないかっ!!!」
それが平塚の逆鱗に触れた。
怒鳴るこいつに、俺は一瞬臆したが、まもなくイラっとした。
「ぼ、ぼっちじゃねえし!」
加奈に続きこいつにまで、そんな風に思われていたのか。
今日だって俺は、左隣の宮本さんに『ねえねえ、橘さんに振られて今どんな気持ち?』って話題提供してもらったのに。
そんな俺がぼっちだなんて、そんなはずがないではないか!
……まあ、今はそれは良いや。
「……じゃあ、お前俺に何をして欲しいんだよ」
俺はそう平塚に聞いた。そもそも、そっち方面で助力を望んでいるわけではないのなら、こいつは一体俺に何を聞きたかったのか。
「……あの後、色々調べたんです。そして知ってしまった」
あの後、とは……結衣に振られた後のことだろうか。
この口ぶり、つまりこいつが俺に望むのは結衣に関する何かを教えて欲しい。そんなところだろうか。
振られたのは今日の昼の話。それから僅か数時間。必死に色々調べた、とは言っても、その程度はたかが知れているだろう。
……そもそも、そんなたった数時間で見つけられそうな結衣の秘め事とは何か。
……少し、俺は頭を捻った。
頭を捻って思い付いたのは……。
ベッドに寝そべり俺のテニスウェアを嗅ぐあいつ。
俺を虐め抜いて入手したテニスウェアを嗅ぐあいつ。
試合後、俺から手渡されたテニスウェアを嗅ぐあいつ。
……やばい。
ついに、第三者に結衣の性癖がバレたっ!????
やばい。
それは、やばいって……。
真実を知っている人はもしかしたら思うかもしれない。
別に、お前に実害なくね? と。
……あるんだなあ、これが。
だって、あいつが嗅いでいるテニスウェア、誰の物かって言ったら俺の物なんだもの。
いつも決まって、俺の物なんだもの。
普通、思うだろ?
俺があいつにテニスウェアを渡してるって。俺があいつにテニスウェアを渡してるのは、俺にも利益があるからだって。
俺があいつにテニスウェアを渡すことで得られる利益。
それはテニスの実力向上。
ただ、常人は普通、そんな結論付けはしないだろう。
……普通、変態染みた性癖を想像するだろう。
……普通、あいつにテニスウェアを渡して、俺が悦に浸ってると思うだろう。
終わった。
俺の学生生活、終わった……。
コンマ数秒の内に、俺はこの世の地獄に落ちることを悟った。
ゆっくりと頭を上げた平塚が、口を開いた。
最後通告をしようと……口を開いた。
「橘先輩の恋人の名を知ってしまったんです」
……が。
予期せぬ平塚の言葉に、さっきまで清々しさしかなかった胸中に暗雲が立ち込めた。
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